なつみさんは私がケーキを食べ終わると、熱めに沸かしたお風呂に乳白色のバスソルトを入れて、シャワーの使い方を教えてくれた。

 「シャンプーはこれ。トリートメントはこれ。ボディソープはこっちで、洗顔はこれね。」

 広いお風呂場の壁には深い柘榴色のタイルが貼られ、窓枠の所に香水瓶みたいにきれいなボトルのシャンプー類がきちんと並べられていた。白いお人形の家みたいなバスタブにつかりながら、私は母のこともあの男のことも考えなかった。多分、頭がそれを拒否していたのだろう。ただ、じっと体を温めながら、きらきら光るシャンプーの瓶を見上げていた。

 きれいななつみさんと、惨めな私と。きっと生まれる前からどこかがなにか決定的に違っていたのだろう。

 私がお風呂から上がり、なつみさんが貸してくれたピンク色のふわふわした生地で出来たパジャマに着替えると、彼女は私の髪の毛をドライヤーで丁寧に乾かしてくれた。その時髪につけてくれたトリートメントもピンク色で、なつみさんからほのかに漂うのと同じ、甘いお花の香りがした。

 あの男が戻ってきたのは、私の髪がすっかり乾き、なつみさんが交代でお風呂に入ろうとしていた時だった。

 「あんた……!」

 なつみさんは男の姿を見ると、それだけ言って風呂場に駆け込んでいった。ごく普通の態度でインターホンを鳴らし、オートロックを解除させ、部屋まで上がってきた男の顔は、一面血まみれだった。私は驚きすぎて呆然とソファの上で硬直していた。男は平気そうな顔でトレーナーの肩口辺りで瞼の上まで垂れてきた血を拭ったが、そのトレーナーもぐっしょりと血を含んでいるようで、朱肉みたいにじわりと赤を滲ませて余計に顔を汚すだけだった。

 「バカじゃないの!?}

 タオルと洗面器を抱えて戻ってきたなつみさんは、ひしゃげた声で男を罵ると、すぐに傷の手当てを始めた。その手つきはなんというか、野戦病院の看護師みたいに手荒で慣れきっていた。

 「押さえてて!!」

なつみさんに怒鳴られた男は床の上に胡坐をかき、額に当てられたタオルをおとなしく左手で押さえた。その手にはだけは、なつみさんが手当てをするまでもなく、分厚く包帯が巻かれていた。

 「アスピリンとファイチと抗生物質。」

 男の口に問答無用で錠剤を押し込んだなつみさんは、バカ、ともう一度呻いた。きびきびと動く白い両手の主とは思えないほど、今にも泣きだしそうな声だった。

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