男は黙ってアルミサッシに座り、私も黙ってビニールプールにつかる。

 ビニールプールが置かれた庭の地面はでこぼこしていて固く、空気がいっぱいに入ったプール越しでもお尻が痛かった。

 お尻が痛いからもう出る、と、それをあの男に言えない私は、じんじん痛むお尻と息苦しいくらいの蒸し暑さに巻かれたまま夕方までじっと水につかっていた。全身の肌がふやけ、肩の下まであった細い髪は油が抜けてパリパリになっていた。

 男は適当なタイミングで私を水から出すべきだったはずだ。私はほんの子供だったのだから、ずっと水に入れておいては体が冷えて疲れてしまう。

 しかし男はそうしなかった。頑固な私を色のない視線でとらえたまま、じっと座っていた。あの頃、子供など全然好きではなかったはずのあの男が、なにを考えてあんなに無為な時間を過ごしていたのか、私にはいまだに理解ができない。

 しわしわにふやけて白くなった手に気が付き、私は男に抗議の視線を向けた。だって、まだ生まれて四年か五年しか経っていなかったのだ。ずっと水につかっている場合に起きる弊害なんて知らない。

 男は私の視線に気が付いてはいただろうが、なにも言わず、庭の奥にあった排水溝にプールの水を慎重に流し込んでいた。私はそれを手伝ったりしなかった。だって別に私がプールに入りたがったわけではない。男が幼稚園から帰ってきた私を持て余して、勝手にビニールプールを持ち出してきただけだ。私はそんなものが家にあることさえ知らなかった。

 「腹減らないの。」

 水をすっかり抜いたプールから空気を抜きながら、男が事務的に言った。私は大人びすぎた水着からしわしわになった手足を突き出して、役立たずの案山子みたいに立ったまま、減った、とだけ答えた。

 「パン買いに行ってくる。」

 ぺちゃんこになったプールを日当たりのいい場所を選んで広げ、男はカーキ色のワークパンツのポケットから出した小銭をちゃりちゃりと数えた。彼は料理がまるでできなかったのだ。

 私は水を吸って重たくなった水着を不快に思いながら、さっきまで男が座っていたアルミサッシを踏んで部屋に入った。アルミサッシはその日の陽気に熱っせられてかなり暑くなっていて、こんなところに何時間も座っていた男の気が知れなかった。

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