あの男について私が記憶している光景は、古くても幼稚園に上がった頃のものであるため、私は結局の所いつからあの男が私と母親と一緒に暮らすようになったのかを知らない。だから、彼が私の実父であったのか、それとも単なる母親の恋人であったのかも知りはしない。私の母親よりあの男の方がいくらか若かった気はするから、私が幼稚園児だった頃、彼は二十代の半ばくらいだったのではないかと思いはするのだが、正確な年齢も知らない。

 あの男は二日か三日に一度はアパートにやって来て、短いと一時間くらい、長いと三日間くらい滞在してはまた出て行った。母がいる時に来るときもあれば、私が一人の時に来ることもあったし、私も母もいないアパートに滞在しているときもあったようだった。 あの男は書置きなどを残す人間ではなかったので、テレビのリモコンや洗濯物や硝子のコップや、そんなものの位置の変化で彼の滞在は計られた。母は酒を飲んでは部屋の中の物を投げたり蹴ったりして、盛大に散らかす人だった。彼はその散らかったものを片付けたりはしなかったが、彼がいる時の方が散らかり具合はだいぶましだった。それなのに私は彼の滞在を歓迎はしなかった。彼は他人だと思っていた。実の父なのかどうかは分からないけれど、どちらにしろ他人であると。

 私が一人の時にアパートのドアを開けると、彼はいつも一瞬室内に入るのを躊躇った。狭い靴脱ぎでほんの一秒か二秒ではあるが立ち止まり、私を見た。

 意地の悪い私は、そんな彼に一度も言葉をかけはしなかった。

 ドアが開く音がすると、まず帰ってきたのが母なのかあの男なのかを確かめるために、テレビの画面から目を話し振り向いてそちらを見る。

 そしてそれが母親であれば彼女が素面なのか酔っているのかを見極める。酔っているときは白目が赤くなり、長い髪が乱れて口紅が剥げているので、よく見ればちゃんと判別はできる。判別するまでは簡単なのだが、そこからがなかなか難しい。酔っている母親は私を殴るときと殴らないときがあって、そのどちらのモードなのかを判別するのはとても難しかったのだ。

 立っているのが母親でなくあの男だった場合は、酒を飲んでいることがないのでただテレビに向き直った。男はいつも開口一番、腹減ってるのか、と言った。


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