6
「本気?」
思わず口から出てきた明らかな愚問に、佐山はわずかに口元をほころばせた。
「あんな声で電話をしてきたのは、あなたでしょう。」
あんな声というのがどんな声なのかが、私には分からなかった。だからもう分かるふりをするのはやめて、両手ですっぽり顔を覆った。今自分がどんな顔をしているのかも、もう分からなかった。
「私のこと、嫌いでしょ?」
「嫌いだったら、あんなに家にお訪ねしませんよ。」
「嫌がらせじゃなかったの。」
「あなたの方がよっぽど私をお嫌いみたいだ。」
「嫌いよ。」
「なぜ?」
「なんででも。」
随分長い沈黙の後、佐山は真っ直ぐに前を見てハンドルを握ったまま、ぽつりと言った。
「あの人に関わる全てのものが、私は好きですよ。」
私はどうしようもなく悲しい気持ちになって、顔を覆った手の中にいくつか涙をこぼした。
「私は嫌い。」
泣き声で呻くと、佐山は子供をなだめる大人の声で、そうでしょうね、とだけ言った。
そして片手を伸ばして私の髪を撫で、式は海外で挙げましょうか、などと言う。
「海の側がいいですね。あなたには潮風と白いドレスがよく似合いそうだ。」
その呑気を装った声を聞いていると、無性に泣けた。子供の私をなだめる役割の佐山には、それくらいの事はちゃんと分かっていたのだろう、変わらない調子で挙式のプランを提案し続けてくれた。
「イタリアの海辺の田舎町なんてどうですか? 知人が先年式を挙げたのですが、結婚式を挙げるためにあるみたいな、真っ白い石造りの町並みがあるんです。あなたはお色直しにも長い式にも興味はないでしょうから、式自体はささっと済ませてしまえばいい。そしてドレス姿で馬車に乗って町を観光しましょう。夕方には浜辺に出て、夕陽を見ましょうね。映画から出て来たみたいな、クラシカルな石の町ですよ。あなたにきっとよく似合う。」
佐山の穏やかな声を聞きながら、私は身も世もなく泣いた。16歳になったばかりの夜だった。泣き続ける私を乗せて車を走らせ続けた佐山は、夜も明けかける頃になってようやく湖の近くの小さなホテルに部屋を取り、私を寝かしつけた。
佐山は多分、一睡もせずにホテルの葡萄色の肘掛椅子に座っていたのだと思う。翌日の昼過ぎに私が目を覚ますと、佐山はじっと座ったまま窓の外に広がる湖を眺めていたから。
正午を少し過ぎたところだというのに、やけにか細い陽光のかろうじて浮かび上がる、水にさらされ過ぎた人骨みたいな男の姿。あの光景を私は生涯忘れないだろう。
それから半月後、あの湖ってどこだったの? と、真っ白い石造りの町並みを並んで馬車に揺られながら訊くと、佐山は珍しく声をたてて笑い転げた。家々に反射する眩いばかりの陽光が、色の無い男の肌にも黄金色を映していた。
「山中湖ですよ。山梨県の。」
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