診察が終わった後、難民の子どもみたいにぎゅっと肩を寄せ合って病院の正面玄関を出た私となつみさんは、全く同じタイミングで足を止めた。

 玄関の真ん前に、男がふらりと立っていたからだ。人が一人立っているというよりは、背の高い枯れすすきが一本生えているみたいな、そんな立ち姿をしていた。

 なつみさんはすぐさま肩を強張らせ、私の手をきつく握って男の横をすり抜けようとした。しかし男はそれを許さず、私のもう片方の手を掴んだ。

 「なつみ。」

 なんでなつみさんを呼ぶんだ、と思った。私の手を万力みたいな力で握りしめているくせに。

 呼ばれたなつみさんはぐっと息をのみながら足を止め、大きな目で男を睨み上げるとはっきり首を左右に振った。

 「千草は私が連れて帰る。もう二度と顔出さないで。」

 男は黙ったまま私の手を引いた。私は抵抗しようとしてできず、なつみさんのきれいな顔を見つめて助けを求めながら、男の傍らまで引き寄せられた。

 私の視線の先で、なつみさんの白い顔はみるみる内に鮮やかな怒りの色に染まる。その色彩の変化は、こんな場面だというのにうっかり見とれるほどにうつくしかった。本当にうつくしい人には、激情をむき出しにした顔こそが一番似合う。ちょっとした美人くらいでは、到底こうはいかない。

 「前は私が売春した金で、私と町を出ようとしたわね。今度はあんたが売春した金で、千草と町を出るわけ?」

 怒りをかみ殺そうとしたのであろう声音にも、その縁あたりに殺しきれなかった炎が滲む。このひとは本当にきれいだ、と、私は場面の切実ささえ一時忘れてその声音に聞き惚れる。

 うつくしい人のうつくしい怒りを正面からぶつけられた男は、静かに瞬きを繰り返した。落ち着き払った男の仕草は、彼がなつみさんの怒りに馴れていることを感じさせた。  その時私は、確かに男に嫉妬した。

 「なつみ。」

 ぼそりと、男がなつみさんを呼ぶ。いつもの、意味のある言葉一つ発することなく意志を押し通そうとする目の色をしていた。

 「だめよ。これだけはだめ。」

 私の手を掴む力を強めながら、なつみさんがきっぱりと言い切る。

 「いつもいつも、結局あんたの言うこと聞いてきたけど、今回だけはだめ。」

 「なんで。」

 問うた男の声は、あまりにも単純な響きをするせいで、いっそ無邪気なほどだった。

 私はその男の無邪気さに怯んだ。この男は、自分が咎められる理由を腹の底から問うている。私が自分の子かどうかなど、この男自身にだって確実なことは分からないはずなのに。

 「千草。」

 男は今度は私を呼んて問うた。

 「なんで。」

 私もなつみさんも、その問いに答えることが出来なかった。例えばこの男が私の実の父親だとして、血縁のある男と寝ることはそこまで責められるべきことなのだろうか。

 そしてそれが理屈なく責められるべきことだったとして、神以外の誰がこの種の罪を裁けるのだろうか。

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