風がとおるとき


 風のなかにいることが、すきだ。


 たしか、春だった。

 幼い時、ミカさんはお姉さんと一緒に屋根の上に布団を敷いて、寝たことがある。


 風がすーっと通り過ぎて、夜の花の香りがした。その風の匂いは、冒険心を目覚めさせる。

 体を包みこむ布団はあたたかくて、頬をなでる澄んだ空気は、ひんやりと気持ちが良い。

 屋根と屋根の間から見えた夜空には、白い小さな星が呼応するように瞬いていた。




「ねえ、ママ」


 ユウくんに呼ばれて、ミカさんははっと我に返った。


「風はどこからくるの?」

「風? うーん……」


 ミカさんは首をひねった。

 ──どこからくるのだろう?



「あ、わかった。おたんじょうびのとき、フーッ、ってロウソクをけすでしょう? それがね、おおきくなって、風になるの」


「なるほどね。あの時の息が風になるのかー」


 それはなんて幸せな風なのだろう、とミカさんは微笑ましく思った。



「あ、わかった。木がね、かゆい、かゆい、ゆらしたの。それで、風になったの」


「なるほどね。木の幹にアリさんが行進したのかもしれないね」


 たしかに木は手がないから体がかゆい時、大変だろうなぁ、とミカさんは思った。


「あ、やっぱりちがう。あのーね。風はね、なくならないの」

「なくならないの?」

「うん。風はね、ぐるぐるちきゅうをまわってるの」




 風はどこからきて、どこへ行くのか。

 幼いミカさんも、風は地球をグルグル回っているのだと思っていた。


 だから、風には匂いがあるし、風が吹いただけで悲しくなったり、うれしくなったり。

 誰かの感情を運んでいるのだと思っていた。





 以前見たテレビ番組で、京都の旅館の女将を特集していた。

 中庭の花や木を、季節ごとに活けかえている場面で、花をみた女将が、


「風が通ってないじゃない」と一言。


 花が不自然だという意味なのか、果たして真意は語られなかったが、そのセリフが心に留まった。




 風が通ってない。


 

 それはまるで、旅館が死んでいるように聞こえた。

 風が通れば、旅館は生きる。

 そう、聞こえた。






 ミカさんはその時、なぜこんなにも風に魅かれるのか。

 わかったような気がしたのだ。

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