縦横無尽に

「あれ? ──ない」


 ついに追いついてしまったと言うべきだろうか。それとも、交差したと言うべきか。



 昼休み、ミカさんは「風俗・民俗学」の書架の前で立ちすくんでいた。


 好きな分野だった。大学時代に学んだこともあり、図書室に勤めてから、懐かしさも含めて再勉強していたところだった。



 けれども。



 ギッシリ並んでいた本たちが数冊いなくなっている。その抜けた穴を眺めて、ミカさんは眉根を寄せた。



「……これは」





***





 ここは男子校。


 女の子がいないから、というのが最大の理由かもしれないが、どうも男の子たちの行動がアットホームすぎる。



 今もミカさんの目の前でスマホをいじっている生徒君は、つま先から頭の先を真っ直ぐに、それから頭の先から床へと点を下せば、綺麗な直角三角形が出来上がる。



 その格好は辛くないの?



 と聞きたいところだが、頭だけをソファーにあずけてスマホをいじり続けている。筋トレ中なのだろうか。普通に座ればいいものを……。




 この学校は、校則というものがほぼない。



 校則がほぼないので、色んな髪色の子がいる。

 校則がほぼないので、耳にたくさんピアスが空いている子がいる。

 校則がほぼないので、上裸の子もいる。




 ある日のこと。


 書架を抜けて曲がった時、生徒が倒れていた。



 ──し、死んでる!?



 叫び出しそうになる口元を押さえて、ミカさんは冷静になろうとした。



「お兄さん!! 大丈夫ですか!?」



 しゃがみ込んで、ミカさんは生徒君を揺り動かす。ほどなくして、むくりと生徒君は起き上がる。



「大丈夫?」

「えっ? ──ああ、大丈夫っす。寝てたんで」

「……床で?」

「いや、椅子を繋げて寝てたんですけど。落ちました」





 ──熟睡しすぎやろ!!




 チベットスナギツネの目線でミカさんは、椅子に座り直す生徒君を眺めた。




 ──というか、椅子を繋げて寝るな!



 ツッコミどころが多すぎる!

 ミカさんは呆れると同時に「まあ、大事なくてよかった」と思うことにした。


 自由なことは結構だが、ここは家じゃないのよと思うことは多々ある。






 図書室のカウンターにミカさんは戻る。





 カウンター当番の日は、生徒がどんな本を読んでいるのか直に知ることが出来るのでとても楽しい。



 この高校は、おそらく他の学校と比べて蔵書の種類が異なる。大学レベルとまではいかないけれど、あきらかに高校生が読む本ではない、とミカさんは勤務初日に思った。


 それは、彼らが卒業論文を書くかららしい。




 ──コトン。



 心地よい音がして、ミカさんはカウンターに積まれた数冊に釘付けになった。



「風俗・民俗学」の書架にある本だった。



 ──ついにこの時がきた!



 ミカさんは、ドキドキした。

 いつかは追いついてしまうと思っていた。あの歯抜けの書架を見てから。



 ミカさんの先を、時には後ろを読む生徒がいる。

 そのことに気がついてから確信していた。  



 ──この本を読む生徒とは、研究テーマが同じであると。




 この文献、この教授の本を読んだら、次はきっとこの本を手に取る。



 その予想は当たっていて、ミカさんは嬉しくなった。おそらく三年生だろうが、いったいどんな子なのだろうか。



 きっと、話が合うにちがいない!

 ミカさんは、顔をあげた。




 左耳にピアスがじゃらじゃらついている。

 髪は、黒髪で……。



 あれ? この子『縦横くん』だ。


 

 図書室に真っ直ぐ入ってくると、ピッと曲って書架へ消える。それから、手ぶらで帰ってくると、真っ直ぐに図書室からいなくなっていく。



 その動きは訓練された兵隊さんみたいで、ミカさんは縦横くんと勝手に読んでいた。



 なるほど、とミカさんはうなずく。



 もう研究のテーマが決まっているから、図書室に来ては同じ場所を見に来ていたのだ。だから彼は、いつも同じルートで図書室を歩いていた。




 貸出し処理をしながら、ミカさんは予想した通りの本を彼が借りたことにドキドキしていた。



「縦横くん、民俗学もいいけれど、このテーマなら宗教とか芸能を探しても幅が広がっていいと思うよ」



 ミカさんは、そう声をかけたかった。



 けれども、思春期の若者に「君の借りているタイトルを見てるぜ」なんて言っていいものだろうか。



 ──絶対ダメ!



 目をグルグル回して、ミカさんは衝動をおさえた。




 目的を達成した縦横くんは、滞在時間短く図書室から去って行った。



 その後ろ姿を横目に、ミカさんは書架を見回す。




 こんなにたくさんの本があっても、読まれる本は少ない。



 けれども、読みなさいと強制されて読む本ほど面白くないものはない。だから、なにかのきっかけで、彼らが図書室の本に目をむけて、その世界を開いてくれたらいいなと思う。



 きっと、ここの本たちもそう思っている。

 手にとってもらえるのを、本棚の片隅で待っているはずだ。

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