初代お猫様

 初代お猫様の話を話をしようと思う。


 ミカさんは実家をでるまで三匹のお猫様と暮らしてきた。今は三代目お猫様だけがいらっしゃる。


 初代お猫様との出会いは、ミカさんが小学校一年生の時だった。




 小学校から帰宅すると、玄関の扉が開いていた。

 これはよくある現象だった。外階段を一階分あがって、小さな前庭を抜けたところに家があったからだ。もともと山の中腹に家があるので、人通りは住人以外にない場所だった。


「ただいま」


 帰宅すると母が台所で作業をしていた。振り向かずに「おかえり」と言う。


 ランドセルを抱えて台所を通り過ぎ洗面所へ向かおうとした時、ミカさんはハタと足を止めた。



 壁を長方形にくり抜いたところに電話機があった。小さな洞窟みたいな場所だ。



 そこに、猫がちょこんと座っていた。



 電話機の上に乗り、前足を丁寧に揃えて座っている。猫の長くて黒っぽい尻尾が、まるまると可愛らしい手元に収められている。


 ミカさんは、その猫の美しい佇まいに魅入ってしまった。


 ほっそりとした体形で、しゃんと背筋を伸ばしたまま目を瞑っている猫は、まるで神様のお遣いでやって来たかのようだった。


 ──この猫知っている。シャム猫っていうんだ。


 その時、ぎゅっと瞑っていた猫の目が動いた。ゆっくりと目が開かれていく。


 猫の瞳は、春の夜空のようだった。


「あっ」


 声を漏らして、ミカさんはあわてて口元を押さえた。大きな声を出してしまった瞬間、この不思議な空間が溶けてなくなってしまうように思えた。


 人間の白目の部分が、やさしい群青色をしている。こんなに綺麗な瞳が、この世界の生き物に与えられていることが、奇跡のようで、本当に生き物なのだろうかと疑ってしまうほどであった。



 猫はミカさんをじっと眺めた後、再び目を閉じた。



 途端、ミカさんは現実に戻って体をぴょんと跳ね上げた。



「家の中に、猫がいるー!」


 ミカさんは少しだけ大きな声をだした。



「いるのよ!」


 母は言った。なぜだか、ぷりぷりしている。

 ランドセルを抱えたまま、ミカさんは「そうか、いるのか」と納得した。



 当時のミカさんにとって、母が「いる」と言えば「いる」のであって「いない」と言えば「いない」ものなのであった。


 納得したミカさんは安心した。猫は家に「いる」ものなのだ。電話機の上に「いる」ものなのだ。




 ランドセルを置いて、手を洗った後、再び電話機の上をのぞいてみたが、猫はまだそこにいた。


「ホレ、おやつ食べなさい」


 母はなぜだか汗をかいていた。

 机の上に置かれたお皿には、当時のファミリーブームであるバームクーヘンに、母特製の生クリームがのっていた。

 カロリーに追いカロリーである。実に、美味い。


 ミカさんと母は黙々とバームクーヘンを食べる。そして、食べ終えた後、ふと母が思い出したように立ち上がって、猫に言った。



「あんた、まだいたの?」



 すると、猫はゆっくり目を開ける。トンっと軽くて上品な音をさせて降り立つと、優雅に尻尾をあげて玄関から外へ出て行った。

まるで、猫の王子様の帰還のようにミカさんには思えた。



「あの猫、どこの家の猫だろう?」


 野良猫には見えない。


「さあ」


 母はもう一切れバームクーヘンを手に取った。




 その数週間後。母は言った。


「この子、うちで飼うから」


 ミカさんはうなずいた。母が「飼う」と言えば「飼う」のだ。そして、その選択はミカさんにとって、とても嬉しいことだった。



 聞けば、猫はご近所で飼われていたようだが、その姿に似合わず激しい性格のようで、追い出されてしまったというのだ。(ちなみにだが、シャム猫ではなく、トンキニーズという種類のお猫様であることが判明した)



 ミカさんは初めての猫に興奮していた。

 初めての猫だったので、なで方も理解していなかった。手を伸ばして頭の上からなでようとした。


 するとお猫様は、パクっと口を開けて、ミカさんの手に嚙みついた。

 ミカさんは驚いた。

 お猫様は不機嫌そうにミカさんを見ている。


 お猫様の歯形がついて、ぷくっとへこんだ手をミカさんは珍しいものを見るかのように眺めた。


 そして、くんくんと匂いを嗅いだ。

 獣の、生臭い匂いがした。


 その生々しい生き物の匂いに、目が覚めるような気持ちを覚えた。


「うにゃあー」


 ミカさんは雄たけびをあげて、お猫様の両脇に手を差し入れると、ぷらーんと抱き上げ、自分のスカートの中に入れた。


 足の間でもぞもぞと毛玉が動いている。しばらくして、お尻の方のスカートからお猫様はのっそりと出てきた。


 その後はお互い何事もなかったかのように、自分の生活に戻った。



 子どもの愛情表現というのは時に独特である。

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星座の小瓶をあけて あまくに みか @amamika

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