ペトリコール

 そろそろ、ふる。


 雨が降った時の匂いをペトリコールというらしい。あの静かで、ザワザワした、土の匂い。

 植物たちが「そろそろよ」と噂しているような、匂い。




 雨の日は、体が重くなる。

 気分が憂鬱ではないけれど、どうにもずっと休んでいたい気分になる。

 

 

 干しっぱなしの洗濯物も、お皿洗いも、録りためたアニメも、頭の中のアレやコレ。ぜーんぶ、放り投げて、ずっとゴロゴロしていたい気分になる。




 ゴロゴロしていても、思考は停止しない。

 考えない。というのは、案外難しい。



 雨音の部屋。

 隅の方から、囁き声が聞こえた。



 コソコソ。

 ヒソヒソ。



「おーい」



 ミカさんは声をあげた。

 けれども、囁き声は止まらない。



 文庫本がギッシリ詰まった本棚。本たちが、各々話したいことを囁きあっている。ページの隙間から、文字がにじみでて空間を浮遊しているみたい。



「雨の日は静かにして」



 ミカさんは本たちにお願いするけれど、囁き声は波のように頭のまわりにまとわりついて離れない。



 あそぼう。

 あそぼう。



 そう言っているようにミカさんには聞こえた。ミカさんは諦めて、目を閉じて耳をすませる。


 

 春の雨は、糸みたいだ。

 細くて、弱くて、やさしい糸みたいだ。



 朝の波打ち際のような雨の音に隠れて、ゴロゴロと雷がなった。夏の雷とはちがって、春の雷は静かだ。猫がのどをならす時のような、眠りを誘う音。 




 あ、雨がやむ。

 雨が降った後の匂いは、なんていうのだろう。

 調べてみたいけれど、ミカさんはまだ目を閉じた世界に浸っていたかった。

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