人間嫌い


「あたし、人間嫌いなんですぅ」


 

 ペラペラっとした台詞に、思わずミカさんは目線をあげた。他フロアの子がやってきて、上司と仲良く話しているところだった。



 一体どんな会話をしたら「人間嫌い」というワードが出てくるのだろう。しかし、驚いたのはその後の上司の言葉だ。



「ああ、私も嫌いよ。人間」



 ミカさんは、ぽかんとしてパソコンの画面を見つめた。



 ──ここ……地球だよね? 知らないうちに宇宙に来てたっけ?




 ミカさんが面食らったのには、理由がある。



「人間嫌い」という人に、初めて出会ったこと。

「人間嫌い」という人は、人と関わる仕事をしないと勝手に思っていたこと。(ミカさんの会社は接客業である)

「人間嫌い」という台詞を、あんなにも明るい調子で話していたこと。

「人間嫌い」という割には、めちゃくちゃ話しかけてくること。



 などである。

 ──人間嫌いって、一体どういうことだろう?




 ミカさんは考え込んでしまった。彼女たちに聞いてみれば、すぐに答えは出るのだろうけれど。

 目線をチラリとむけると、二人はまだキャッキャ言いながら笑顔でおしゃべりしている。






 ──人間、人間。




 頭の中でつぶやきながら、ミカさんはパソコンを打ち込む。



 人間、人間。

 カタカタカタカタ。


 にんげん、にんげん。

 カタカタカタカタ、ターン。




『人間ヨコシテ、サッサト行ケ』




 何故だか、もののけ姫に出てくる猩々の台詞がパッと浮かんできた。

 彼らの場合、完全に人間を憎み、拒絶していた。


 もののけ姫に登場する猩々は、森の賢者と呼ばれていたにも関わらず、闇に溶け込むような体に赤く不気味に光る瞳を持った容姿で、遠くから石を投げつけ、片言で会話をするなど、とても賢者とは思えない。


 彼らは森に、神に不満を抱きながら、人間を憎み、卑怯に集団で蠢いて文句を垂れ流す、心を蝕まれてしまった森の賢者の姿として描かれていた。



 その猩々の姿は、どこか人間に似ていた。





 カタカタカタカタカタカタカタカタ。


 ミカさんは、パソコンに向かって数字を打ち込む。他フロアの子は、もう仕事に戻って行ってしまった。電話の鳴る音、誰かが話す声だけが時折響く。



 猩々の「人間嫌い」と、あの子の「人間嫌いなんですぅ」の言い方にはかなりちがいがあるように思えた。



 それがわかるようで、わからなくて、ミカさんはなんだかモヤモヤする。

 時計を見ると、もうすぐ退勤の時間に近づいていた。ミカさんの本番の仕事は、これからだ。



 息子をお迎えにいって、ご飯を作って、洗濯物をたたんで、お風呂を準備して、息子をお風呂にいれて、歯を磨いて……。



 思わずため息が出てしまう。

 結局、座る時間があるのは夕飯の時くらいだ。



 すべての育児タスクが、すんなりいくわけではない。時々、わけのわからないことで泣き叫ばれたり「ごはんいらなーい」と言われたりすると、もう大変である。


 

 子育ては、理不尽なことばかりだと思う。

 なんでもかんでも母親にぶつけないでよ、ってミカさんは投げ出したくもなる。




 ──あ、そうか。




「わたし、人間嫌いなんですぅ」の台詞がわかった気がする。あの突き抜けて明るい「人間嫌い」




 

 ミカさんは、息子が好きだ。

 けれど、母親を投げ出したくなる時もある。

 けれどもやっぱり、なにがあっても、これから先も息子のところに戻ってくるだろう。

 好きだから。





 きっと、彼女たちの「人間嫌い」はそういうことなのだと思う。

 嫌いになるときも、好きになるときもあるけれど、離れられないどうしようもなく恋しい存在。






 もし面と向かって

「わたし、人間嫌いなんですぅ」と言われたら、

「私はあなたのこと、すきだよ」




 大丈夫だよ、わかっているよ。

 と突き抜けて明るく言ってあげたい。

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