ミカさん、腕をなくす

 ミカさんの新しい職場は、男子校である。


 男子校だと知ったのは、内定をもらってからだったので、一体男子校とはどんなところだろうかと、ちょっぴり不安に思ったり、ちょっぴり楽しみであったりした。



 ミカさん自身、六年間女子校で過ごしたので「まあ、女子校の男子版だろう。かわいいもんだ」と気楽に考えていた。



 ──が、しかし。

 ミカさんはその考えが甘かったことを痛感することになる。



 

 授業開始十分前。

 駅の改札には高校生たちがわらわらいる。

 

 ──みんな、授業間に合うのかな?

 ──それとも、選択授業でのんびり登校組?



 出勤途中のミカさんは、首をかしげる。

 信号が、赤から青に変わる。


 わらわらわらわら。

 男の子たちの行列。

 学校に向かって、わらわらわらわら。



 授業開始五分前。

 突然、走り出す生徒たち。



 そのスピードは……マグロ!!!!

 黒い制服の男たちが、ビュンビュン走り始める。



 ──危ない。

 ──ぶつかったら、確実に死ぬ。




 校舎の曲がり角。

「きゃっ!」

 ミカさんは、倒れる。ぶつかった相手が、手を差し伸べてくれる。

「大丈夫ですか?」

「だっ……だいじょうぶです……あ、ありがとう」






 ──なんて、そんな漫画みたいなことは起きない。





 突然、右肩に衝撃をうけた。


「どワッふ!!」


 こういう場面で「きゃっ!」というかわいい声は出ない。おっさんみたいな声がでるのだ。


 どうやら、走ってきた生徒がミカさんの肩とぶつかったらしい。ミカさんは、よろける。あのスピードがあたったのだ。


 ──腕。腕は? ついてる?


 ミカさんは朦朧とする。


 ──もしかして、アタシ、異世界に転生されちゃった? こんな転生の仕方、どんなラノベでもないでしょ!?



「あっ、さーせん。大丈夫っすか?」


 はっと、脳内厨二病から帰還したミカさんは、右手をあげて答える。


「大丈夫、大丈夫。授業、はじまるよ」


「あっすぅぅぅうーー」


 生徒は瞬時に走り去る。

 あっすぅーって、なんだろう。「あざっす」と言ったけれど、消え去るのが早すぎて「あっすぅぅぅうーー」になったのだろうか。



 ミカさんは、かろうじてくっついている腕をなでた。


 男の子というのは、不思議である。

 見ているとお馬鹿でかわいらしくもあり、優しい素直な青年ばかりである。



「グエエエエエエエエ」

「ギャアアアアアアア」



 突如、響き渡る悲鳴。

 ミカさんは事件かと思って顔色を青くした。


 けれど、上司はウフフとコーヒー片手に微笑む。


「これ、通常よ」



 これが通常なのだろうか……。

 ミカさんは、旦那さんのケイさんに聞いてみたが、やはり奴も高校時代、奇声をあげていたことが判明した。

 どうやら本当に通常、いや、日常らしい。





 男の子は不思議である。

 松葉杖をついている子を五人は必ず見かける。


 男の子は不思議である。

 傘をささない。


 男の子は不思議である。

 カラスに似た鳴き声をあげて、走り去っていく。


 男の子は不思議である。

 なんか、臭い。


 男の子は不思議である。

 集中した時のパワーがすごい。





 男の子とは、不思議な生物であり、面白く見ていて飽きない。


 そう思うのは、ミカさんが男の子の母親であるからかもしれない。


 けれど、毎日アホなことをして笑ったり、勉強する時は勉強したり、時には椅子を繋げて眠っている彼らをみると、自然と笑いがこみあげてくる。


 どうかそのまま、のびのびと大人になっていって欲しいとミカさんは思う。








 ミカさんが帰宅すると、ソファに座ったケイさんとユウくんがお互いに人差し指を突き出しながら、無言の攻防戦を繰り広げていた。



「なにしているの?」



 ミカさんがたずねると、振り返らずにケイさんが言った。



「鼻くそつけようとしてくるから、パパも鼻くそつけようとしているの」





 男子って、永遠の愛しきアホである。

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