ロス

 テレビから長いコードが垂れている。その頼りなく細い線をたどっていくと、ヘッドホンに繋がっている。


 ヘッドホンをしているのは、旦那さんのケイさんだ。そして、ミカさんはソファーの縁に座って、両手でケイさんの髪の毛を掴んでいる。



 正面から見たら、ヘッドホンをしてテレビを見るケイさんにまるで肩車されているようなミカさんの図……に見えただろう。




 いやいや、読者諸君。待たれよ。

 これはドメスティックバイオレンスではない。



 ミカさんは毛繕いをしていたのである。日本猿のように。





 なぜこのようなことをしているのか。それを語るには、長い前置きが必要である。




 ケイさんは、ほとんど家にいない。お仕事が忙しい。



 夜勤もあるし、土日祝日も出勤だ。

 帰りも遅い。


 家にいるケイさんは、SSRキャラである。

 そう、すーぱー、すぺしゃる、れあ。




 だからミカさんはケイさんの姿を見つけると、はしゃいでしまう。



 けれども、最近悩みがある。



 何の話をしたらいいのだろうか。


 ミカさんとケイさんは、もう新婚ではない。

 世の中の夫婦というのは、一体何を話しているのだろうか。



 子どもの話? 仕事の話? お天気の話? テレビの話?



 そもそもケイさんは今、ヘッドホンをしていて話しかけても聞こえない状況であった。




 ミカさんは悩んだすえに、ソファの縁に登り毛繕いを始めたのだ。



 だが、ケイさんはテレビに夢中である。

 結婚してからの年月が、スキル「イタズラ耐性」を覚えさせてしまったようだ。




 ——ぬあああ、かまってくれえええ!




 ミカさんは毛繕いをやめて、ソファとケイさんの間に滑り込んだ。それから、Tシャツをぺろりんと持ち上げてみた。



 ケイさんは微動だにしない。テレビに夢中である。



 ——なぜだ、けしからん!!



 ミカさんは、うぬぬとうなった。

 こういう時、可愛い子ならどうするのだろうか?



「もーぅ! かまってよーぅ」


 ぷくっとほっぺを膨れながら、ヘッドホンを後ろから奪ったりするのだろうか。



 ——そんなスキル持ち合わせていない!



 とりあえず、ミカさんは背中のホクロを数えながら脳内で作戦を練ることにした。



 一、二、三、四……。



 ——そもそも、そんなに夢中になるほどこのドラマは面白いのだろうか? アクション系海外ドラマのようだ。



 十、十一、十二、十三……。



 ——さっきから、暴力シーンが多めだな。



 二十五、二十六、二十七……。



 ——昔は二人でよくアニメを見たのに。いつからこんな暴力的なドラマを見るようになったのだろう。



 四十一、四十二、四十三……。



 ——もしかして、ストレス? ストレスなの? 暴力シーンを見て発散しているとか?



 ミカさんは焦った。

 色んな意味で。



「ねえ! 背中のホクロが七十個以上あるんだけど!」

「えっ? なに?」


 ヘッドホンをとって、ケイさんが振り返った。


「ホクロが七十個以上あるんだけど! これって大丈夫なの?」

 

 そもそも、これはホクロなのだろうか。シミとホクロの区別がつかないほど、小さな黒い点がいっぱいある。


「ああ」と言いながら。ケイさんはドラマを一時停止させた。



「これね、大学生のころ川に遊びに行ったの」

「うん」

「そしたら、できちゃった」

「そっかー」


 紫外線には気をつけよう。ミカさんは思った。



「ねえ、このドラマ面白い?」

「全然」

「なんだかグロくないかい?」

「ね。すぐ拷問されんの」

「面白い?」


 ミカさんは再度聞いた。


「全然、面白くないよー」


 ケイさんは思春期の娘のようなため息を吐いた。


「どしたの?」

「24って、ドラマあったじゃん?」


 24とは、捜査官ジャック・バウアーとテロリストの戦いを描いた海外ドラマで、何年も前に流行った。


 そして、ケイさんは流行からかなり遅れること、約五年前24にハマって眠れない夜を過ごしていた。


 

「もしかして!」


 ミカさんは唐突に閃いてしまった。


「そう、ロスなんだ!!」



 なんということでしょう。

 ケイさんは五年もの長い年月。24のロスを抱え、心の穴を埋めてくれるドラマを夜な夜な探していたのだった。



「でも、ミカさんはこういう暴力的なドラマ嫌いじゃん? だからヘッドホンして見てたんだよねぇ」



 なんという気遣い。

 だが、映像は垂れ流しなのだ。とりあえず、ミカさんはお礼を言った。



「ねぇ、そんなに24好きなら、もう一回見れば?」


 ヘッドホンをしてドラマの世界に戻ろうとしていたケイさんが、振り返った。

 目がまんまるになって飛び出しそう。



「たしかに!!」


 ケイさんは叫んだ。

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