夢よ 希望よ 愛よ 私に翼を下さい 第五部 闇の中を光に向かって突っ走れ
青 劉一郎 (あい ころいちろう)
第1話 第一章 いざ、志摩へ・・・
「三重県の志摩は、もう少し時間がかかります。その前に、その分岐点になる多気駅に、もうすぐ着きます」
ヤソは横に座る智香の顔を見上げた。列車は田園風景の中を走っていた。彼方には鈴鹿連峰がどっしりと腰を据えていて、この平野を見守り続けていた。
彼・・・ヤソはここまで何度か智香が傍にいるのを確認したが、今もう一度見て確かめておきたかったのである。
ヤソの主人真奈香様の子供が、これから行こうとしている宿命の旅の厳しさに耐えられるのかということを、しっかりと確認しなければならないのである。
「やるしかない宿命なのですよ」
「分かっているわよ」
ヤソは、これまで何度も確認した。
智香は少し顔をこわばらせて、頷いた。逃げても逃げられないのは、もう納得している。そうかといって、彼女の心の隅っこではまだ多少ざわつきがあった。
JR名古屋駅構内のJRの改札口の前で、どこの駅まで乗っていいのか、智香が迷っていると、七歳くらいの少年が声を掛けて来た。何処かで見たことがあるような子供であった。
(ここが・・・)
ここまで一人で出て来たのも、はじめてだった。母真奈香と来て、一矢と会ったことがある。今・・・不安も怖さもない。それは一人で平安の時代で、一年間暮らしたしいう自信だった。
これから、志摩に向かうのはよく分かっていたのだが、何分彼女は何でもって志摩に向かっていいのか、まるっきり分からなかったのである。ちょっと見、声を掛けて来た少年の背が低いこともあって可愛く見えたが、よく見ると顔のバランスが少し崩れていて、醜いことはないのだかへんな子であった。
でも、智香には何処かで会ったことがあるような気がした。しかし、すぐにははっきりと思い出せなかった。
「ねえ、あたいと何処かであったことがある?」
智香はじっと少年の顔を見つめた。すると、少年は彼女を見つめ返し、こくりと頷いた。
「私ですよ、智香様」
と言ってきた。
「分かっているわよ、見たことがあるもの。でも、誰だかよく思い出せないのよ」
「ヤソです。いつぞやお会いしたヤソです。ええ、真奈香様の祈りの檀に隠れていたヤソです」
智香はじっと見つめたがどことなく気弱な印象の少年だ・・・と確認して、やっと思い出
した。
「でも、今のあなた・・・あの時のあんたとは全然違うわね。すっごく頼りがいがあり、
元気に見える。それに、妙に明るいのが気になる。なぜなの・・・何があったの。あの時、あんた、何に怯えていたの?あの気弱さは何処に隠してしまったの?」
智香は、にこりと微笑んだ。
「つまらないことですよ。そんなに問い詰めないで下さい。この先のことは、主役は・・・あなたなのですから。私は、ただ真奈香様の命令通り動いているだけなんです」
ヤソは短い舌を出した。ヤソは続けて、話す。
「だって、あの頃は、私の身の周りでいろいろ悲しい出来事があったんです。ええ、起こったことが多過ぎて、いつも怯えていたんです。特に、私のご主人様、智香様のお母様である真奈香様が亡くなり、私はどうしていいのか途方に暮れていたのです。このまま生きていていいのか、一層真奈香様の後を追って行こうとも考えていたのですが、あの事が起こる前から何度も何度も言われていました、あなた様・・・智香様を守り、これから行こうとしているその宿命の入り口まで案内しなさい、それだけではなく、あの子が生まれて来た使命を果たせるまで守って下さい、と。だから、私はあんなに悲しいことがあっても、惨めな姿を晒していてはいけない、と自分を元気付けたのです」
「あたいがこれから行こうとしている・・・あの宿命の入り口?」
「はい、そうです。智香様がこれから行こうとしている志摩という空間への入り口です」
ヤソが言っている意味をすぐには理解出来なくて、智香は首をひねった。
「あたいは、お母様とお父様の生まれたところに行くのよ。お前も洋蔵と同じことを言うのね」
「はい、私にはよく分かっています」
ヤソ少年はくすっと笑った。そして、
智香は叔母砂代から聞いた真奈香と六太郎の
(時々、あたいの前に現れる男の人は・・・誰なの?)
この子が、これから先何があるのか、また志摩という場所で何が待っているのか、全部知っているに違いないと思い、彼女は口を開いた。
「黙って下さい。智香様、私は何も答えられません。あなた様が志摩に行き、あなた様が自分の目で見て、その事実を知ってください。そして、闘いに勝ってください。私は・・・今の所、そこまでお供は出来ないのです」
「もう迷いはない筈です」
「そうよ、何もない・・・!」
ここまでやって来て、どうしたらいいのか迷っているような素振りを見せている智香に、ヤソは、
「そうです。もうすぐ着きます」
と、きっぱりと言った。
JRの名古屋駅を出発して、一時間二十分ばかり経っていた。その間に話すことはほとんどなく、二人ともずっと黙っていることが多かった。ヤソが智香をじろじろと見て、ちょっとしゃべるだけだった。雲出川に架かる大きな橋を渡ると、ヤソは、
「多気駅はもうすぐです」
「えっ」
と、智香は驚き、ヤソを睨み付けた。
ヤソは小さな目をくりくりさせながら、横に座る智香の手首を見た。何もしゃべらなかったのだが、時々その黒い痣を見入り、目を潤ませていた。
智香は気付いていなかったが、ヤソは今にも悲しさのあまり、
(キィー)
奇声を上げるのを我慢していたのである。
列車の中は冷房が聞いていたが、それほどひんやり感はなかった。
(気持ちいい・・・)
空気の流れだった。
長い袖に隠れるように黒い痣が見えてしまう。しかも、両方の手首である。その痣の怨念を、ヤソは真奈香から聞いていた。
ヤソは急に悲しい表情を見せた
(この方は、自分が背負った怨念に打ち勝つために、陰陽師の厳しい修行に耐えられてきたのだ)
《そうだ、そう、なんだ、この方は、白眉の使者なんだ。この方は、本当は強い方なのだ。だけど、まだ真奈香様に甘えたいのだ。まだ、十三歳なんだ》
ヤソは自分に言い聞かせた。
「ここです、ここで降りて下さい」
ヤソは素っ気なく言う。どうやらこの子は時々感情というものを持ち合わせていないのかも知れないと思わすにはいられない。
「ここで?まだ、志摩じゃないよね。お母さまが生まれ育った所じゃないよね。確か・・・次の止まる駅は、多気って言っていたような気がするけど。ここは、多気なのね」
「ええ、そうです。この列車に乗っている人は、このまま乗って行き、紀州の方の方にいきますが、あなた様はこの多気という駅で一旦降りて下さい。ここで違う列車に乗り換えるのです。とにかく私の言うとおりに降りて下さい。智香様は直接鵜方という駅に行くのです」
「鵜方・・・直接鵜方へ・・・」
智香は顔を歪めた。このヤソという真奈香の鬼神の言うとおりにしなければならないのか、本当のところ、彼女には分からなかった。
(何なの、この子!)
智香は気分が悪かった。何だか、自分の意志ではなく操られているような気分だった。ヤソの言う通り多気駅で降りた、周りは田んぼばかりで特に眼を引くようなものは、駅前に歓迎のアーケードがあるだけで、眼を引くような景色も建物もなかった。
多気駅のホームは三つあった。西側の一番ホームは紀勢本線で尾鷲、勝浦方面に続いている。真ん中の二番ホーム、三番ホームは伊勢参宮線で終点は伊勢市である。
今日は、その多気駅で一人として乗り降りする客はいなかった。それが、かえって不思議に思えた。誰かが乗っていたような気がしたが、智香が乗っていたのは紀勢本線の列車だから尾鷲、勝浦方面に乗って行ったのかも知れない。
「こんな処で降りて、どうするの?」
智香は怪訝な目でヤソを睨んだ。そう、彼女はまだこの少年を、あのヤソとは信じていなかった。あの怯えた少年が・・・こんなに生意気で偉そうだなんて、彼女はまだ信じられない気分だった。
「こっちです、こっちのホームに行きます。私の後に付いて来てください」
ヤソは一番端の四番ホームまで智香を連れて来た。そこは、今はもう使われていないホームのようだった。
「さあ、ここで待ちましょう、すぐに別の列車が来ます。少し待ちましょう」
「さっきのホームでは、だめだったの?あの列車で行くんじゃないの?それに、こんなホームに列車はやって来るの?」
「もうすぐ来ます。智香様は特別なのです。ここからは特別な列車は来ます」
「えっ、ここで乗り換えする人たちとは違う場所に行くの?伊勢の方じゃないの?あたいは、志摩に行くのよ」
ヤソ少年はくすくす笑っている。
「何がおかしいの?あたい、変なこと、言った?」
「いえ、すいません。話せばややっこしくなりますから説明しませんが、あの人たちと同じ鵜方駅に着くのですが・・・走る線路は特別な空間を走るのです」
ヤソ少年は黙ってしまった。これ以上は、私が説明した処で理解してもらえないと思ったのか、小さな口をつぐんでしまった。
「何なの・・・お母様から何を言われているの?」
ヤソ少年は智香から目を背けたままだ。
「あっ、時空間列車が来ましたよ」
ヤソは北の方向を見ている。
こっちに向かって来る列車が見える。
「あれ・・・あれが何で、ここに?ここまで乗っていたのと同じ列車だよ。何なのよ、どうしてここで降りたの?さっきの列車で行けば良かったんじゃないの?」
ヤソ少年はまた黙ってしまった。
彼女はヤソに指示されるまま、開いたドアから列車の中に入った。到着した列車の外観は確かに先に行った列車と同じなのだか、違っていたのは中で誰も乗っていなかったことである。それに冷ややかな空気が漂い、ぞっとする感覚が漂っている。
智香には奇妙な雰囲気というか異様な怖さを感じた。この感じに、彼女は覚えがあった。
(あれが・・・なぜ、ここに?)
彼女は肩を二回ブルっと震わせた。
「誰もいないよ」
智香は不思議な場所に飛び込んでしまった気がした。
(いや違うわ)
やはり、ヤソによって連れて行かれる気分だった。でも、彼女は自分の意志で志摩に向かっているのである。行く所は、母真美香の生まれ育った志摩だけれど、何かが待っているような気なって来た。彼女は窓の外の景色に目を移した。ホームから見えたのと同じ田んぼと青く澄み切った空の色だった。その青さが、列車の進行方向に移すと、もっと澄み切って見えた。
「動くわ」
車体がガクッと揺れると、ヤソはドアが閉まる前に、列車から飛び出した。
智香はびっくりして、窓を開けた。そして、窓から顔を出し、ヤソを睨みんだ。
「どうしたの、ヤソ?降りるの?あたいと同じに行ってくれないの?」
彼女は自分も降りようとしたが、ドアはもう閉まってしまった。
「はい、私はここで降ります。私がお供するのは、ここまでです。私が真奈香様から命じられたのはここまでなのです。ここからは。智香様が御自分の力で、ご自分の宿命と闘い、背負わされた怨念に打ち勝ち、いつの日か・・・数時間後か、数日後に今の時代の人々と同じ列車で、こちらの世界に帰って来て下さい。どうか、ご自分の宿命に打ち勝ち、真奈香様の真の姿を見つけられることを願っています」
こう言うと、ヤソは智香から顔を背けて、彼女の視界から消えてしまった。
「待って」
と叫んだが、彼女の声は聞き取れないくらい小さかった。
列車は動いていたが運転手はいなかった。仕方なく智香は一番前の座席に座った。
「空の青さが・・・眩しい」
智香は呟いた。彼女は目を細め、左手で覆った。空の色があまりに真っ青だったからである。あの青い空の下に、お母様がいらっしゃる・・・」
いや、違う。若いお母さまが・・・いたのだ。
今の彼女にはこれ以上の言葉は出て来なかった。
見送るヤソは、
(また会いに行きます、まだ、一人では心配ですから)
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