第十章  美和と卓も志摩に・・・ 

池内美和がベッドに入ったのは、午後九時を少し回ったころだった。いつも通りの時間だった。

(いつ頃から・・・)

と彼女は思い返してみたが、はっきりとしたことは思い出せない。ただ、その頃から急に寝つきがよくなった。

彼女はすぐに眠りの中に入り込んだ。


そこは・・・彼女は、その場所をよく知っている。眠ると、これまで何度もやって来ていた白い、いや違う、ちょっと変わった言い方をするなら、濁りのない白い空間にいた。


「誰?」

美和は、そこにいる気配に問い掛けた。形としては何も見えない。でも、何かが・・・誰かがいるのは確かであった。彼女自身もそこにいたが、確かな自分として認識していたわけではない。

「私ですよ」

美和は声のする方を見た。

「・・・」

その主は見えた。

そこには、女の人がたたずんでいた。美和は・・・誰?と尋ねようとした。しかし、美和は口をつぐんだ。なぜなら、何処かで会ったような人だったからである。

(いや、違うわ)

見たような人に見えただけだから、言葉を飲み込んだ。

「私を覚えていますね」

女の人は尋ねてきた。

美和は小さくうなずいた。

女の人は微笑んだ。そして、もう一度微笑んだ。今度は、本当に嬉しそうに見えた。

その笑顔を見て、美和も笑みを見せたが、すぐに顔を強張らせた。

「どうして・・・今、私の前に現れたのですか?私に何をせよと!」

美和は訊いた。彼女の素直な疑問だった。

「どうして、ここにいるのですか?今、智香は志摩にいます。あなたも志摩に行って欲しいのです。そして、智香を助けてやって欲しいのです」

「えっ」

と言った後、美和は次の言葉が出て来ない。時々私の夢の中に現れて来るこの女の人は嫌いではない。でも、今・・・どうして・・・何をせよと言うのですか?と彼女は言いたいのである。

「ほほっ」

女の人は声を出して、笑った。その声が余りにも嬉しそうだったので、美和も少し強張った表情を崩してしまった。

「もう一度言います、志摩に行ってほしいのです。そして、先に行っている智香の力にやってほしいのです」

「えっ!」

美和は智香が一人で志摩に行ったことを知らない。

「本当です」

「でも、なぜ?」

美和は気の弱い女の子だったが、誰よりも感受性の強い子だった。だから、智香が何らかの悩みのようなものを持っているのは気付いていた。でも、一年もの長い入院生活から帰って来てから、智香はずっと逞しくなった。その実感を、美和は感じていた。これは、彼女だけの印象ではなく、卓くんもそうおもっているようだった。だから、以前のように彼女の方から、どうしたの、というようなことを聞くようなことは無くなっていた。

「あの子は、今自分の背負った宿命を、恐ろしい相手に一人で闘おうとしています。あの子はきっとその宿命を打ち砕くと信じています。人は誰しも何らかの宿命を背負って生まれて来ます。でも、一人より・・・特に美和、あなたの力が必要になる時があると思います。だから、どうか志摩に行って、智香を助けてほしいのです」

その女の人は涙声だった。美和にはそう聞こえた。だから改めて、

「あなたは・・・誰?」

美和がこう聞いたのは、この夢の中では女の人の顔がはっきりと見えなかったからである。優しい声と立っている姿で女だと分かるが、顔かたちなると、さっぱり分からなかった。

女の人は小さく首を振った。

「じゃ・・・お願いしますよ」

と言うと、女の人の姿は消えてしまった。


池内直は胸騒ぎを覚えた。何時ごろから自分の娘に、こんな気持ちを抱くようになったのか、考えてみた。

(そうだ、あの時からだ)

と直は思った。小学生の時に行った修学旅行から帰って来た時から、この子は変だった。へん・・・彼女にもどう変なのか説明できなかった。娘が変わってしまったと言った方がいいかも知れない。

「卓君と志摩に行って来る」

直は、この子は何を言うの!まだ中学生なのに、志摩のような遠い所に行くという。まったくどうかしている。直は少し苛立った表情を見せ、自分の娘を睨んだ。だが、

「大丈夫・・・」

と、直は言ってしまったのだ。この時点で、母直は娘が志摩に行くのを了承した。この子を信頼しているというより、すでに母の私を追い抜いてずっと大人になってしまっている。そういう感じを持ってしまっている。母には反抗をする可愛い十一歳の違いはないんだけど・・・。

直はこんなことを考える自分を時々笑ってしまう。でも、そう思うから仕方がない。私も母に反抗したことはあるが、美和とはちがう子ども染みた幼いちぐはぐな感情だった。

「ふっ」

直は笑ってしまった。


飯島卓は美和と共に志摩に向かっている。昨日、美和から知らせを受けるまでもなく、突然彼らの前から姿を消した智香を気にはしていた。改めて、智香の叔母砂代に聞くまでもなくも智香が志摩に行っただろうことは容易に想像がついた。彼自身どうすべきか悩んでいたのだが、美和から、志摩に行こうと誘われた時正直驚いた。しかも、智香を助けに行こうと言った一言が、彼の気持ちを決断させた。

「おい、美和」

卓は美和の方を向いた。

「何!」

美和は、車窓の流れて行く景色から目を離さない。卓は美和と落ち合う前に、美和の母直に連絡をした。志摩に行くけど、いいですか、と。どんな返事がくるのか怖かったのだが、あっさりと一緒に行ってやってと言われたのには驚いた。

「お前、どうして智香が志摩に行ったと思ったんだ?」

美和は肩を震わせたが、ゆっくりと卓の方を向き、

「どうしてか、な?そう思っただけ・・・」

と笑った。

卓は美和を睨んでいたが、すぐに目を逸らした。こいつ、いつからこんなになったんだ。卓の知る女の子の中で、一番泣き虫な女の子に違いはないんだけど、時々俺なんかよりずっと大人に見えるのは気にせいかな・・・まあ、いいか。

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