第二十三章  志摩の吐息が、そこに・・・ 

南小四郎は立ち上がり、背を伸ばした。

「あぁ・・・」

 また、吐息を漏らした。気分転換のつもりで、外に出た。部屋の中にいる時には分からなかったが、もうすっかり暗くなっている。何かをするという当てはなかったが、南の階段に向かった。

気になっていた。

 小四郎は階段の降り口で足を止めた。

 案の定、若いデザイナーの部屋の明かりは点いていた。

(わかい・・・のか?)

小四郎の印象は、いつも、こうだ。しかし、判然としない所があった。瞬間見せる眼光の陰気臭い輝きは異様そのもので、長年培った刑事の目でも推し量れない恐怖があった。

一日、二十四時間の内、何時間、寝ているのか分からない無茶な生活をしているようだ。そんな感じがした。小四郎がずっと気になっていたのは、いつか見た奇怪な生き物を描いた絵だった。生き物・・・だったように見えたのだった。気になっていたのだ。

 だが、どんな絵だったのかは、はっきりとは思い出せない。だから、もう一度見たい。

 入り口の戸は閉まっていたが、キッチンの小さな窓は開いている。近付き、そっと背伸びをした。五つだったかな・・・志摩の海に一人で行き、海の中に潜り、異次元世界を怖いもの見たさに心を震わせた時のことを思い出させた。

 中を覗き込もうと、窓に顔を伸ばした時、

 「あっ!」

 と、小四郎は不覚にも声を出した。

目があった。

すぐに逸らし、逃げようと思った。

 だが、体が動かない。

 「なんだ!」

 若いデザイナーの目が鋭い。直感から、この男は犯罪者なのか・・・と感じたのだが、そういう類いの生き物ではない。自分の手が震えている。

 小四郎は、少し前、智香と闘う男を見のだが、今の瞬間、脳裏に浮かび上がったのが、その男だったのだ。

 小四郎の足が止まったままだったのが、くそっ、と自分の気持ちを奮い立たせ、そのまま逃げるようにして階段を降りた。俺としたことが・・・と自分のびびりとった行動に言い訳をしている。

その思いはすぐに消えた。

 (あいつ・・・なのか!)

 そう見えた。

(気のせいなのか!あんな化け物が、俺の近くにいたのか・・・)

小四郎の体は、まだ小刻みに震えている。

(馬鹿な、俺としたことが・・・)

歩いているうちに、だんだんと落ち着いて来た。

小四郎の足は、自然とたぬき屋に向いていた。夜には、行った記憶がないが、まだやっている筈である。堪らなく、たぬき屋の老夫婦に会いたくなったのである。

事件が解決した後の休日に、たぬき屋に行くのが、ほとんどない楽しみのひとつになっていた。

今日は違った。耐えられない疲労感に襲われていた。自分が、自分でない気がする。

たぬき屋の明かりは点いていた。

なぜか落ち着く。不思議な感覚に陥ってしまう。

中に入ると、厨房の中で老いた夫婦が並んで二人が座っていた。

「いいかな」

親父が、

「いいですよ」

と立ち上がった。

この日、それ以上、小四郎は口を開かなかった。親父も話しかけて来ない。それが良かった。


小四郎は鵜方駅前のビジネスホテルに泊まった。

部屋に入ると、着替えもせずに寝てしまったようだ。どれだけかしてベッドから起き、背伸びをした。部屋の中にはエアコンの冷気が流れている。窓に目をやると、南風荘でもそうするように窓が少し開けた。

どうやら、昔の夢を見たようだった。どんな夢だったのか、思い出せない。だが、疲れは和らいでいた。

(よかった)

まだ、午後七時だった。生暖かい熱気が忍び込んで来ている。

三階だった。東の方に、小高い丘のような所には樹木が見えた。その先には志摩の海がある。小四郎はよく知っていた。

南小四郎は朝九時に、駅前にあるレンタカーを借り、座神に向かった。仕事を兼ねているから、川口署長に頼めば、誰かを付けてくれただろうが、彼の方には半分私用の気分があつたから、一人で行動を取ることにした。


小四郎には懐かしい風景が目の前にあった。

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