第三十三章 呼び寄せられる人たち
ぬいの長い話は終わった。
「それから・・・」
智香が立ち上がると、ぬいが、
「ご存じないと思いますが、真奈香様には、典子様と言う妹がいらっしゃいます」
と、言い足した。
「えっ、お母様には、妹がいたのですか?」
何も聞いていなかった。それ以上の言葉が出て来ない。
「典子様といいます。結婚されていて、今は横山という所に住んでみえます」
智香の脳裏を閃光が走った.
(その人も、ひょっとして何かを知っているのでは・・・)
確証はない。そう思うだけである。
(会って見たい)
「お母さまは、あの人が荒れ狂う英虞湾に出て行ったのを知っていたのかしら?」
ぬいは唾を飲み込んだ。
「安貴様が座神からいなくなり、何かを・・・感じておられたと思います」
(かわいそうな、お母さま)
智香は涙を流した。
「お母さまの好きな方って、その方・・・安倍安貴様なのですね?」
ですね。
ぬいはゆっくりと頷いた。}
智香は男の人を・・・異性を愛したことのなかったけど、
(一矢さま・・・)
浮かんだその姿は、一瞬だった。
智香はぬいから目を逸らさず、聞いた。母真奈香には絶対聞けなかった問い掛けだった。
「どういう方でしたか?」
「とてもやさしくて力強い方です。いつも真奈香様の傍にいて気遣って見えましたよ」
「その写真の方ですね?」
「はい」
と、いい、ぬいは頷いた。
智香は改めて、写真の人を見た。
(確かに、この方は・・・)
言いかけたが、もう一度確かめるために、写真から目を逸らした。
「確かに・・・でも、この人、安倍様は?」
智香は事件があった夜中のことを話そうとしたのだが、
ぬいが、言葉をついだ。
「ええ、確かに・・・」
(やはり、あの時の人に違いない)
智香は確信した。
「二人は、どういう関係だったのですか?」
智香は思い切って、訊いた。
「それは・・・もう・・・」
ぬいは自信を持って、答えた。
「真奈香様の方がより好意を持たれていたようです」
智香はちょっと首を傾げた。
(お父様ではなかったの・・・)
言葉に出そうと思った。
もう少し詳しく安倍安貴との間柄を聞きたかった。
「そのかたの事を、ぬいさんが知っているだけでいいんです、教えて下さい。その方のことも、何もかも・・・あたい、何も知らないんです」
「安倍安貴様は立ち振る舞いから行動から非常に尊い方に見え、その振る舞いも優雅で大人って感じでした。たえず真奈香様を大事にされ、けっして疎まれることはなかった。真奈香様だけではなく、座神の人たちにも平等に接し、いつも人を愛し、とても優しい方でした。お二人を見ていて、本当に仲のいい恋人同士に見えました。きっといつの日が一緒になられるだろうと思い、私たけでなく・・・座神の誰もがそう思っていたように思います」
「でも・・・」
ぬいの目は曇った。
「あの方・・・生きていらっしゃいましたのですね」
(いきて・・・?)
「何があったのですか?」
「智香様、よくお聞きください、確かな事実は分かりません。六太郎様にしか分かりません。その六太郎様もこの世界にもう生きて見えません。今はもうあの方だけが、真実をお知りになられます。でも、私が聞き、知っていることだけをお話しします。智香様は、知っていい出来事だと思いますから、お話しします」
智香は改めて一度写真を見た。
安倍安貴の濁りのない眼が印象的だった。一矢様よりずっと年上だが、雰囲気は少年のような精悍さが見て取れる。あの夜父六太郎の傍から逃げ去ってしまったのは、間違いなく安倍安貴・・・その人だ。
(これでいい。しかし、なぜ・・・?)
ひとつの疑問が解けただけだった。
(なぜ、お父様は、お母様を殺す必要が・・・殺されなければならなかったの?)
(安倍安貴という男は・・・なぜ、あそこにいたの?)
《真奈香の顔には笑みが浮かんでいた》
のだ。
(分からない、全く理解出来ない、ここで、何があったの?)
「どうしてお父様はお母様を殺さねばならなかったのですか?」
ぬいは首を振った。
「ああ・・・そんな・・・」
大森六太郎が真奈香様を殺すなんて・・・。そんな事実を聞くのは、ぬいにとっては余りにも残酷な仕打ちだった。
智香は、ぬいに助けを求めている。
(・・・)
「本当なんですか?」
「はい、間違いなくお母さまは笑みを浮かべ、泣いていたと思います。この志摩で何があったんでしょう。お互いが好きになり そんなお母さまを、お父様はどう慰められたのでしょうか?そして・・・」
(想像するしかなかった)
ぬいは泣いていた。
(もう、誰もいないのよ)
だから、真実は何も分からない。でも、
(お父様とお母さまは一緒になった)
ということは、お父様はお母さまに・・・台風が通り過ぎる、その時にあった真実を話した
(のかしら・・・)
「ひょっとして、典子様には何かを話されているかもしれません。ああ、いけません、いいえ、それとは別に、一度お会いになった方がいいと思われます」
智香は微かに頷いた。
「詳しい場所は、後でお教えしますから」
その頃の大森六太郎が、真奈香様にどのような愛情を抱いたのか、智香は
(気になったのだが・・・)
若い真奈香がどんな気持ちでいたのか気になったのだが、智香の手首が少し前から痛みはじめ、その苦痛がもう限界に来ていた。
ついに、智香が顔をゆがめる。
(・・・)
「どうされました?」
ぬいのいたわりが慰めにならない。
「ああ・・・」
うなだれる智香。誰かの声が聞こえた。彼女は聞き耳を立てた。
あいつの声は聞こえない。ヤソの悲鳴である。
(それに・・・)
あの子たちが騒いでいる。あたいの白い友だちにもあいつがこっちに向かって来ているのに気付いている。ざわつき、飛び回っている。
(待って、待って、あいつが姿を変えて、そこにいるの。待って・・・)
(誰がいるの?)
智香は、もうひとつの動きを感じ取っていた。
(それは・・・)
智香に心和む感覚が押し寄せて来た。
そのいくつかの感覚の中に、あの人も、
(ああ、あの方も・・・)
いたのである。
そして、
(私の大切な一矢様、卓君、美和ちゃん・・・どうして、この志摩に来たの!)
「ダメ・・・」
智香は奇声を発した。
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