第三十二章  ぬいの語り  その二

智香はぬいの言葉を待った。

「安部安貴様は・・・ああ・・・そうです、あの時、あの方も、違う場所から、五十嵐家の筏の様子を調べに行かれたようです。

「いいえ、確かなことは分かりませんが・・・」

ぬいは声の調子をゆるめた。

「安貴様・・・そうですか、あの方、生きていられたのですね。智香様は会われましたか・・・私はお会いしたことはありませんが、きっとあの方なのでしょう・・・あの方は、真奈香様が愛した唯一のお方です。当時二人の関係は、座神では知らない人はいませんでした。

「ええ、あの方については、それ以外ことは何も知りません。安貴様は、何処からかやって来て、座神にたどり着き、五十嵐様の家に住みつかれました。その時、真奈香様が十三歳ころだったと思います」

「六太郎様より年齢は五六歳くらい上だったのではないのでしょうか。あの方・・・六太郎様以上に真珠を愛し、養殖真珠の知識と技術はすごいものでした。安部様は、特に天然真珠を探し出すのが、誰よりも優れて見えましたむ

「でも、真珠に対するその技術や知識も、自然の力の前には無力だったのです。台風の過ぎ去った英虞湾は元通りの静寂に戻り、いつもの穏やかな波の波形は、何もなかったかのようでした。しかし、あの日のすべての出来事・・・事実は、あのお二人だけがお知りになり、その結果、あのような宿命だったのでしょう。起こるべくして起こった時の流れの悪戯とは思うのですが、悪戯にしては余りにも残酷な仕打ちだったと思います。

「何が・・・あったのですか?」

智香は声を荒げた。

ぬいは顔を強張らし、黙ってしまった。

「話して下さい。何でもいいです、知っていることは教えて下さい」

「大伴家の真珠筏の場所と、五十嵐家の場所とはそれ程離れていなかったのです」

と、ぬいは言う。

「だから、あの嵐の中、しかもその中心に入り、雨風が収まった時です。その時に、お二人は顔を合わしているかも知れないのです」

それ以上の想像は出来ないのです。何があったのか・・・

台風の目の中に入っている時間は長いはずはなく、すぐに波は荒れ始め、風が渦巻くように荒れ狂ったに違いない。

(あの方は・・・)

ぬいは、その気持ちを察したのか、

 六太郎様が壊れた船の残骸に捕まったままの状態で砂浜に打ち上げられたのが、台風が去った二日後でした。

(ええ、六太郎様は生きて見えました。その二日の間、良くも生きていらっしゃいました。そうです、そうです)

その後、

「あの方は、座神から姿を消されました」

「えっ、あの方はどうなったのですか?その時、何があったのですか?荒れ狂う湾の中で・・・」

智香はもう一度聞くしかなかった。

ぬいは首を振った。

その後、あの人を座神で見かけることはなかったのです。あの方がどうされたのか想像できません」

と、ぬいはいう。

「あの日の未明、再び英虞湾が荒れ始める中、お二人は遭難されたのかも知れません。何かがあったのです、お二人の間で・・・。座神ではしばらくの間噂はいろいろたちましたのですが・・・誰も真実は知りません」

と、ぬいはいうのだが・・・

「何があったのか、私には分かりません。真奈香様は何があったのか知って見えたのでしょうか・・・それも、私には分かりません。ただ、その後、真奈香様と六太郎様が共に手を繋いで座神の砂浜を歩いている姿を見ることが多くなったのです」

その姿を見て、座神の人々は、あれこれと噂をしましたのですが、それは・・・

誰もが驚きをもって、そんな二人を見ていました。

「六太郎様は、あの後、何があったのか・・・」

を一切しゃべらなかった。

まるで、あの台風は英虞湾にやってこなかったという印象さえ・・・

「俺たちは夢を見ていたのか・・・」

と、みんなは思ったようです。

でも、実際、台風は英虞湾を襲撃した事実は、記録として残りました。


智香には、余計に不可解な事実が残った。

「どうなさいました?」

顔を歪めた智香に、ぬいは気付いた。

(あいつが・・・あいつは・・・もう、そこまで来ている)

相手が・・・宿命のあいつが・・・そればかりではなく、みんなが・・・そして、あの人が・・・

(あの人が近づいて来るのが、あたいには・・・この黒い痣のある体にはつきりと感じる)

「ああ・・・!」

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