第二十九章 宿命の秘密・・・

青田ぬいは、五十嵐真奈香の娘、智香の宿命に同情していた。真奈香が大森六太郎と一緒になったため、姓が大森に代わっているが、血筋としては五十嵐なのである。

(私の娘に生まれなければ宿命なんて代物はなかったのに・・・)

真奈香そう思ったに違いない。

「許して・・・」

真奈香は何度も詫びただろう。

「私は仕方がない・・・」

と、真奈香は思う。だが、それ以前にもっと大きな宿命を負わされてしまっていたのだ。智香が望もうと望まなくても背負ってしまった避けることの出来ない重い役割であった。真奈香は自分の宿命を素直に受け入れていたのだが、智香の小さな体には荷が重すぎるに違いない。だが、智香は自分の宿命付けられた役割は、いずれ、

(自分で気づき・・・)

立ち向かって行くに違いない、とぬいはそう信じた。いや、そう信じたかったのだ。

ぬいの母くるみは、

(この家族に心底尽くすように・・・それが私の家族に与えられた運命なのです。いえ、やはり、これも宿命といったいいかも知れません。そうですよ、この先ずっと、です。あるお人が私たちの前に現れるまで・・・)

と言い残していた。

「その時まで、よく使えるのですよ」

ぬいは母に頷くしかなかった。その時まで・・・両方の手首に黒い痣がある子が生まれるまで・・・だった。

またゆっくりと話し始めるぬい。

智香の両方の手首に黒い痣があると分かった以上、一時も早く・・・知っているすべてをこの子・・・智香に話さなくてはいけない。ぬいの決心は固い。

「真実のほどは分かりません。でも、私の知っている限りのことをお話しします。私に伝えられ続けたことです。すべての根源は四百余年以上前です。それ以前のことは、私には分かりませんし、教えられていません。智香様に巡り合えて、やっとその時が動き始めたような気がします。あの日・・・あの夜・・・何があったのか?」

(・・・ですね)

ぬいは話し続ける。

「真奈香様が十五歳の時でした。真美香様の旧姓は、さっきお話ししたように五十嵐です。あの日の深夜、午前一時過ぎには志摩地域全体が台風二十一号の暴風圏に入っていました。

自然が創り上げた英虞湾の地形は無敵の要塞でした。しかし、あの台風が直撃した時だけは、穏やかな英虞湾の波が荒れ狂ったのです。大荒れの波は、真珠筏に襲い掛かり、筏を木っ端微塵に砕きました。座神の人々は、その様子を、それぞれの家の中から心配そうに見つめるしかありませんでした。耳を強く抑えても、雨風の轟音はなり止みませんでした」

「でも、台風の目に入った時をねらって、大森家の六太郎様は、育て上げた真珠を守ろうと、船で英虞湾に一人で出て行かれたのです。台風の目に入った時だから、空を見上げると、志摩の青い空がくつきりと見えました。でも、それは一瞬の凪でした。

「みんな、六太郎様を止めました。すぐに荒れ狂うのを、みんな知っていたのです。若い六太郎様は、それでも今は凪いでいる英虞湾に一人で出て行かれました。そして、

「一瞬の風雨の凪はすぐに終わり、また風も雨も荒れ狂い出します。

(志摩は全滅だ)

みんなはまた家の中に閉じこもりました。

(それから、どれだけの時間が経ったことか・・・)

やがて、

「台風が過ぎ去ると、英虞湾はまた静かさを取り戻しました。でも、穏やかな波に戻った海や岩礁には、砕け散ったあこや貝が散らばり、海岸には成長し切れていない真珠が無残に散らばったりしていました。真珠を育てた人たちにとって、胸を掻きむしられる気持ちだったのです。

(父は・・・お父様は?)

ぬいは智香の気持ちを察知したが、話し始めた。目に涙を流し、

「私の仕えていたのは五十嵐の家だったのですが、大森の家の六太郎様の真珠に対する愛情は、座神の誰もが知っていたのです。だから、みんなは無理に、六太郎様を引き止められなかったのです。

「お父様は・・・?」

「帰って見えました、一人で」

ぬいは泣いている。

(智香を見つめ・・・)

両手で目をおおった。

「待っていてください、一人で、どういうことです?」

ぬいは、

「六太郎様以外に、もう一人、荒れ狂う英虞湾に出て行った人がいます」

と目を上げた。

ぬいは頷いた。

「安倍安貴様です」

「安部安貴という人は、どういう人ですか、お母さまとは、どういう関係があるのですか?」

ぬいは立ち上がり、座敷から出て行った。戻ると、

「これしかないんです」

智香は、ネピア色に染まった古びた一枚の写真を受け取った。

(この人は!)

英虞湾を背景に若い真奈香と一人の若者が映っている。

「この人は・・・」

間違いなく、《あの時》にいた人である。その後、一、二度彼女の前に現れ、いつも誰かに優しく見つめられているのを感じたこともある。智香は気のせいかと感じたが、けっしてそうではなかったのだ。この瞬間、彼女の脳裏に、不確かだった幻影が、はっきりと刻み込まれた。

(なぜ、この方はあの時、あの深夜に母の傍にやって来たの、見えない宿命のようなものに導かれたのですか?聴きたい!教えて欲しい、誰に聴けばいいの、今この方に会いたい。お母さまはもういない。二人で何を語り、この座神の砂浜を走ったのですか?)

もっと解せないことある、あの現場での母真奈香の顔に浮かんでいた笑顔だった。

(なぜ・・・お母さまは・・・幸せだったの・・・今も、何処にいて、あたいを見守っていて下さるのですか・・・)

今、その答えが出せる訳がない。

(お母さま・・・)

耳を澄ましたが、母の声は聞こえて来ない。

智香はまだ話していない事件の起こった夜の様子を、ぬいに話した。それ以後のことも話したかったが、彼女にはそれらをまだ冷静に話す自信がなかった。

(でも、話さなければ・・・)

「苦しいのですね、いいです、話さなくて。私には、あなた様の宿命の苦痛を聞いていられません。それに、私には、こうして話す時間が無くなって来ています。そうですね・・・智香様は、安貴様をご存じなのですね」

微かに頷いた。悲しい目である。

すべてを察し、

「ああ・・・」

ぬいの悲痛なうめき声。

「なんという悲しい宿命のもとで命・・・」

まだ話したいことがたくさんあるのに、言葉が出て来ない。

「この人は、もっと打ちひしがれてもいいのではないの、泣いて・・・声を出して泣いていいのではないの、でも、この人は・・・幼い智香様は泣いていない。真奈香様と同じように、ご自分の宿命を素直に受け入れようとしている」

ぬいの目から涙が流れている。そして、

「智香様・・・」

ぬいは気丈に声を上げた。智香を力付けようとした。

「あの方は・・・それで、どうなったのですか?」

智香に、それ以上の言葉は出ない。

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