第四十六話 ︎︎証

 午前七時。


 二人の姿は陰陽寮の駐車場にあった。

 律は後頭部を押さえ、何やらぶつぶつと文句を垂れている。


「ひどいよ優斗、思いっきり殴るんだもん。これタンコブになってない?」


 いつかどこかで聞いた様な事を、律が言った。それに呆れながら、優斗はぷいっとそっぽ向く。


「自業自得だろ。時間を考えろよ」


 そう言いながらも、その手はしっかり律と繋がっている。


 あの後、律は再戦に挑もうとしたのだ。今日は朝から実地訓練だと言うのに、何を考えているのか。優斗は呆れ気味に零す。


「だって~、優斗めちゃくちゃ可愛いんだもん。我慢しろって言う方が無理だよ~」


 何度も繰り返される可愛いという言葉に、優斗はじろりと睨んだ。


「可愛いって言うな。僕は男だぞ。可愛いって言われても嬉しくない」


 しかし律はへこたれない。


「優斗、自分の可愛さ自覚した方が良いよ? ︎︎俺、すんごく心配。絶対優斗の事狙ってる奴いるもん。そんな奴ら、俺が殺しちゃうけどさ、そういう目で優斗を見られるのも嫌。優斗は俺だけのものだもん。勿論俺も優斗だけのものだよ」


 律は無邪気に恐ろしい事を口走る。さすがに人を殺すのは無しだろう。律が捕まるのは、離れ離れになるという事だ。そうなれば優斗も耐えられない。叱ろうと口を開きかけると、自分を呼ぶ声が聞こえた。


 そちらに目を向けると、父が手を振っている。その隣には永都ながとの姿もあった。


 手を繋いだまま、足を向けると玲斗が苦笑いをしつつ、顎を掻く。


「あ~……、やっぱりそうなっちゃったか」


 優斗はその態度にムッとして睨みつけた。


「何? ︎︎悪い?」


 口調は強気だが、その頬はうっすらと染まっている。息子の知らない一面を目の当たりにして、玲斗は慌てて両手を振った。


「いやいや! ︎︎僕に文句は無いよ。優くんが幸せなら、僕も嬉しい。ただ陰陽寮が黙っていないかもと思って。君は共切の所有者だ。その血筋を残したいと考えるはずだからね」


 申し訳なさそうに眉を垂れる玲斗に、優斗は少し考えて、はっきりとした口調で告げる。


「精子の提供はする。それで勝手に子供でも作ればいい。ただし、僕は認知もしないし、父親になるつもりもない。それさえ認めてもらえば構わない。僕のパートナーは律だけだ」


 玲斗は思わぬ言葉に目を瞬く。優斗は真面目で潔癖な所がある。友人を傍に置かないのも、その要素が強い。融通が効かず、持論を曲げない優斗の気質は、人を遠ざけた。


 律に惹かれたのは、自分に無いものを持っているからだろう。閉ざされた町では、そこまで踏み込んでくれる同級生もいなかった。


 父に対しても、甘える事は少なく、男子特有の悩みを相談された記憶も無い。一度だけ、部屋で自身を慰めている現場を覗いてしまった事がある。しかし、その顔は快楽とは違い、苦悶に歪んでいた。


 まるで、自慰という行為に嫌悪感を持っている様に見え、玲斗は首を傾げたものだ。


 それなのに、子種を提供すると言う。


 じっと息子の瞳を見つめると、強い意志を感じた。それだけ律の存在が大きくなっているのだろう。


 愛情も無く、ただ子を成すために女と交わるのも、この少年にとっては嫌悪しか無い。


 律が、もしくは優斗が女であれば、どれだけ良かったろうと玲斗は思う。しかし、それでは二人の出会いも無かったかもしれない。


 友人と遊びに出かける事も無かった息子が、これほど心を許す相手に巡り会えたのだ。殺伐とした環境ではあるが、いやだからこそ、この縁が尊く感じられた。


「そっか……君もちゃんと考えてるんだね。だったらお父さんも頑張っちゃう! ︎︎なんたって僕は序列二位だからね! ︎︎文句言う奴はイチコロだよ!」


 ウィンクをして首を斬る真似をする玲斗。その様子は正にテヘペロだ。こいつもか、と優斗は溜息を吐く。


 しかし、そんな優斗でさえも、結婚を強要されるような事があれば容赦はしないだろう。陰陽寮が動くなら、おそらく本家筋の女を宛がってくるはずだ。そんなものには興味が無い。この心も、身体も、律だけのものだ。他の人間に触るのも、触られるのも我慢ならない。


 序列二位と五位、そして特級。


 これだけ上位の者の意見を、無視はできないだろう。京都本部の所長が一位だと聞いているが、優斗は更にその上なのだ。


 研究部も、子種さえ手に入れば無理強いはしてこないはず。他の検査にも協力しているのだから。


 優斗は心の底で、律の子を望んでいた。できるなら、自分が産みたい。しかし、それは現代医学では不可能だ。


 愛する者との子を成したいと思うのは、本能と言える。日本ではまだ同性婚は認められていない。ただでさえ、いつ命が消えるかも分からない生活で、目に見える絆が欲しかった。


 勿論、身体を重ねる事も、ひとつの愛情表現だ。だが、自身が死んだ後に、何か残したい。律と愛し合ったという証を。


 隣を見上げれば、優しい笑顔。


 首を傾げる様は、昨夜と全然違う。それを知っているのは、優斗だけだ。他の奴らが見たのは、ただ無味乾燥に動く律の姿だろう。


 互いに求め合い、繋がった心と身体は、しかし何も残す事はない。


 優斗が小さく溜息を零すと、律が目敏く反応した。


「優斗、どうしたの? ︎︎少し寂しそう」


 そう言って肩を抱く。その広い胸に頬を預け、優斗は吐露した。


「僕が女だったらって……そしたら、お前の子供を産めるのに。結婚だってできる。でも、僕達は男同士だから、そんな当たり前も手に入らない。ごめんな、律」


 何時に無く気弱な優斗の言葉に、律と玲斗は視線を交わらせる。勝気で、口の悪い優斗にしては珍しい。


 俯く優斗の背を撫でながら、律は優しい声音で囁いた。


「優斗、そんなの関係ないよ。子供ができなくたって、結婚できなくたって、俺は優斗とずっと一緒にいる。もしかしたらさ、医療部が何か開発する可能性だってあるんだよ? ︎︎だって、序列二位と特級の子供だもん。きっと喉から手が出るほど欲しいんじゃないかな。法律も、変わっていくはずだよ。外国じゃ同性婚も珍しく無くなってきてる。日本でも、裁判やってるとか聞くしね。今から諦める必要はないよ」


 それは優斗にとっては意外な言葉だった。何も考えていないようで、自分よりもしっかりと未来を見据えている。陰陽寮に長くいる事で、何を欲するかも理解していた。


 それも全て、二人の未来のために。


「そう……だな。僕達はまだ十五なんだ。急ぐ必要は無いよな」


 優斗と律は見つめ合い、頷いた。


 それを見ていた玲斗も、嬉しそうに微笑んでいる。我が子が、唯一の存在に出会ったのだ。喜ばない親などいないだろう。勿論、同性愛に忌避感を抱く者が多いのも事実だ。特に陰陽寮は共切の後継を残したいはず。苦難は続くだろうが、二人を引き合わせたのもまた、陰陽寮なのだ。


 玲斗も、妻の佐江と出会えた事には感謝している。陰陽寮の指示で、本家筋の佐江とお見合いを強制させられ、当初は嫌々ながらに従った。しかし、見合いの日に初めて目にした佐江は、それは美しく、あっという間に恋に落ちたのだ。


 血筋を残すという身勝手な婚姻だが、それでも確かに愛は育った。その証が優斗だ。だからこそ、優斗の気持ちが玲斗にも分かる。


「あ~……僕も佐江さんに会いたくなってきちゃったな……」


 佐江とはもう何年も会っていない。電話はできる限りしているが、余計に想いが募るばかりだ。抱き合ったのも、随分昔に感じる。


「優くん、弟妹欲しくない?」


 いきなりとんでもない事を言い出した父に、優斗は面食らった。


「は……? ︎︎何言って……」


 律もキョトンとして、玲斗を見る。


「だってだって! ︎︎ラブラブな二人を見てたら、僕も佐江さんとラブラブしたくなっちゃったんだもん! ︎︎うぅ、佐江さ~ん、会いたいよう……そしたらさ、一晩中抱いて、鳴かせたいな。めっちゃ可愛いんだよ。あ、ヤバい。勃ってきちゃった。昨日抜いたのにな」


 優斗は聞きたくもない両親の営みを聞かされ、なんとも言えない表情を浮かべる。仲がいい事は息子としても嬉しい。だが、それを聞かされるのはちょっと遠慮したかった。


 玲斗は深呼吸して、優斗とは別の息子を落ち着かせると、手を叩いた。


「はい、それじゃもう時間だよね。今から実地訓練に向かいます。りっちゃんは二班のメンバーが療養中だから、今回から優くんの訓練に参加してもらうよ。二人のコンビネーションも大事だしね。リーダーは優くん、サブはりっちゃん。僕は教官として同行。順くん以下班員はサポートに回る。まずは集団戦の訓練として、廃校の妖蟲狩りに向かうよ。優くん、準備はいいかい?」


 いよいよ、実戦だ。

 妖蟲相手とはいえ、油断は命に関わる。


 優斗は律の手をきつく握り、瞳に力を込めて頷いた。

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