第十四話 繋ぐ


 あれから律は無理やり攻め寄る事は無くなった。ただ、やたらと触れたがる。


 時に腕に抱きつき、時に肩を組む。身長差がかなりあるから邪魔くさい事この上ない。新幹線に乗り換えた今も指定席でピッタリと寄り添って手を握ったままだ。景色が良いからと窓際の席に座らされたが、逃がさないためと言われた方が納得できる。


 優斗も襲われるよりはマシかと享受していた。


 その間にも律はずっと喋り続けている。リビングの家具についてや、使っているシャンプーにボディソープ、果てには下着の事まで。律はとことん優斗に合わせるつもりの様だ。


 それもおかしな方向に。


「優斗はどんな下着が好み? 紐パンとかどうかな。色はやっぱり白? 今度買いに行かなきゃ」


 鼻歌を歌いながら上機嫌な律に優斗はげんなりとしていた。


 ――どうかなってなんだよ。買いに行くって、自分で穿くつもりか? 僕にどうしろと。


 優斗だって男性同士の恋愛がある事は知っている。それを非難する気も差別する気も無い。しかし、それが自分に向けられるとしたら話は別だ。優斗は異性愛者だし、律相手にどうこうとは考えられない。まだ得体の知れない部分の方が多いが友人と呼べる存在だとは思う。それ以上でも以下でもないのだ。


 だが律はその気らしい。相手は自分より体格も力も上の律なのだから抵抗するのは難しいだろう。現についさっき危機に陥ったのだ。あの場には小路がいたから難を逃れたが、宿舎で二人っきりになった場合、優斗は逃げ切る自信は無かった。


 だからといって黙ってやられるつもりも無い。いざとなったら共切にものを言わせてでも操は守る気でいた。右肩に立て掛けたもう一つの相棒を握りしめる。


 共切は意外な事に何のお咎めも無しに車内へ持ち込めた。竹刀袋に入れているとはいえ真剣だ。優斗は内心ヒヤヒヤしながら周囲の視線を気にしつつも平静を装い車窓を眺める。


 あと約二時間で京都に着く。そこからはまた車に乗り換えての移動だ。ちらと横を見れば、未だに律があれこれと喋っている。その横顔は楽しそうで、仕事の事さえ無ければ何気ない日常なのに。


 律と出会ってからの短い数日間で垣間見た狂気が脳裏をぎると胸がちくりと痛む。律も被害者なのだ。肉親が食われる様を間近で見て壊れてしまった少年。幼さの残る言動と無邪気な笑顔に隠された凄惨な過去。そして化け物退治に明け暮れたであろう死と隣り合わせの生活。それは優斗がこれから歩もうとしている道でもある。


 ――僕もいつか律の様になるんだろうか。


 仄暗い瞳に妖しい光を宿し、笑いながら人の死を見て、ただ化け物を殺す事だけが生き甲斐の狂人に。


 湧き上がる想像にぞわりと身が震えた。粟立つ腕をさすれば律が目敏く気付き声をかけてくる。


「優斗、寒い? クーラーが効きすぎてるのかな。上着出そうか。それとも俺が暖める?」


 そんな事を言って抱きつく律は確かに暖かかった。


 ――こいつだって血の通った人間なんだ。ただ裏側の世界を覗いてしまっただけで。


 ぎゅうぎゅうと抱きついてくる律を押し退けながらも、優斗はこの相棒と共に堂々と陽の当たる場所を歩ける日を望まずにはいられなかった。




 その後の二時間は何事も無く過ぎていく。ただ新幹線に揺られているだけなのだから当たり前ではあるが。


 それでも律の口が閉じられる事は無く、一方的に喋り続けていた。優斗は小説を読みながらたまに相槌を打つくらいだ。


 その間もずっと手は繋がれたままで、律が硬いと評判のアイスクリームと格闘している時でさえ離そうとしなかった。見かねた優斗が声をかける。


「おい、このままじゃ食べにくいだろ。手ぇ離せよ。僕も本が読みにくい」


 しかし、律は泣きそうな顔で駄々を捏ねた。


「やだやだやだ! 繋いでるの! 離しちゃやだ!」


 デカい図体をしてグズる律は子供そのもので。同じ十五歳だというのにあまりに幼い。かと思えば、性急に事に及ぼうとする。そのチグハグさが優斗には危なっかしく思えた。そこが律の魅力だと言われてしまえばそうなのだが、実際に襲われた身としてはたまったもんではない。


 ――でも。


 と、優斗は考える。

 これは死が近いがための弊害なのではないかと。律自身、何度も死に目に遭ったと言っていた。いつ死ぬともしれない日々の中で、その一日を悔いなく終えるために欲に忠実に生きる。まるで壊れた心を繋ぎ止める、か細い糸。


 そう、この手のように。


 繋いだままの手をじっと見る。

 優斗だってまだ子供だ。他人の心の内など分かるはずもない。それでも、この繋がれた手だけは離してはいけない気がした。


 そう思えば自然と手に力が入りきつく握りしめる。それに律は不思議そうな顔をして首を傾げた。


「優斗? どうしたの? やっぱりお母さん達と離れて寂しい?」


 眉を垂れて覗き込んでくる律の鳶色とびいろの瞳を見つめ、優斗はゆっくりと首を振る。


「いや、違うよ。寂しいのはお前の方だろ。安心しろ。この手は離さないから」


 そう言って更に強く握れば、律はキョトンとした後みるみる内に表情が輝く。


 そして優斗の頬に口付け、チュッとリップ音がなった。


 今度は優斗が呆ける番だ。急な事に呆然と頬を撫でる。


「優斗大好き」


 律は繋いだ優斗の手に頬ずりするとそこにも口付けた。その顔はうっとりとして夢見心地だ。


 そんな律の様子にハッと我に返った優斗は一気に紅潮する。すっかり油断していたのだ。


「なっ、何するんだ!? こんな人が大勢いる所で! キッキスとか……! ふざけんなバカ!」


 離さないと言ったばかりの手を乱暴に振りほどいて優斗はぷいと顔を背ける。それでも律は嬉しそうに笑い、また手を取り繋いだ。優斗もまだ赤い頬のままチラリと振り返る。


「ほっぺにチューくらい良いじゃない。ホントは口にしたいの我慢したんだから褒めてよ」


 軽薄そうに笑う律だったがひとつ息を吐くと真摯な表情に変わる。


「……優斗、ありがとう。俺も絶対離さないって誓うよ。俺はどんな時だって優斗の味方だからね。優斗だけは命に換えても護るよ」


 じっと見つめる瞳は揺るぎなくて。


 優斗もそれに応える。


「ああ。僕もお前を護る。……だからな」


 強調してそう言ったのに。

 律は優斗を抱きしめてまた頬に口付けた。


「だから! 友達だって言ってるだろ!?」


 力の限り引き剥がそうとする優斗を意に介さず律は梃子てこでも離れない。結局、他の乗客から苦情が来るまで二人は騒々しく揉み合いを続けた。


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