第十五話 陰陽寮
京都駅に着いて一息吐く間もなく、今度は銀色のセダンに乗り込み、後部座席に律と並んで座る。この車は陰陽寮の所有物のようだ。ダッシュボードからメモ用紙の切れ端が覗いていたり、煙草の匂いが染み付いていてレンタルのような清潔さは無かった。ハンドルを握るのは
車は街並みを抜け、
目的地は陰陽寮の本拠地。そこで父、
――父さんと会うのは何年ぶりだろう。電話でのやり取りはしてたけど、直接会うのは久しぶりだ。
優斗はぼんやりと思う。玲斗が帰ってくるのは数年に一度。出向先が変わる変換期にしか実家に戻らなかった。それでも誕生日や祝い事には必ずプレゼントを送ってくれるし、少ない休みを惜しまず遊びにも連れ出してくれる。だからこそ父との思い出を大事にしてきたのに。まさかこんな形で再会するとは思いもせず苦い物が込み上げる。
玲斗は今年の五月で四十を迎えた。もう人生の折り返し地点で体力に衰えも出始める頃だが、律の話を聞く限り戦闘能力は高いらしい。
陰陽寮特務部実働部隊三番隊一班班長。それが玲斗の肩書きだ。妖刀の号は
しかし、優斗の知る父は戦いとは無縁のぽやっとした人だ。決して体格がいい方でも無く、長身痩躯。表情も柔らかく、いつも細められている垂れ目は人を安心させる。闇など微塵も感じさせない、気のいい町のお巡りさん。そんな父が化け物と戦っている姿は想像もつかなかった。
知りえなかった父の真実を聞き、優斗は緊張していた。最後に会ってから数年が過ぎている。仕事場で働く父を見た事も無く、記憶にあるのは家でくつろぐ姿だけ。優斗は警察官なんだと疑いも持たずに過ごしてきた。それとかけ離れた情報を聞いても、まるで父の偽物に会いに行く様な心持ちだ。
無言で車窓を睨みつける優斗に、一人で喋り続けていた律も心配げに眉を寄せる。
「優斗。お父さんに会うのイヤ? 怖い?」
その言葉に優斗は息を呑んだ。自分勝手な言動ばかりするくせにこういう所は目敏い。それとも自分が分かりやすいのか。ひとつ深呼吸をすると律に向き合った。
「どうだろうな。正直、実感が湧かない。僕が知っている父さんは穏やかで争いを好まないんだ。それなのに化け物退治をやってるなんて聞かされてもイメージが重ならない。爺ちゃん達の様子を見てたら事実なんだろうけど。本当に僕の父さんなんだよな」
神妙に聞いていた律もしっかりと頷く。バックミラーに映る小路の表情も硬い。
「うん。それは間違いないよ。ね、美津代さん」
話を振られた小路がハンドルを回しながら応える。
「はい。漏れが無いよう情報部がしっかり調べ上げました。産院からお母様の履歴、戸籍謄本まで隅々と。そもそも小堺班長が嘘をつく利点がありません。いくら共切の継承者の親だとしても手当がつく訳でも、特権が与えられる訳でも無いんですから」
それは残酷な現実。
父が自分を売ったという事実。
これがたまたま優斗に行き着いただけだったなら、これほど憤りを感じなかったかもしれない。しかし、実の親が我が子を死地に送り込んだのだ。優しい顔も偽りだったのか。気づいていなかっただけで、玲斗の心も壊れているのだろうか。
そんな父と結婚した母は?
そんな父を育てた祖父は?
考えても分からない。つい一週間前までは平穏な暮らしの中にいたのに。車に揺られ、陰陽寮に向かう今でさえ夢を見ているかのようだ。
優斗の視線は流れる街並みをぼんやり眺める。見慣れぬ風景に現実味が無い。それでも否応無しに車は進むのだった。
それから数十分。
とうとう目的地に到着する。
京都駅から北東に位置するここは京都の鬼門だ。もう少し山を登れば比叡山がある。仕事柄、この土地に建てられたのだろう。外観は一見普通のビルと変わりない。地上五階、地下二階の何の変哲も無いオフィスビルだ。だが敷地は広い。故郷の中学校くらいはあるだろうか。奥に伸びるL字型の建造物で、その裏手に四棟のマンションが
そんな事を考えながら建物を見上げる優斗を
「小堺君。ここが陰陽寮です。覚悟はいいですね。足を踏み入れれば引き返す事はできませんよ」
優斗はその言葉に鼻で笑った。
――そんな事、今更だ。こんな所まで連れてきておいて覚悟もへったくれもないだろ。
その様子を見た小路は東と頷き合いドアを開けた。優斗と律もそれに続く。律は御代月を手にして、優斗はトランクから共切を取り出した。持ってきた私物はボストンバックひとつだけ。それを肩にかけ、ビルを見上げる。窓が光を反射して優斗は目を細めた。
ここが自分の新たな生きる道。
隣に並ぶ相棒と共に進む道。
優斗はひとつ息を吐くと一歩、足を踏み出した。
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