第十六話 再会

 ビルの玄関に回ると、市民会館のような両開きの大きなガラス扉が出迎えた。その先は薄暗く、無機質なホールが広がっている。しかしそこに人気ひとけは無い。皆部屋に篭っているのだろうか。


 その扉を東が開き優斗を促した。脇をすり抜け廊下に入ると、ひんやりとした空気が肌を撫で、辺りを窺う優斗の手を律が握る。はしゃぎながら歩を進めた先には正面に古ぼけた三基のエレベーター。その右端に銀色の自動ドアがある。そこにはHospitalの文字が刻まれていた。


 律は優斗の手を引きながら指差して説明を始める。


「優斗! こっちだよ! 特務の部屋は地下なんだ~。道場もあるよ! あと、班ごとの待機室に作戦会議室でしょ。地下二階には技術部の作業部屋があって、一階は医療部の領分。あそこのドアの先ね。怪我した時はお世話になるよ。手術室やICU集中治療室もあるから、ぐちゃぐちゃにならなければまぁ助かるかも? 手が千切れるくらいならくっつけてくれるよ。そうなる前に俺が助けるけどね! 二階は研究所。化け物や妖刀の事を調べてるみたい。三階と四階が情報部ね。事務所と司令室があるよ。図書室もあるから本が読みたい時は行ってみて。五階はお偉いさんの部屋。行った事ないからどんなかは知らな~い」


 その声はまるで自慢の玩具おもちゃを見せびらかす様に弾んでいた。実際、律にとっては遊び場なのだろう。いつからここにいるのか、優斗は知らないがその足取りに迷いは無い。


 無人のホールを抜けてエレベーターの前まで辿り着くと小路が口を開く。


「それでは私はここで失礼します。小堺君、私は三班担当なのでまた会う機会もあるでしょう。その時はきっと戦いの現場です。無理を言う事もあるとは思いますが、しっかりサポートさせて頂きますのでよろしくお願いします」


 そう言って手を差し出し、優斗も黙ってその手を取る。緩く握手を交わして頭を下げ、小路はエレベーターに乗り込んだ。


「んじゃ、オレ達も行こうかね」


 東が呟いてボタンを押せば、程なくして地下への扉が開かれる。


 エレベーターの中は男が三人乗っても余裕があるほど広い。静かな空間にワイヤーを伝う駆動音と律の鼻歌が響いていた。優斗の腕に絡みつく律を見ながら東が呆れた声を出す。


「お前、ほんと優斗が好きなんだな。ま、共切の継承者だし? オレも興味はあるな。共切はお前のどこに惹かれたんだ?」


 顎をさすりながら顔を近ずける東に優斗は怯む。律だけでも手を焼いているのにこれ以上の厄介事は勘弁だ。そこに律が割って入った。


「もー! 公太さん、優斗は俺のなんだから手ぇ出さないでよね」


 睨み合う律と東。背の高い二人に挟まれ優斗は冷や汗を流していた。変人二人に迫られたらたまったものでは無い。逃げる算段を模索している内にポーンと軽快な電子音が鳴り地下一階への到着を知らせ、ほっと息を吐いた。


「ちっ。時間切れか。まぁ、オレも三班付きだからよ。よろしく頼むわ」


 そう言いながら手を振る東を残し、律に引っ張られながらエレベーターを降りる。真っ直ぐ伸びる廊下をチラつく蛍光灯が照らしているが薄暗い。ブツブツ文句を言っていた律もいくつかの部屋を通り過ぎる頃には機嫌も直っていた。


 そして、辿り着いた扉の前。


 その上には特務部三番隊待機室の文字が掲げられていた。この先に父がいる。ほんの一週間前までは会うのを楽しみにしていた父が。しかし、今では得体の知れない何かのようで足がすくむ。


 動かない優斗を気遣うように律が背中を撫でる。横を見れば心配そうな顔。


 優斗は黙って見つめ返すと深呼吸して扉をノックした。


 すると、間髪入れずにドタドタと騒がしい音が近づいてくる。そして壊れそうな勢いで開かれる扉。


 そこには父が立っていた。少し白髪の混じった黒髪に泣きボクロのあるタレ目とひょろっとして痩せた体。優斗の記憶と寸分違わぬその姿にようやっと安堵する。しかし、当の父は驚いた表情から、次第に泣き出しそうな表情へ。限界まで垂れた眉の下の目が潤んでいく。


「優くん……!」


 感極まった父は力強く優斗を抱きしめた。強く強く抱きしめて涙を流す。


「大きくなったね。元気にしてた? 剣の稽古もちゃんとしてたかな。共切も無事抜けたそうだね。父さん鼻が高いよ。自慢の息子だ」


 しかし、その口から出るのは優斗を裏切るもので。


 優斗は一瞬にして頭に血が上る。


 そして、思いっきり腹パンを喰らわせた。


 思いもよらぬ一撃に玲斗はよろめき、信じられないといった顔で優斗を見上げる。


「自慢の息子? このクソ親父が。あんたのせいで酷い目にあったっていうのに呑気なもんだな」


 冷めた目で睥睨する我が子に玲斗はうずくまったまますがる。


「ゆ、優くん? どうしたの。君はこんな事する子じゃないでしょ。父さん何かした? 共切に選ばれたの嬉しくないの? 凄い事なんだよ!?」


 あくまで共切に選ばれた事を喜ぶ父に、優斗は薄ら寒い物を感じた。本当にこれが今まで見てきた父と同一人物なのだろうか。


「何かした? じゃないよ。僕が死んでも良かったって言うのか? 共切に選ばれなければ、僕に価値は無いって!? あんたおかしいよ。本当に僕の父さんなのか? 優しかった父さんはどこに行ったんだ……」


 俯き拳を握る優斗に、玲斗は狼狽うろたえ、息子の肩を揺すりながら訴えかけた。


「何を言ってるんだい。父さんはどこにも行かないよ。共切に選ばれるのだって名誉な事なんだ。悪者を殺せるんだから。ヒーローになれるんだよ! これからは父さんと一緒に戦おう。大丈夫。盾になってくれる仲間は大勢いるからね。優くんが命を賭ける必要は無いよ。とどめを刺すのが君の役目だ」


 その言葉はやはりどこかズレていて。少ない時間で触れ合った父の闇に気付かなかった自分が情けない。


 母は、祖父はどう思っていたんだろう。この壊れた父の事を。


 顔を上げられない優斗の手を優しく握り、律が心配そうに声をかける。


「優斗、大丈夫? もう宿舎に行こうか」


 その言葉に優斗は首を振る。


「……いや。大丈夫だ。僕は陰陽寮に入るって決めたんだから。戦うって。だから、これくらい……」


 優斗は意を決して父を正面から見据え、力強く宣言する。


「小堺優斗です。今日からお世話になります」


 そうして、深々と頭を下げた。

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