出会いの章
第十三話 身近な危機
黒塗りの車は少年達を乗せて、山道を走る。
カーオーディオから心地よいジャズが流れ、郷愁を誘った。
この町を離れる事に後悔はしていないが、不安は消せない。優斗は人ならざる道を歩もうとしているのだから。
窓から見る景色は既に見知らぬ物に変わっていた。買い物は隣町のショッピングセンターに行っていたが、山を越えるのは中学校の修学旅行以来の事だ。初めは生い茂る森と曲がりくねった道を物珍しげに見ていたが、変わり映えしない風景に早くも飽きてきていた。新幹線の乗り入れる最寄りの町まではまだ遠い。
優斗はちらりと視線を移す。
ハンドルを握るのは四十前半の男性、陰陽寮技術部の所属で律の父親役をやっていた人物だ。
名を
律には多少劣るが高い身長に白髪混じりの短髪と丸眼鏡が印象的で、祖父達に対する物腰は柔らかく、本当に律と同じ陰陽寮所属なのかと疑ってしまった。しかし、普段の口調は粗野で共切の話になると途端に目の色を変え、早口で
その隣に座る女性も同じ印象だ。
こちらは情報部所属の
母親役をやっていた女性で、長い髪をポニーテールにして背に流し、一重で切れ長の目はキツいが和風美女とも言える。東とは違い、無口で無駄口を叩かない事務的な喋り方をする人物だ。それでも似通った印象を持つのはやはり目つきのせいだろう。表情はにこやかでも目が笑っておらず胸の内を覗かれているようで落ち着かない。
そんな二人との出会いは表向きには何の問題もなく終わった。神社に迎えにきた三人が母と祖父に挨拶する間も特に何も。
優斗は少しだけ、母や祖父が何か言ってくれるのではないかと期待していた。優斗が父の元へ行くと言った時は黙って送り出してくれたが、孫を、息子を危険な目に巻き込んだのだ。文句のひとつも言ってくれるかと、そんな期待を。
しかし、そんな優斗の気持ちとは裏腹に母も、祖父もただ頭を下げるだけだった。
優斗だって、自分で決めて何も言わずに出てきたのだ。それなのに勝手な期待を持つのは筋違いだろうと己を叱責する。車に乗り込む間際に母が抱きしめてくれた。それだけでも報われるというものだ。
優斗は小さく息を漏らすと、再び窓の外へ意識を向ける。すると窓に映り込む律に気付いた。
ちらちらと優斗に視線を向けて、いつもなら煩く騒ぐ律がモジモジしている。優斗が
「なんだよ。お前が静かなんて気持ち悪いな。車酔いでもしたのか」
そう言う優斗の声は言葉と同じように刺々しいが、それに反して律は頬を染めはにかむ。その声は弾み、幸せを噛みしめる様に紡がれた。
「えへへ〜。だってこれからは優斗と一緒なんだもん。宿舎の部屋も一緒だよ! ベッドが別なのは残念だけどお風呂一緒に入ろっか! 食事も仕事も、優斗と一日中一緒か〜。嬉しいな〜」
その言葉に優斗は絶句する。
部屋も食事も一緒とは
「はぁ!? 父さんならともかく、なんでお前と一緒なんだよ!? 宿舎はマンションだって聞いたぞ! 一人部屋じゃないのか!? ちょっと、東さん!? 聞いてた話と違うんですけど!」
怒りの矛先が向けられた東は少し肩を
「いやぁ、律がどうしてもって聞かなくてよ。あ、でも寝室は個室だからそこは安心しろや。鍵もかけられるぜ。オレ達も同じマンションだから何かあったらすぐ言え。助けてやらん事も無い」
東の口調はぶっきらぼうだが親切心で言ったのだろう。しかし、優斗はある種の恐怖を感じた。律は優斗に懐いている。それだけなら良いが時折危うい目付きをする事があるのだ。
有り体に言ってしまえば、貞操の危機。
優斗にその
それなのに同じ部屋だなんて。
寝室は別でも全然安心できなかった。
「今からでも別の部屋にできないんですか!?」
それに応えたのは小路だ。
「無理です。既に手続きは終わっていますし、部屋に空きもありません。宮前君は家事も一通りできますし、小堺君にも利はあるのではないでしょうか」
その言葉に気を良くした律が口を挟む。
「そうだよ~。俺良いお嫁さんになるよ? 優斗になら全力で尽くしちゃう! 優斗は何が好きかな? お肉? お魚? 俺、優斗が喜んでくれるならどんな料理でも頑張るからね! 洗濯も掃除も任せてよ!」
そう言って胸を叩く律。
ずいと近付く顔に優斗は思いっきり引いた。
「嫁ってなんだよ!? 僕は男だぞ! お前も男! そこの所を間違えるな!」
言いようの無い恐怖に引き
「ええ~。そんなの関係ないよ。今は多様性の時代なんだから。恋愛の形も自由! 俺は優斗の事大好きだよ? もう食べちゃいたいくらいに」
その顔は恍惚に浸っている。頬を染め瞳を潤ませて、律の手が優斗の太腿を撫でる。
優斗の背中がぞくりと粟立ち、息を呑んだ。狭い車内では逃げ場も無い。助けを求めるように声を張り上げた。
「あ、東さん!」
その様子に東はやれやれと面倒臭いのを隠そうともせず、やる気がなさそうに律を
「律。ここではやめてくれや。この車レンタルなんだしよ。汚したら追加料金取られるだろうが。そういう事は家でやれ。それにあんまりがっつくと嫌われちまうぞ? 焦らずじっくりと攻めるのが定石だ」
生々しい表現をする東にこいつもやっぱり同類かと優斗は危機感を募らせる。
そんな優斗を他所に
「さすが片っ端から女の子にちょっかいかけて振られまくってる人の言葉は重みが違うね。でも俺はそんな失敗しないし。ね、優斗。俺達死ぬまで一緒だよ。俺の身も心も全て優斗の物だから」
そううっそりと呟く律に優斗は冷や汗を流す。化け物との戦いだけでも精神を削られるというのに、相棒からも身を守らなければならない事態に早くもその心は折れかけていた。
なおもにじり寄って来る律を牽制しながら優斗は叫ぶ。
「やめろよ! 僕にその気は無い! 僕はノーマルだ! お前だって女の子が好きだって言ってただろ!?」
しかし、律は引く気配がない。
「人を好きになるのにノーマルもアブノーマルも無いよ。確かに女の子も好きだけど今は優斗が一番好き。俺は純粋に優斗が好きなんだ。好きな人と繋がりたいって思うのは自然なことでしょ?」
律はいよいよシートベルトを外して優斗に覆い被さる。助けを求めて東を見るも、呆れ顔で我関せずを貫くようだ。
初めてがまさかの男、しかも人目のある所なんて優斗は気が動転して頭が回らない。頼りの共切はトランクの中だ。この狭い車内では振り回す事はできないだろうが抑止力にはなる。だが所詮無い物ねだりだ。迫りくる魔の手に未知に対する恐怖と衆目に晒される羞恥、そして男に組み敷かれる屈辱で涙が滲む。
ギリリと睨む優斗。それさえも律の
弧を描く口元、荒い息、暗い光を宿した瞳。そして律の手が優斗のシャツをたくし上げる。
そこに溜息を吐きつつ小路が救いの手を差し伸べた。
「宮前君。何をするのも自由ですが、追加料金が発生するような事があればお給料から天引きさせていただきます。それでも良ければどうぞご勝手に」
いやいやいやと優斗は焦る。
ここに仲間はいないのかと半ば絶望を感じていると、さすがに給料が減るのは痛いのか律も「ちぇー」と言いつつ渋々従った。それでもブツブツと呟きながら優斗を虎視眈々と狙っている。
「ここじゃなきゃ良いんだよね? 部屋に着いたら……うふふ」
小さく聞こえてきた声に優斗は身を掻き抱く。化け物以上の強敵の存在に、己の運命を呪わずにはいられない優斗であった。
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