第三話 塚の怪
足塚は神社から北に位置する山の中腹にある。今は山道を並んで歩いているが、律が一方的に喋っている状況だ。
「ねぇねぇ、鬼って本当にいると思う? 俺はね、いると思うんだよね! 各地に伝承が残っているし、史跡や遺物もある。漂着した外国人や疫病の擬人化だって言う人もいるけど、特徴は全国で一致してるし、伝達技術が発達してなかった大昔じゃそれって無理じゃない? だから鬼は実在していて、今もどこかにいるんじゃないかって思うんだよね! 優斗はどう思う?」
律はずっとこの調子で喋り通している。
優斗はと言えば、暑さと律のマシンガントークで辟易していた。神社から足塚までは結構な距離があるが、バスなんて通っていないから歩きだ。
予想もしていなかった遠足に、何故こうなったと自問自答している。
今日は出かける用事もなく、気楽な休日だったからランニングシャツに半袖のパーカー、ハーフパンツにスニーカーと山歩きには不向きな格好で、急に連れ出されたので何も持ってきていない。虫除けスプレーもしていないから剥き出しの腕と足が蚊に刺されて痒い。
それに対して律は準備万端だ。
熱中症対策の水筒や塩飴、冷却シートまで用意している。そういえば弁当も持ってきていると言っていた。大きなリュックはそのせいだろう。
そして何より気になるのは二本の竹刀袋だ。
昨日勝負したいような事を言っていたからそのためだろうか?
ただでさえ疲れているのに、さらに勝負まで持ち出されては敵わない。優斗は恐る恐る聞いてみる事にした。
「……宮前君、その竹刀袋は何?」
その言葉を聞いて律は頬を膨らませる。
「もー! 俺の事は律って呼んでって言ったでしょ!」
ぷんぷんと怒る律に、これでは話が進まないと判断した優斗は渋々折れた。
「……じゃあ、律。その竹刀袋は?」
呼び方を変えると途端に笑顔になり饒舌になる律。
「うんうん。その方が嬉しいな。っと、
優斗の疑問はサラッと躱され、マシンガントークはさらに続く。
そんな状況に疲れ果てた頃、ようやく足塚に到着した。
山の中に円形の広場があり、その中央に無数の札が貼られた岩が鎮座している。
ただそれだけの場所。
辺りは鬱蒼とした木々に遮られ薄暗く、ひんやりとしていた。
しかし、優斗はその異変にすぐ気付く。
ここには祖父が毎月定期的に祝詞を上げにくる。それに連れ立ってきていた優斗はこの場所を熟知していた。
――なんだ、この寒さ。
今は夏の真っ昼間だというのに、息が白くなるほどの冷気に満ちていたのだ。日照りの中を歩いてきて火照っていた体は急速に熱を奪われていく。それなのに羽虫が飛んでいる違和感。
優斗の周りをぶんぶんと飛び回り、時に食いつくそれを手で払い除けながら寒さに体を
そんな中でも元気なのが律だった。
「はは、やっぱり見えてるんだね。うん、一安心かな」
意味の分からない事を言って辺りを見回す。
「ん〜、なんかヤバい感じ? 保険持ってきといて良かった」
そう言いながらリュックを下ろすと竹刀袋を手にする。
「はい、こっちは君のね」
いつもと変わらぬ調子で竹刀袋を投げて寄越す。思わず受け取るとずしりと重かった。
「まさか……真剣!?」
驚愕の声に律はしてやったりと笑う。
「そうだよ〜。君、剣術できるんだよね。真剣も扱えるって聞いたけど大丈夫?」
首を傾げ問いかけながらも、自身の刀を袋から取り出す。それは刃長が百五十センチはあろうかという大太刀だった。
しかし、大太刀はその刀身の長さからも分かる通り扱いも難しい。いくら律の身長が高くても抜けるのかさえ怪しかった。
だが、当の律は鼻歌まじりだ。ベルトに刀を佩くとリュックから一枚の札を取り出し、すたすたと岩に近づいていく。
「はいはい、見てないで。何が来るか分からないよ。構えて」
優斗の頭の中は疑問符ばかりだったが、この非日常的な空間に、本能的な危機感を覚え言われた通り竹刀袋から刀を取り出す。
そこに現れたのは真紅の鞘に、龍が象られた鍔の太刀だった。
祖父に真剣の手ほどきを受けていたとはいえ、これほど見事な太刀を手にするのは初めてで手が震える。
しかも何やら物騒な気配も感じた。
ごくりと喉を鳴らし、律を見遣る。
律は笑みを消し、静かに頷いた。
優斗は意を決して鯉口を切り、そのまま鞘から抜けば鮮やかな波紋の刀身が光を放つ。
難なく抜き放った優斗に律は目に見えて瞳を輝かせた。
しかし、当の優斗はその美しさにしばし魂を抜かれたように見惚れてしまう。
「優斗!」
そこに律の鋭い声が上がり、びくりと肩が揺れる。
「呑まれないで」
いつもの軽口では無い強い語気。それが事の重大さを表しているかのようだった。しかし、それには微かな切なさも混ざっていて、優斗の心をざわめかせる。
一瞬思考が逸れたが、真っ直ぐな律の視線を受けて優斗はハッとすると大きく深呼吸をし、
それを見て取った律は岩に対峙し、札を構える。
「
凛と響くのは祝詞だ。
その声に呼応するかのように大気が震える。
風が巻き、轟々と唸り、岩から黒い何かが浮かび上がった。
それは一匹の巨大な
体長はゆうに三メートルを越え、大きな顎には鋭い牙が鈍く光り、無数の脚が蠢いている。
そのあまりの
祖父と来た時はこんな事起こりはしなかった。ただ、祝詞を上げて、札を貼り付ける単調で面白みの欠ける行事だったはずなのに。
優斗が混乱している
律は祝詞を唱えつつ大太刀を抜刀した。その刀身はぬらりと濡れた光を纏い、長大で厚い刃は断頭台を思わせる。
「
祝詞は止まる事なく紡がれる。
これは
罪、
その声に百足は苦しそうに
しかし、律が息継ぎをした、その一瞬を突いて百足が襲いかかってきた。
鋭い牙が優斗に迫る。
いくら祖父にしごかれてきたと言っても、こんな化け物は想定外だ。
そもそも、こんな化け物がいるなんて聞いていない。
「どういう事だよ!? おい! 律、なんだよコレ!!」
そんな優斗の怒りにも律は平静を装い、岩に対峙したまま動かなかった。
祝詞を紡ぐ声は止まっている。
優斗が喚き散らす間にも、百足の動きは止まらない。なおも獲物を食いちぎろうと旋回して背後に回り込んできた。
怒りと死に直面して優斗の感覚は研ぎ澄まされ、体は無意識に反応する。
素早く上体を反転させ上段から斬り込むが、その一撃は牙に遮られ火花が散った。
優斗は飛び退ると構え直し百足を迎え撃つ。
「ふざけるなよ。こんな訳の分からない事で死んでたまるか! 後できっちり説明してもらうからな!」
百足は何故か優斗ばかりを狙って来た。棒立ちの律を無視するのだ。
百足は優斗の動きを封じようと長い体で
それを察知して素早く下段から斬り上げれば、脚を数本刎ねドス黒い血が吹き出す。
百足は耳障りな金切り声を轟かせると、一旦距離を取り勢いをつけて正面から向かって来た。
すれ違いざまに斬りつけるも、それは硬い表皮に弾かれる。
更に回り込んでくる化け物に向かい、優斗は一気に間合いを詰めて身を屈めると、百足の下に潜り込み柔らかい腹側から胴体を袈裟斬りに断ち切る。
百足はその一撃で崩れ落ちたが、未だ息があるのかのたうちまわっていた。
そこに律の祝詞が響き渡る。
「
高らかに奏上すると札を岩に叩きつけた。
不思議な事に札はぺたりと貼り付き淡い光を放つ。
それと共に百足は断末魔の声を上げて消えていった。
放心し肩で息をする優斗を振り返った律は、しばし無言で見つめる。
そして満面の笑みを浮かべた。
「優斗やるじゃん! 凄い凄い! 初めてにしては上出来だよ。俺、正直死んじゃうと思ってたんだよね。本部の言う事もたまには当たるんだね〜」
そんな呑気なセリフを吐く律を優斗は忌々しげに睨んだ。
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