第三十九話 街の陰
東京の片隅に、古びた洋館がひとつ。
そこはビルの陰に隠れる様にひっそりと佇み、昼なお暗い。都会の真ん中でも静かなそこは忘れ去られた場所だ。ビルの隙間の細い路地の突き当たりに位置し、表通りからは見えない。
その建物は木造二階建て、和洋折衷の外観はレトロで古いが手入れはしっかりとされていた。だがしかし、人の気配はまるで無い。都会の一等地にあるにしては広い敷地に小さいながらも噴水や庭園があり、裕福層の住まいだと一目で分かる。
路地裏の暗がりに何かが壊れる様な音が響くと、何も無い空間から男が現れ、何食わぬ顔で屋敷の敷地内に足を踏み入れた。
男は蔦の絡まる鉄でできたアーチ状の門を潜り、玄関までのアプローチをゆっくりと歩く。
庭に咲き乱れた狂い咲きの真っ赤な薔薇がふわりと揺れた。
男は夏だというのにドレープのたっぷりと取られた裾の長いテールコートに身を包んでいた。頭上にはシルクハットを被り、手にした凝った作りのステッキをくるりと回すと金の髪が風に
細い目を柔和に緩めたその男は鼻歌を歌いながら玄関のノブに手をかけた。軋みを上げて開いた先は光の差さない闇の世界だ。そこかしこに妖蟲が飛び交い、喰い合っている。
その内の一匹が男に牙を剥く。しかし、その牙は男に届くこと無く弾け飛んだ。まだ実体の無い妖蟲は霞と消える。
男は暗闇を軽い足取りで進む。行き着いたのは一際豪勢な両開きの扉の前だ。ノックをすると少女の声が入室を促す。
扉の先には五人の男女が揃っていた。
一番目を引くのは最奥の豪奢な椅子に腰掛けた白髪の少年。レースがふんだんに使われたドレスシャツに半ズボン。足元はソックスガーターと白いハイソックスを着用している。まだ十にも満たない幼い面差しだが、人の心までも見透かす様な鋭い瞳はひれ伏したくなる気品と威厳を湛えている。
その右側にピッタリと寄り添うのは亜麻色の髪を肩先でおかっぱに揃え、桜色の袴を着た無表情の少女だ。
その反対側、椅子の左には艶やかな黒髪を腰まで伸ばし、深いスリットの入ったオペラ色のスレンダーなドレスを纏った女が
その脇にはロマンスグレーの髪を神経質に七三に分け丸眼鏡をかけた老紳士。仕立ての良いスリーピースのスーツを纏い、
そして一番手前に燃え盛る炎の様な真紅の髪を逆立てた筋骨隆々の大柄の男。黒いタンクトップに迷彩のズボン、重いワークブーツと他の面々とは異なり見るからに脳筋といった風情。
皆、その瞳は黄金に輝いている。暗闇でも光るその瞳は人外の証。
白髪の少年が口を開いた。その声は抑揚が無く尊大だ。
「それで?
その言葉を受け、赤髪の男が動いた。
伽陸の細い首に手がかかりみしりと音を立てる。
しかし、それさえ楽しそうに細い目は弧を描く。
「ようございますねぇ。私めも貴方様のお役に立つ事こそ至上の悦び。しかしながら、
その進言に少年はぴくりと眉を上げる。しばらく思案した後、手を振り赤毛の男を引かせた。
「なんだ。申してみよ」
足を組みかえ、鷹揚に顎で先を促す。伽陸はハットを取り、恭しく一礼した。
「ありがたき幸せ。それでこそ我らが御大将。寛大なお心に感謝致します」
大仰な所作で頭を下げる伽陸に少年の柳眉が
「御託はいらぬ。さっさと申せ」
少しの苛立ちを込めて言えば伽陸は礼の姿勢のまま語り出す。
「これは失礼を。ご提案とはトリガーについてでございます。貴方様もご存知の通り、彼のお方は未だにお目覚めではございません。この七年間、密かに見守ってまいりましたがその兆候さえ窺えない様子。しかし、好機が参りました。彼のお方の目覚めのきっかけ……トリガーに成りうる存在が現れたのでございます。その者は」
そこで言葉を切るとそっと少年を盗み見た。
そこにあったのは美しい
「小堺優斗……!」
その様に伽陸は愉快げに口角を上げる。
「左様でございます。まずは小堺優斗を手中に収め、彼のお方の目の前で喰らうのです。さすればトリガーとなり目覚めを促す事も可能かと。ただお連れしたのでは抵抗されるだけでございましょう。小堺優斗を餌として
少年はその言葉に打ち震えた。この世に生まれ落ちて数百年。世界は少年の敵だった。それを壊す時は近付いている。少年は愉悦に顔を歪めた。
「うぬ。邪魔者も同時に排除できる良き案だ。褒めて遣わす。
名を呼ばれた赤髪の男が膝をつく。
「伽陸と共にこの地の妖魔を使い陽動を起こせ。アレは裏切り者の共切を抜いた。被害の大きい場所に派遣されるはずであろう。その時を狙って分断させる。何もこちらから出向く必要は無い。朕はここで彼のお方を待つとしよう」
伽陸と飄伍は一礼すると部屋を後にした。その後ろ姿を見送りながら少年は
「もうすぐだ。もうすぐ貴殿に再び会える。この七年待ちわび申した。貴殿は朕の片割れ、闇の愛し子。共にこの世を破壊致しましょうぞ」
椅子から立ち上がり天を仰ぎ手を伸ばせばもうすぐ届く。
「あぁ、待ち遠しや。早う、早う。この身は貴殿と共に。我らが鬼の王、律様……」
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