第三十七話 束の間の休息

 優斗が風呂から上がると食卓にはご馳走が並んでいた。分厚いステーキ、具沢山のシチュー、刺激的な香りがたまらないガーリックライス。そこに彩りを加えるサラダも添えられている。見るからに食欲をそそる料理に優斗の腹が盛大に鳴った。


 そこにエプロン姿の律が水の入ったコップを両手に持ち現れる。そのエプロンに優斗はギョッとした。さっきまでしていなかったはずのそれはこれでもかとフリルがあしらわれた真っ白なエプロンだ。所謂いわゆる若奥様の出で立ちは長身の律にはチグハグな印象を与えるが何故か似合っていた。律はコップを食卓に置くと裾を摘みにこりと笑う。


「えへへ~。似合う? 可愛いでしょ。優斗のために買ったんだ~。裸エプロンも考えたんだけどさ、まだ早いかなって。でも下着も揃えたらお披露目するからね! 楽しみにしてて」


 仲直りができてほっとしていたのも束の間、また律の暴走が始まってしまった。それもそうだろう。ついさっきキスまで許してしまったのだから。思い出すと顔が熱くなる。嫌じゃなかったのがまた困りものだ。エプロンも可愛いと思ってしまっている自分に頭痛がする。


 眉間を抑え苦悶していると律が顔を覗き込んできた。


「優斗、これ嫌い?」


 悲しげに眉を垂れる姿に優斗の胸は軋んだ。自分でも驚く程に律の悲しい顔が痛い。


「そんな事無い! その、可愛いと、思う……」


 おずおずと呟けば、それを聞いた律は頬を染め蕩けるような笑みを浮かべる。


「ホント!? 嬉しい! 俺、もっと喜んでもらえるように頑張るから」


 それはあまりに無邪気で可憐な微笑みだった。優斗も思わず見とれはたと我に返る。


「ん゛ん゛ッ。頑張らなくていいから! 普通でいいから! 裸エプロンとかやめてくれ!」


 そう言ってみても律は聞いちゃいない。エプロンの裾をなびかせくるりと回る。その顔は楽しそうだ。優斗もついつられて笑ってしまう。


 二人で食卓につくと手を合わせる。カトラリーも箸とお揃いの青い取っ手だ。チラリと見ると律の手にも揃いの黄色いスプーンが握られていた。これも律が用意したのかと優斗の胸はじんと熱くなる。


 そして、しっかり礼を言ってなかった事を思い出した。


「律。その、ありがとうな。こんな細々こまごまとした物まで揃えるなんて大変だったろう? それを僕は……本当にごめん」


 そう言って頭を下げる優斗に律は優しく声をかけた。


「ううん。俺がしたかっただけだから。優斗の気持ちも考えずに俺こそごめんなさい。これからは一緒に住むんだし、気兼ねなくなんでも言ってね。俺、優斗が喜んでくれる事が一番嬉しいんだ~。ご飯もレパートリー増やしたし、勉強も頑張ったの。陰陽寮の事や分からない事はなんでも教えるからね。今日も課題出てるんでしょ? 俺もあるから一緒にやろ? 一人より二人の方が良いよ」


 にこやかに笑う律に何故か胸が締め付けられる。こんなにも自分を想ってくれる人なんていない。優斗もそれに応えたいと思った。


「僕もお前のために頑張るから。お前は僕が絶対守る。まだ未熟だけど、でも、こんな怪我なんてさせないようになる。一緒に戦いたい。他の誰でもない。お前のために」


 まっすぐに律の瞳を見つめ、律の腕に手を伸ばして包帯を撫で決意を言葉に乗せる。律はぽかんとしていたが、ひとつひとつの言葉を飲み込んで涙を浮かべた。


「うん……うん! 俺も優斗を守るよ。死ぬ時は優斗と一緒がいい。俺の命は優斗の物だから」


 優斗も笑みを浮かべ頷く。


「ああ、死ぬ時も生きる時もずっと一緒だ。僕の隣にはお前がいてほしい。他のヤツなんていらない。お前がいれば僕はそれでいい」


 それは告白にも似た宣言。律にとっては何物にも変え難い言葉。二人は笑い合い至福の時間を過ごす。だが、その時間は短い。明日になればまた教習が待っている。律も仕事だろう。


 離れる事は辛い。


 それでも想いが通じた二人には些細な事だ。帰ってくれば、そこに自身の片割れがいてくれる。そう思えば乗り越えられた。


 それにあと五日の教習が終われば一緒にいられるのだから。


 しかし。


「じゃあさ、この後俺の部屋で……」


 頬を染め優斗を誘うもそれは無下にされる。


「それとこれとは話が別だ! 僕はお前に抱かれるつもりは無いからな! あくまで友達、相棒だ。勘違いするなよ!」


 つれない優斗の言い様に律はむくれるが、その目は諦めていない。虎視眈々と狙う目は肉食獣のそれだ。優斗の背は粟立つがそれすらも快感に変わってきている事に気づかないフリをした。ここで負けてしまってはグズグズになってしまう。さっきのキスを思い出すだけで疼くというのに、それ以上先を知ってしまえばあらがえないだろう。


 優斗は自分の気持ちに気付き始めていた。相棒だと思い込もうとしているがきっと違う。しかし、それが律と同じ物かは分からない。律も優斗を好きだと言うがそれは恋愛感情なのか。分からないままで関係を持つのは怖い。自分の独りよがりだったらと思うと、せっかくいい感じになれたこの空気が消えてしまうかもしれないのだから。


 それに自分の気持ちにも確信が持てずにいる。優斗は初恋もまだだった。閉ざされた田舎町では幼い頃から嫌な所も見知っている女子をそういう目で見る事ができなかったのだ。勿論男を好きになった事も無い。


 自分は異性愛者だと思っていたが違うのか?

 それとも相手が律だから?


 いくら思考を巡らせても分からない。これはただの依存ではないのかとも思う。共切という存在が否が応でも立ち塞がり、優斗をさいなむのだ。律はきっかけに過ぎないと言ってくれた。それはとても嬉しい事だったが、やはり気になってしまう。もし、共切を失えば律も去ってしまうのではないか。


 今の優斗にとってそれは耐え難く、気が狂う程の恐怖となっていた。


 夕食を済ませると優斗が後片付けをする間に律を風呂に行かせた。そんな何気ないやり取りに心が弾み、自然と鼻歌が零れる。だが、皿を洗い、流しを拭きあげる短い間にもう風呂から上がってきた律に意表を突かれてしまう。時間にして十五分も経っていない。カラスの行水もいい所だ。


「お前、ちゃんと暖まったのか? あー……髪もまだ乾かしてないし。もっとゆっくりしていいんだぞ?」


 見かねてそう言っても律は首を振る。


「ううん。だっていつ緊急の呼び出しがかかるか分からないんだもん。これがいつもの事だよ。お風呂に入れるだけ良いと思わなきゃ」


 にこやかに笑う律だが、その背景にあるのは凄惨な生い立ちだ。優斗にはまだそこまでの気概が無かった。呑気に湯船に浸かっていた自分が恥ずかしくなる。


「そうか……そうだな。僕もまだまだ甘い。肝に命じるよ。でも、そうすると本当に一緒に入った方が効率がいいのか……?」


 そう呟くと律の顔が眩しく輝いた。しまったと思うも後の祭りだ。


「うんうん! それがいいよ! そうすれば緊急事態にも素早く対応できるしお湯も節約できる! 明日から早速実践しよ! わ~い! 優斗とお風呂! ねぇねぇ、洗いっこしようよ! 俺、全身隅々まで洗ってあげるよ。それから……ね?」


 ねっとりと熱を帯びてくる律の表情に優斗は引き攣る。またも壁際に追い込まれそうになりながら押し返した。


「やっぱり今の無し! よく考えたらどっちかが連絡役で残った方がいい! 二人とも風呂に入ってたら着替えるのにも時間がかかるだろ!? 緊急事態にそれはまずいんじゃないか!?」


 それに洗いっこで済むはずも無い。その先を想像してしまって上気する頬を見られまいと顔を逸らすと、律が不満げな声を上げる。


「え~。そんな事無いよ。スマホは風呂場に持ち込むから着信にはすぐ気がつくし、脱衣所も広いから十分二人で着替えられるもの。でも邪魔されるのは嫌だな~。もういっそスマホ壊しちゃおうか」


 どこまで本気か分からない律の言葉に戦慄を覚えた優斗は慌てて止める。このままでは本当に壊しかねない。


「ちょっと待て! それはダメだろう!? 壊したら僕とも連絡が取れなくなる! ただ待つのはもう嫌だ! 僕がどれだけ……っ!」


 思わず漏れ出た本音に優斗は口を押さえる。しかし、発した言葉はもう引っ込める事はできない。律は嬉しそうに破顔すると優斗を抱きしめた。


「そんなに寂しかったの? ごめんね。でも嬉しい。そんなに優斗が想ってくれてたなんて。俺、こんな気持ち初めて。ふわふわしてくすぐったいの。優斗がいてくれたら俺なんでもできそう。これで繋がれたらもっと気持ちいいだろうな~」


 そう言いながら、律の手が尻を揉みしだく。優斗は薄い部屋着一枚だ。その感触はダイレクトに伝わり、危うく嬌声を上げかけた。それをぐっと飲み込んで思いっきり律の足を踏みつける。


「いったぁっ!」


 飛び退る勢いで律がうずくまるとビシッと指を突きつけ真っ赤な顔で叱りつけた。


「だから! 調子に乗るなって言ってるだろ!?」


 それでも律は嬉しそうに声を上げて笑うのだった。

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