第二十二話 すれ違う想い

 静寂の中、控えめなノックの音が響き、優斗は目を覚ました。いつの間にか寝ていたようで、窓の外は既に暗い。のそりと起き上がり、目をこする。泣きながら寝ていたせいか、頭がぼぅっとし、視界は滲みまだ涙が残っていた。辺りを見回せば見慣れぬ景色。あぁ、そうかと記憶が追いつく。自分は故郷を離れ、見知らぬ土地に来ていたんだったと。そこで父と再会し、己の立ち位置を思い知らされた。勘違いして有頂天になり叩きおられた心。俯き拳を握るとまた涙が込み上げてくる。


 そこに再度ノックが響いた。


 その音に慌てて涙を拭うと返事を返す。すると安堵の気配と共に気遣う呼びかけが聞こえてきた。


「優斗、あの、ご飯ができたよ。食べよ?」


 そう言う律の声は掠れていて、あの後も泣き続けたのだろう事が窺い知れた。それを思うと罪悪感で胸が苦しい。


 優斗を馬鹿にしてきた奴らとの殴り合いの喧嘩は何度も経験したが、友人と認識した人との喧嘩は初めてだ。それは優斗の勘違いであったが、傷付けたという思いは強く顔を合わせるのが怖い。優斗は枕を握りしめ逡巡したが、意を決してベッドから降りて律の元に向かうと、扉を挟んで立ち、ひとつ息を吐いて薄く開く。そこには目を腫らした律がいた。優斗の顔も酷いもので、しばしお互いを見つめあう。しかし、絡まった視線はいつしか彷徨い、口篭もった。気まずい空気が間を漂い、すぐ近くにいるというのに遠く感じる。


 それを振り切るように口を開いたのは律だ。赤い目を細めてぎこちなく微笑み、優斗を誘う。


「ご飯、食べよ。一緒に。お風呂も沸いてるよ」


 そう言って優斗の手を取るがその手はびくりと揺れて、振りほどかれた。律は息を呑むと眉を垂れ、また泣き出しそうな顔をする。それから目を背けて律を押し退け、逃げる様にダイニングへ向かうと後ろを足音が追ってきた。


 食卓に着くと、律がサッと回り込み椅子を引いて優斗を席に促す。一瞬、足を止めたが頭を振ると優斗はその席に座り、律も向かいの席に収まった。


 黙ったまま向かい合わせに座ってほかほかと湯気を立てる親子丼を前にする。その手前には青い箸が几帳面に並んでいた。


「優斗、青が好きって聞いたから。えへへ、俺は黄色。お揃いだよ。さ、温かい内に食べて。気に入ってくれると嬉しいな~」


 明るさを装って言ってみても返事は無い。箸を手に取り、手を合わせる。それは昼間もやった儀式。同じように声が重なった。だが食卓に笑顔は無く、優斗の顔は沈んでいる。律もいつもの賑やかさが嘘のように静かだ。


 お互いに何を言えばいいのか分からない。律は昼間あれだけ無駄な話ばかりしていたというのに、今はもそもそと親子丼を口に運んでいるだけだ。それでもちらちらと優斗を気にしていた。


 優斗も無言で箸を動かしている。食器の鳴る音だけが場を支配する中、律が躊躇ためらいがちに口を開いた。


「お、美味しい?」


 それに「ああ」と言う短い返事が返る。それだけでも律は喜び頬を染めた。そして、勇気を振り絞って語りかける。


「あの、優斗。ごめんね。俺、何かしちゃったんだよね。俺、馬鹿だから気づかなくて、優斗に嫌な思いさせちゃった。これからは気をつけるから、だから、嫌いにならないで」


 潤む瞳で訴える律のその言葉に、優斗は苦い思いで首を振った。


「いや、馬鹿だったのは僕の方だ。お前が寄せてくれる好意を勘違いしてた。でも、もう間違えない。それに部屋の事も。せっかく用意してくれたのに怒鳴って悪かった」


 静かに頭を下げる優斗に違和感を覚えた律は戸惑い、喉の奥がつかえて上手く言葉が出てこない。それでもどうにか気持ちを伝えようと力を込める。


「勘違い? ︎︎なんで? ︎︎俺は優斗が好きだよ。何も間違ってない。君が謝る必要なんて無いよ。部屋も俺が勝手にしたのがいけないんだ。気に入らなかったよね。ごめんなさい。でも、怒られたって、何されたって優斗なら嬉しいの。殺されたって、なぶられたっていい。優斗が喜ぶなら何でもするよ。ご飯だって頑張るし、気持ちいい事も俺ならできるもの。何でも言ってよ。俺は優斗のためにいるんだから」


 そう言ってみても、優斗は顔を上げない。そして、消え入りそうな声で囁く。それは震えていて、絞り出すような声だった。


「違う……お前が好きなのは共切だ。僕じゃない……。僕の価値は共切だけ。大丈夫。もう分かってるから。教習もちゃんと受ける。安心しろ」


 それでも律は追い縋る。まるで置いて行かれる子供のように。


「どうして? 俺は優斗が……」


 しかし、その声は激しく叩きつけられた拳に遮られた。律は驚き身を縮める。それにも構わず優斗は叫んだ。泣きながら、思いの丈をぶつける。


「違うって言ってるだろ!? ︎︎それじゃあお前は僕が共切を抜けなくても尽くしてくれるのか? ︎︎初めての戦いの時、死んでもいいって、言ったじゃないか……そうだろう? ︎︎お前はただ、共切を持つ僕にしか興味は無いんだ……。父さんも、そうだ。だから僕は戦う。それだけが僕の、価値なんだから」


 流れる涙を拭いながら慟哭する優斗は無理やり笑う。ぐしゃぐしゃになって痛ましいその目に宿るのは諦めの色。その瞳に律の顔が歪む。


「優斗……」


 伸ばしかけた腕は無理やり出した明るい声に遮られた。それは明白な拒絶だ。


「ほら、早く食べろよ。冷めるぞ。後片付けは僕がやるから、お前は先に風呂に入れ」


 それが終わりの合図。その後、優斗が口を開く事は無く、ただ静かな時間だけが過ぎていった。

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