異変の章

第二十九話 恋乞い想う

 マッドサイエンティストが嬉々として会議室を後にしていたその前日。


 優斗との仲が拗れてから一夜が経ち、修復する間も無く律はとある廃村へ向かっていた。同行するのは三番隊第二班の面々だ。序列十三位で班長の水戸みと映司えいじ、その相棒である序列二十五位の飯田いいだ駿しゅん、そして後方支援員サポーターの三人。後方支援員は入れ替わりが激しいので名前などいちいち覚えていられない。


 今回は優斗付きとなった律の代わりに配備された水戸の実地訓練だ。今まで序列五位の律と組んでいた飯田にとってはかなり勝手が変わるだろう。それを踏まえ、優斗が教習の間に引き継ぎをする事になっていた。水戸は急な班長抜擢にいささか緊張していたが、律の表向きには柔和な笑顔にだいぶ肩の力が抜けてきている。指示を出す姿も様になっていた。


 序列が十三位と班長としては少々心許ないがそれは本部だからこそだ。他の支部では班長の序列が二十位代などざらにいる。その中でも三番隊は特殊と言えるだろう。二位の玲斗と五位の律が同じ隊にいる事が異例であった。これは律を扱える人材が玲斗しかいなかったためである。律は幼い頃から高位の御代月と共に現場に立っており、そのせいで暴走する事があった。壊れた脆い精神を守るためにたがが外れるのだ。暴走した律は時に味方にまで危害を加え、壊滅状態に追いやった事がある。それを抑えるにはより強い力が必要とされた。現在三位と四位は空席で必然と玲斗の元に預けられる事になった訳だ。玲斗はお仕置という形で律の手綱を握った。


 そして三番隊の第二班班長として活動してきたが、それも優斗という存在と出会い新しい道を見つけた。これがどういう結果をもたらすかはまだ誰にも分からないが律にとっては運命と言っていい。


 その優斗と離れ、あまつさえ喧嘩別れした状態で今の律は不安定だ。それを抑える玲斗とも別行動で不安要素は多い。だがそれを乗り越えてこそ優斗を守るという目的が果たされる。律はそれを理解していた。これもひとつの試練だ。自分が成長するための。律とて今のままでいいとは思っていなかった。このまま暴走を繰り返していては優斗を守るどころの話では無い。それどころか優斗を手にかけてしまうかもしれないのだ。今回の仕事は正直煩わしい。玲斗のお仕置も怖いが、それよりも優斗のためと従った。本当なら片時も優斗から離れたくないのに。


 律が手持ち無沙汰でぼーっとしていると機材の搬入、チェックが済んだようで皆で大型のバンに乗り込む。ハンドルを握るのは歳若い茶髪の後方支援員だ。名前も知らない奴とは話す気にもなれず、律は助手席でぼんやりと流れる景色を眺めていた。


 ――優斗、泣いてた。泣き顔も可愛いかったけどやっぱり笑って欲しいよ。朝ご飯、ちゃんと食べてくれたかな。今日は元気になってくれてるといいな。教習も大変だろうし美味しい物沢山作ってあげたい。


 今日は早朝から出発したので優斗と顔を合わせられなかった。一目会えれば心持ちも違ったのに。それが気がかりで律の集中力は散漫している。後ろの席で行われている打ち合わせも耳に入っていなかった。


「宮前さん、それでいいですか?」


 水戸の問いかけにも曖昧に頷く。


「うん。いいよ。俺が合わせるから好きにやってくれて」


 その態度に水戸は何か言いたげだったが、律はまるっと無視をする。今回の現場は人里離れた廃村だ。それほど手こずる事も無いだろう。大事なのはチームにとっての初白星。その達成感でチームの結束力を上げるために用意された仕事だ。


 ――くだらない。


 今の律にとって何よりも優先させるべきなのは優斗なのに。それを邪魔するこの仕事に嫌悪感さえ抱いていた。優斗の傍を離れるのは身が裂ける程に辛い。さっさと終わらせて家に帰る。律の頭の中はそれだけでいっぱいだった。


 車は市街を抜け、山道に入る。鬱蒼と茂る木々の合間を縫うように走ること約一時間。ようやく草木に侵食された廃村に辿り着いた。入口には左右に杭が打ってありロープが張られている。そこには「立ち入り禁止」の看板が揺れていた。その横の少し開けた空き地に車を停めると準備に取りかかる。機材を並べ、情報部と回線を繋ぐ。律も車を降り、右耳にイヤーモニターを装着した。しばらく待つと少路しょうじの声が聞こえてくる。


『宮前君、聞こえますか?』


 それに律は元気よく返事をする。


「はいは~い。聞こえてるよ。感度良好~」


 半ば投げやりな律の声を敏感に察知した少路は苦言を呈し、注意を促す。


『宮前君。小堺君と離れるのが嫌なのは分かりますがこれも仕事です。私情は挟まないように。少しの油断が命を失う事に繋がります。そうなれば小堺君とも会えなくなりますよ。それでいいんですか?』


 痛い所を突かれた律は頬を膨らませながら言い返した。


「分かってるよそれくらい。大丈夫、仕事はちゃんとやるから。そんで早く優斗に会うんだ」


 そして仲直りしたい。優斗だけが今の律にとっての原動力だった。そのためにもチンタラしてはいられない。律は少路に確認をする。


「で、ここには大型の妖蟲が出るんだっけ? ︎︎実体化レベルの妖蟲って珍しいね。人喰ったの?」


 それに呆れた溜息が返る。


『道中にも打ち合わせがあったはずですが』


 叱責の色を含んだ声音を律は鼻歌で誤魔化し、少路が諦め折れる。それがいつものやり取りだった。律は基本、現場の人間を信用していない。いざ命の危機に瀕すれば我先にと逃げるからだ。その卑しさを何度も目にしてきた。それならばいっそ安全な場所で他人事の様に指示を飛ばすだけの情報部の方が余程信頼できる。少路はそれを知っているのだ。


『はぁ……まぁ、いいでしょう。そうです。心霊番組の撮影に訪れたテレビ局の人間が襲われ三人が犠牲になりました。それが四日前の事です。その状況もカメラに収められていて、今はデータを陰陽寮が没収していますが反発が凄まじく抑えるのに苦労しています。このままでは無謀にもまた撮影に行くでしょう。その前に片付けてください。妖魔の存在が世に知れれば混乱は回避できませんから』


 妖魔の存在は秘匿されている。人を喰らうその存在が明るみに出れば経済が破綻してしまうだろう。妖魔は時に知恵を持ち人界に潜み人を喰らうのだ。現代でもそれは変わらない。どれほどの妖魔が人を隠れ蓑にしているか把握できていないのだから。それを知られれば人々は闇に怯え、疑心暗鬼となり人同士で争う事になってしまう。それは歴史が示していた。戦争もそのひとつの形だ。ただでさえ人手不足で目撃例が増えているというのに、これ以上の流出は止めなければならない。


『映像で確認できたのは大型の妖蟲が二体。序列六十位相当と見られます。その廃村は心霊スポットとして有名で過去にも行方不明者が出ています。おそらく撮影スタッフ以外にも喰われた者がいるはずです。油断せず討伐に当たってください』


 念を押す少路に律は軽く返す。妖蟲くらいなら実体化しても敵では無い。急拵えの隊でも傷を負う事無く殲滅できるだろう。既に時間は昼前だ。まずは昼食の携帯食を齧る。それが済めば数日分の非常食と毛布の入った背嚢はいのうを背負い、御代月を腰に佩くと天に向かって伸びをして、軽く柔軟をすれば準備完了。水戸と飯田、そして連絡役を残した二人を引き連れ村の中に足を踏み入れた。


 これが長い夜になろうとは思いもせずに。

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