第三十話 嵐の前の静けさ
廃村に足を踏み入れた律は違和感を感じていた。本来であれば鬱陶しい程いるべき妖蟲が一匹もいないのだ。妖蟲は妖魔が現れる前兆となる。それがいないとはどういう事か。
怪異の目撃談は何も夜に限った事では無い。幽霊は夜に出るものというのは固定概念に過ぎず、人を喰らうのに時間は関係ないのだ。ただ、知恵持つ妖魔が人に紛れるには夜の方が都合がいいだけで。そいつらは妖蟲を侍らすなんて愚は犯さない。ただ闇から闇へと渡り歩くのだ。だから霊場に
その危険性を排除するために優斗の故郷で行った塚封じのように昼間に妖魔退治を行う事も度々あるのだ。その時は十分に予防線を張り、一般人の目に晒す事は無い。塚封じでは山中だったのでそれも必要なかったが。
しかし、ここは捨てられた廃村だ。それなのに妖蟲の気配が感じられない。実体化までしている妖蟲がこそこそと隠れる理由が分からなかった。そも実体化しているとはいえ所詮は妖蟲止まり。そこまでの知能は無いだろう。
廃村の中を辺りを警戒しつつ進み、律達は中心部までやってくる。すると狭い通りの交差する路上に赤黒い染みが広がっていた。おそらくここが撮影スタッフ達が喰われた場所だろう。崩れたブロック塀にまで血痕がこびり付いている。そこはまだ乾ききっておらず、血溜まりに食い散らかされた肉片や骨の欠片が異臭を放ち散らばっている。周囲を見渡せば、割れたアスファルトの隙間から草が顔を出し揺れていた。それは静かすぎる風景。
「計測器準備」
溜息混じりに律が不意に呟いた。その意図に気付いたのは飯田だけだ。慌てて
本来なら出発した時点で起動させる物だが、指示を出すべき立場の水戸はそれに気が回らなかった。
「減点一」
それだけ告げると水戸の肩が跳ねる。引き継ぎという名目だが実際にはテストだ。こうして評価が下され処遇が決まる。班長から降ろされる可能性もあるため水戸の顔色は芳しくない。
そんな水戸を尻目に律は流れてくる風に鼻をひくつかせる。妖魔は腐臭を身に纏うのだ。それを嗅ぎ分けるように集中した。しかし、独特な
「美津代さん、ほんとにここなの? ︎︎なんにもいないよ~。もしかしたら勝手に成仏してたりして。ねぇ、もう帰ってもいい?」
律は自分の成長に必要な仕事だと理解はしていても、やはり優斗に早く会いたい気持ちは抑えられず
しかし、それに返るのは無情な応答だけだ。
『ダメです。まだ始まったばかりでしょう。村の探索、周囲の警戒。やるべき事はまだまだあります』
少路の説得にも不満気な顔をして律は口を尖らせる。この廃村の様子は後方支援員の頭部に備え付けられたカメラでも共有されているのだから、何もいないのは小路も分かっているはずなのに。
「むぅ。面倒臭いな~。早いとこ出てきてくれたらいいのに。……あれ?」
地面の小石を蹴飛ばしながら不貞腐れていた律はある事に気付いた。路上に広がる赤黒い染みが
『宮前君? ︎︎どうしました。何か気付いた事でも?』
急に黙った律を訝しみ少路が訊ねる。律はそれに頭を掻きながら気乗りしない声で応えた。
「これ、なんかヤバいかも? ︎︎分かんないけど嫌な感じがする。はぁ、早く優斗に会いたいのにヤダなぁ。取り敢えず村の探索続けま~す。その間に行方不明者の情報ちょーだい」
踵を返し更に村の奥へと歩を進める律の後を四人は慌てて追った。
廃村の中をうろつき、見つけた捕食の形跡は三ヶ所。少路から得た行方不明者の数と一致した。行方不明者は全部で六人。カップルと三人連れ、そして単独の計三組だ。皆、ここに肝試しに来る事をほのめかせていたという。その後消息を絶ったのだ。それはここ二ヶ月の事らしい。
この村が捨てられたのは約三十年前。十数年前から心霊スポットとして知られるようになり興味本位で訪れる者がいたそうだ。だが、行方不明者が出たというデータは無い。それが最近になって実害が出てきたというのは何か意味があるのか。律は歩きながら思考するがヒントになる様な物は発見できなかった。
一通り村とその周辺を見て回った律達は集会所跡らしき建物前の広場に行き着き荷物を降ろして一息つく。空を見ればもう陽も沈みかかっていた。今夜はここで野宿する事に決め、準備に取りかかる。野宿と言ってもテントなどは無い。夜は妖魔の活動が活発になるため奇襲が予想されるからだ。呑気に寝袋に包まれる余裕は無い。集会所跡を背にして半円を描くように地面に座る。中央に律、その左右に水戸と飯田。最奥が後方支援員達だ。
パサパサの携帯食を水で流し込み、座したまま毛布に
蛙の鳴く声を聞きながら律は夜空の星を眺め、優斗の事を想う。頭上には満月が輝いていた。
――もう寝た頃かな。晩ご飯はちゃんと食べた? ︎︎
会えない時間が想いを育てていくというのはなんの歌だったか。そっと目を閉じればはにかむ笑顔。眩しくて愛おしい人。その人を想うだけでじんわりと暖かいもので心が満たされていく。
しかし、そんな小さな幸せは突如として奪われた。
何も無かった空間に、パキッという何かが壊れる様な不可思議な音が響くと共にそれは現れたのだ。
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