第三十一話 呼霊
そこに現れたのは全長二メートル程の巨大な妖蟲が四体。そして、その奥に佇む人影。その人影は宙に浮いていた。白いシルクハットを被りドレープのたっぷり取られた裾の長いテールコートに身を包んでいる。顔は月の逆光で見えないがシルエットで男だと分かった。その髪は襟足が長く金色で緩く
「皆様、こんばんは。ご機嫌いかがでしょうか。良い月夜でございますね」
それは異様な光景だ。男の足元には確かに何も無い。律とていくつもの修羅場を
「総員戦闘準備!」
律の掛け声で水戸と飯田も我に返り抜刀して正眼に構えた。やや遅れてあとの二人も銃を手に取る。銃と言っても対妖魔の特別製だ。弾丸に妖蟲を練り込んだそれは致命傷にはならないまでも、援護射撃程度ならできる品物であり足止めとして活用される。妖刀を持つには霊力の足らない後方支援員に配備される軍用のアサルトライフルを改造した物だ。
そんな物々しさを男は大仰な手振りで笑う。
「これはこれは。流石は序列五位の
その口振りは律を知っているかの様だ。だが律にこんな知り合いはいない。何処かで会ったのだろうか。思考を巡らせるが思い至らない。だから素直に聞いてみる。こういう所が律らしい。
「俺を知ってるの?」
御代月に手をかけ抜刀の姿勢のまま口を開けば男は愉快そうに応えた。
「はい、勿論。宮前律様、でございますよね。初めまして。
そう言って指を鳴らす。
「折角の逢瀬。まだお話したい所ではございますが、申し訳ございません。そろそろお時間です。この子達のお相手をして頂きましょう。貴方様のお相手をするには少々小物すぎますが何卒ご容赦を。貴方様がいらっしゃると分かっていればもっと育った子達をご用意しておりましたのに。今宵はご挨拶という事で」
伽陸の声を受けて妖蟲が動き出した。前情報では二体だったはずの妖蟲が四体もいる。序列が低いとはいえ数に押されれば危うい。しかもその大きさが有り得なかった。
――美津代さん、ちゃんと仕事してよ。
律は心中で毒づくが巨大な芋虫の様なそれは容赦なく無数の脚を蠢かせジリジリと這い寄る。伽陸は楽しげに声を弾ませ声高に叫んだ。
「さぁ、お前達。生き残りたくば喰らいなさい!」
その声を号令に巨体が跳ね、一気に躍りかかった。
まずは先制。アサルトライフルが弾丸の雨を降らせ硝煙の匂いが充満する。空になった薬莢が乾いた音を立てて落ちた。
的が大きいためそれは全て命中したが妖蟲の突進は止まらない。
血飛沫を上げながら奇声を上げ、ただ闇雲に突っ込んでくる妖蟲を水戸と飯田が前に出て迎え撃つ。
折り重なるようにして餌に群がる妖蟲共は先を行く飯田に狙いを定めた。
牙が
飯田は反転して身を
それは妖蟲を両断し絶叫と共に地面に沈め黒い染みが広がる。
「一匹撃破!」
飯田が宣言し次の目標に狙いを定める。
そこへ攻撃が集中した。
飯田は飛んでくる群れを転がりながら回避したが妖蟲の様子がおかしい。
飯田達には目もくれず息絶えた仲間の死骸に喰らいついたのだ。見る間に喰い尽くしていく妖蟲共は次第に膨張していった。腹が裂けても喰う事を止めない妖蟲は肥大化し手脚が生え進化していく。餌食となった仲間の霊力を取り込んだのだ。
これでは倒せば倒すほど敵に力を与える事になってしまう。律は歯噛みした。今までも複数の妖魔を相手取った事はあるがこんな事は初めてだ。妖魔が喰うのは人の念のみ。それが定説だ。しかしこれではまるで――。
「まさか
律は教習で聞いた話を思い出していた。壺に毒虫を入れ共食いさせ、最後に残った虫を使った呪い。それを妖蟲でやっているというのか。本来は人が人を呪うために行われる秘術のひとつ。つまりは犯罪だ。それは陰陽寮ではなく警察の管轄となる。自然発生する妖魔を相手にしてきた律には討伐経験が無かった。背中を冷たいものが伝う。
そんな律の様子を見て伽陸がほくそ笑む。
「流石でございますね。その通り。ここにいるのは皆共食いを経て成長した子供達です。可愛いでしょう? ︎︎手っ取り早く妖魔を育てるには絶好の手法です。妖蟲とて人の念に変わりはございません。自然に任せるより確実で濃い個体を作り出せます。さて、この子達はどこまで成長できますでしょうね」
伽陸が言い終わる頃には三体の妖魔が誕生していた。ミミズの様なのっぺりとした頭部には牙が蠢く穴が開き、腹だけが太っている。短い手脚で這い回る
「映司さんと駿さんで右の奴やって! ︎︎俺が左をやる!」
二匹同時に倒してしまえば一匹に集中できると考えた律が叫んだ。しかし伽陸はしたり顔で
「ええ、そうでしょうとも。それが定石でございましょう。でも、そう易々とやらせるとお思いですか?」
不敵に笑う伽陸が指を鳴らすと妖魔達の動きが変わった。お互いに喰らいつき、貪りあったのだ。その様に律達は息を呑む。人が喰われる場面は幾らでも見てきたが妖魔が喰らい合うのを見るのが初めてだったからだ。それは異様で異常な風景。攻撃するなら絶好のチャンス。そう思うのに足が動かない。ここに玲斗がいれば対応できただろうが、律にはまだそこまでの判断がつかなかった。情報自体
律達が呆然と見つめるその間にも、溶け合う様に三匹の境界が曖昧になり、どんどんと膨れ上がっていく。それはやがてひとつになり巨大な塊と成り果てた。
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