第三十二話 月夜の死闘

 それは全長四メートルにも及ぶ巨大な妖魔だった。四肢で這いつくばり、不揃いな牙がザワザワと蠢く真っ赤な穴だけがぽっかり開いた頭部。太く短い脚には鎌の様な鋭い爪が鈍く光り、ぶくぶくと肥太った腹を引きずるようにして振り返ったそれは上空から律達を睥睨すると地を揺るがす咆哮を上げた。


 ――ヤバい。これじゃ麓まで届いちゃう。


 いくら山中といっても市街からはそれ程離れていない。声もそうだがこの大きさでは木々の合間から目撃される可能性があった。今のご時世、録画機器は身近にある。それを拡散するツールも豊富だ。もしネットの海に広がってしまえば国の力を持ってしても抑え込むのは至難の業だろう。一刻も早く始末する必要がある。しかし、その霊圧は呪いの相乗効果も相まって今や序列十位にも迫る勢いだ。ここまで成長してしまっては律とて易々と討伐する事ができはしない。それに加えこの大きさ。数ではこちらが勝るとはいえ手駒が心許ない。


 唯一の利点は満月で明るく妖魔の視認が容易な事くらいか。


 だが、それでもやるしか選択肢は無いのだ。例え死への道しか無くとも突き進む。それが陰陽寮に身を置く者の運命だ。しかし、律に死ぬ気は毛頭なかった。死ぬなら優斗と共に。今まで惰性で生きてきた律の目に光が宿る。


「美津代さん。ちゃんと記録取ってるよね? ︎︎前情報も穴だらけだったんだからちゃんとやってよ。後処理の手配もよろしく。できたらあの変なのも捕まえたいけどそこまではちょっと無理かな~。サンプルだけでも上等でしょ」


 イヤーモニターに声をかけると騒然とする音が聞こえる。この様子はカメラを通して情報部へ中継されているのだ。突如として現れた脅威に本部もてんやわんやなのだろう。その音に紛れて小路の抑揚のない声が返った。


『了解しました。すぐに応援を編成します。ご武運を』


 それだけ言うと音が遮断される。生き死にの状況にあっては多少の雑音も命取りだ。こちらの音声はカメラで共有されているから問題は無い。律は唇を舐めると部下に指示を出す。


「想定より強い奴が出てきちゃったけどやる事に変わりは無いよ。妖魔を殺す。それだけ。映司さんと駿さんは左右から脚を狙って。俺は正面から行く。後方支援員サポーターは援護。味方に当てないよう気をつけて。そんな事になったら自分の命も危ないからね~。盾は一人でも多い方がいいでしょ? ︎︎生きて帰りたいなら死ぬ気で頑張ってね。大丈夫、手足の一本や二本無くなっても死にはしないから。生きて帰ればそれで勝ち。簡単な事だよ」


 口を動かしながら御代月を抜くと、その刀身は月光を映して妖しく光る。長大な刀身を下段に構え一歩引くと前傾姿勢を取り足に膂力りょりょくを込め笑った。


 さぁ、殺し合いの時間だ。


「よ~い……」


 後ろで息を呑む気配が伝わってくる。


「どん!!」


 掛け声と共に猛烈なスピードで前に出る律。


 狙うは首だ。いくらデカい口を持っていようが首を落とせば意味は無い。だがその首は丸太の様に太く一筋縄では攻略できないだろう。まずは体力を削ぐ。そのためにも脚を攻めさせたが後続が遅れている。


「何やってるの!? ︎︎遅いよ!」


 叫びながらスライディングの要領で妖魔の首の下に入り込み、跳力を利用して深く突き刺す。それは根元まで埋まり、刀身を捻り抉りながら力任せに横に薙いだ。


 妖魔は雄叫びを上げ体を持ち上げる。がら空きになった胴体にアサルトライフルが火を噴いた。良い射撃の的になった妖魔の腹は無数の穴が開きドス黒い血がシャワーのように吹き出る。


 そこにやっと駆けつけた水戸と飯田が脚へ斬りかかった。


 水戸は脇差、飯田が太刀の妖刀だ。


 二人とも脚の裏側、腱を狙って攻撃をしている。しかし、分厚い肉に阻まれ功を成していない。そもそも今となっては水戸達の妖刀より序列が上がってしまった妖魔には効果が薄いのだから無理もないだろう。この規模の妖魔は本来ならいくつかの隊が連携を取って退治する案件だ。それをたった一班だけで対応するには限界がある。


 これは律が頑張らねば全滅も有り得た。律としてはいくら手駒が死のうが知った事では無いが自分まで巻き込まれては困る。なんとしても優斗の元に帰らなければならないのだから。それに班員が死んだと知ったら優斗が悲しむかもしれない。それは嫌だ。


 暴走しようとチリチリと疼く体を抑えつけながら頭を回転させる。


 どうすれば死なない?


 どう動かせば手駒を活かせる?


 考えろ!


 律の頭の中は優斗の笑顔で埋め尽くされる。あそこに帰るんだ。その意思だけで体を動かす。


 迫る爪を弾き、肉を裂き、血にまみれながら前に進む。何度も攻撃がかすり傷も増えていく。腕に足に体に。裂傷は増えていき妖魔と自分の血が混ざり服が貼りついて気持ちが悪い。どうしても体重の重い妖魔の方が力が強く捌ききれない。刀で受けても競り負けてしまうのだ。


 もうどれくらい斬り合っただろう。息が上がり、刀を握り続けた手が痺れてきた。一旦間合いを取って息を整える。


 その時、視界の端に飯田が吹き飛ばされる姿が映った。地面に叩きつけられ血を吐く飯田。あれでは骨がやられている可能性が高い。それでも体を引きずり刀を手に立ち上がろうとするが、あれではいい餌にしかならない。飯田程度の霊力ではたかが知れている。それでも蠱毒という呪法の元ではどれだけの変化があるか分からない以上、危ない橋は渡れなかった。


「駿さん後方で援護に回って! ︎︎回収急げ!」


 その声に後方支援員の一人が飯田を引きずっていく。戦力が減るのは痛いが喰われてまた力を付けられる事を避ける方がまだマシだ。それに予備の銃もある。それで援護してもらえれば多少の足止めにもなるだろう。


 これで接近戦ができるのは水戸と二人。しかし、水戸は序列十三位だ。力も拮抗して傷も多く負っている。それに加え体格差がありすぎだ。これでは致命傷を与える事はできないだろう。ちらりと空を見ると月が姿を消し、段々と白んできていた。


 ――もう少し。


 応援が来れば押し返せる。深呼吸をして御代月を構え直した。


 体は疲労と裂傷でヘトヘトだ。お腹も減ったし血も足りない。それでも負けてやる気など微塵も無かった。


 上空に視線を向けるとそこでは相変わらず伽陸が笑いながら戦いを傍観している。その態度がムカついた。


 妖魔に目をやる。全身傷だらけだが首を落とすにはまだ足りない。さすがに弱点なだけあって守りが硬かった。ならば守れない場所を狙えばいい。


 四肢にそして妖刀にまで霊力を巡らせ、地を蹴り駆ける。


 妖魔は立ち上がり手を振り回した。


 鋭い爪が頬を掠め血が舞う。


 それにも構わずに突進した。


 猛攻を掻い潜り巨体に肉薄すると、全体重を乗せて曝け出された腹に突きを叩き込む。


「おぉぉぉぉぉぉおおっ!」


 雄叫びと共に渾身の力で斬り上げれば腹が裂け内蔵が飛び散り、腐敗臭を撒き散らしながら妖魔が絶叫する。


 そのまま前方に倒れ伏し起き上がれないまま踠き苦しむ様は醜悪だ。


 律は肩で息をしながら首をよじ登り頭上に立つと刀に渾身の力を込めて脳天に突き刺した。


 それは頭蓋を割り脳に達する。そのまま掻き回すように抉ると妖魔は痙攣を繰り返し動かなくなった。さすがに脳を破壊されては特殊な妖魔と言えど一溜りも無い。


 それを確認して空を仰ぐ。


 睨んだ先には伽陸の姿。


 その顔は朝日に照らされはっきりと認識できた。そこにあったのは白い顔。目と口だけが弧を描く仮面だ。それはまるでピエロの様で気味が悪い。その右側面に血の様な赤でろくの文字が刻まれている。無表情な笑顔が楽しそうに揺れ、俳優に送るように拍手した。


「お見事でございます。出向いた甲斐があったというものです。ますます欲しくなりました」


 欲しい?


 何の事を言っているのだろうか。


 睨み合う二人の間を朝日が焼いた。


 それと同時に大量の足音が近づいてくる。やっと応援が到着したようだ。


「次は君だよ」


 律が刀を向けて挑発するも伽陸は肩を竦め笑う。


「折角のご指名ですがそろそろお暇いたします。今宵はとても楽しゅうございました。またお会い致しましょう」


 気取った礼を披露すると、また何かが壊れる様な音と共に伽陸の姿が霧散した。


 それに皆が息を呑む。


 残されたのは巨大な妖魔の死骸のみ。


 静けさに支配された広場に人が押し寄せ、律は肩の力を抜くとその場にへたり込んだ。


「つーかーれーたー。もーやぁだぁ動きたくなーいー。ゆぅとぉ会いたいよー」


 律は後ろにパタリと倒れると駄々を捏ねるように手足をバタつかせた。


 そこに到着した応援が傷の手当と妖魔の搬送に散る。律は報告のために本部へと向かう車に嫌々乗せられた。優斗の元に帰るにはもう少し時間がかかるだろう。


 振り返った空にはもう何も無い。


 こうして長い夜は明け、謎だけが残るのだった。


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