第三十三話 共依存

 様子のおかしい長谷部を見送った優斗は昼食を取るために部屋を出た。すると頭上が騒がしく、バタバタと足音が響いている。会議室は防音が施されていて今まで気付かなかった。何事かと思ったが自分にはなんの報告も無いのだから関係ないのだろう。そう捉えてエレベーターへ向かう。


 しかし、上の騒動は昨夜の襲撃から帰還した隊員達への対応のために奔走する情報部だ。四階には司令部があり治療の済んだ隊員がそこに集められて事情聴取が行われていた。突如現れた伽陸かろくと言う人物。そして蠱毒で生み出される妖魔について。その事情聴取には勿論律もいた。すぐそこに律がいる事も知らずに優斗は外へ出たのだった。


 向かうのは律に教えて貰った定食屋「亭八」だ。美味しかったのも勿論あるが少しでも律の存在を感じたかった優斗の足は自然と亭八へと向いていた。暖簾をくぐるとまだ昼時には少し早い時間なのもあり客はそう多くなく、優斗は以前律と座った席につく。周りを見ればちらほらとスーツ姿の客も見受けられた。この中にも陰陽寮の所員はいるのだろうか。ここは陰陽寮から数分の場所だ。昼に出てくるには丁度良さげだが建物内の様子を考えると弁当派が多いのかもしれない。そんな事を考えていたら女将さんがお冷を持ってきてくれたので唐揚げ定食を頼んだ。この時間に学生が定食屋にいるのは少し不自然だが、女将さんは何も言わず注文を聞き厨房へと戻って行った。


 食事が運ばれてくるしばしの時間、優斗は自分の手を見る。そこには肉刺まめが潰れて固くなった掌があった。優斗の努力の賜物だ。それを見ながら優斗は午後の講義に思いを馳せる。


 午後からは武術訓練に参加する事になっていた。座学とは違い、他の特務部隊員と一緒だ。故郷では剣術の鍛錬は祖父と二人だけだったから手合わせするのが楽しみでもある。人の数だけその癖も変わるのだから実戦では経験がものを言う。優斗は実家の手伝いのために部活にも入っていなかった。体育の授業で剣道はあったが優斗がたしなんでいたのは剣術だ。スポーツと実戦的な武術では勝手が違う。しかも素人が相手なのだ。実績には程遠い。それに陰陽寮ここでは剣術だけではなく格闘術も学べると聞いていた。妖魔を相手取るための、言い換えれば殺すための技。優斗の手は震えた。しかしそれは恐怖からでは無い。力を手にする事に歓喜していたのだ。それに気づいた時、優斗は顔を歪め笑った。自分も十分壊れているではないか。平穏な日常に隠されていた異常性。白日の元にさらされた己の本性に自嘲が零れた。


 人は誰しも特別に憧れる。物語のヒーローやヒロイン、一攫千金のアメリカンドリーム。そういった物にだ。だが実際その立場に立たされると怖気付いてしまう。それに相応しく在る事を求められるからだ。ヒーローなら高潔さや公正さを。ヒロインなら清廉さやひたむきさを。一攫千金を夢見る者には強い野心か。だが優斗にはそんなものは無い。ただ流されるままに辿り着いた地で醜い虚栄心で身を固めているだけだ。律や父を非難する資格など持ち合わせてはいない。共切という拠り所が無ければ陰陽寮ここに居場所など無いのだ。それならば誰にも文句を言わせないだけの力をつけよう。律もそれを望んでいる。これから自分は妖魔を殺す事だけを存在意義として生きていく。それが共切に選ばれるという事だ。そうしていれば律は傍にいてくれる。今は離れている相棒を思えば勇気が湧いてくるようだった。優斗は拳を握り、新たな決意を固める。


 求められるならば応えてみせよう。それが例え修羅の道でも。虚栄心と欺瞞にまみれた醜悪な欲に忠実に。己に与えられたのは鬼切りのかせ。醜く汚らしい自分にはお似合いだ。


 だがそれでも、律の笑顔が脳裏に浮かべば幸福感に満たされる。こんな自分でも幸せにできる人がいるのだ。一方的であってもいい。律にはいつでも笑顔でいてほしかった。心が壊れていようとも、自分を通り越して共切を見ていようとも、優斗にとって律は既に特別な存在になっていた。それは一種の共依存。お互いがお互いを生きる支えとしている。どちらかが死ねば後を追いかけ兼ねない危険性を孕んだもの。優斗はそれでもいいと思ってしまう。死ぬ時は律と共に手を取り合って。その時まで死んでなるものか。例え手足がもぎれようとも命ある限り律を守る。他の奴らなど知った事か。父も陰陽寮もどうでもいい。ただ律が傍にいればそれで。そう決心すれば心が軽くなった。


 そのためにも共切を使い熟さなければ。運ばれてきた唐揚げ定食を前に優斗は鼻息も荒く自分を鼓舞した。山盛りの唐揚げを次々と頬張り味噌汁で飲み下す。体も育ち盛りだ。身長だってきっとまだまだ伸びる。律と並び戦う日はそう遠くない。そのためにも残り五日と半日をしっかり肥やしにしなければならないだろう。泣き言を言っている暇なんて無いのだ。律の足手まといにだけはなりたくなかった。律の望む自分になるためにも、優斗は元気にご飯をおかわりする。午後からは体力勝負だ。相対するのは実戦経験豊富な特務部隊員達だが負けてなるものか。自分は特級の名を背負うのだからそれに見合った努力をしなければならない。小さいからと侮られるのも癪だった。


 共切が優斗と共にあるのでは無い。優斗が共切を従えるのだ。


 そう意気込んで、腹を満たした優斗は会計を済ませ陰陽寮地下の道場を目指した。そこにいるのは手練の猛者もさ達。それを制して己の力を見せねばならない。


 律と共に生きるため。


 律の願いを叶えるために、優斗は鬼切りの刀を手に覇道を突き進む。

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