第四十二話 ︎︎輸攻墨守《しゅこうぼくしゅ》

「さて、宮前君。せっかく来たんだ。ひとつ手合わせといこうじゃないか。君もうずうずしているんじゃないかね」


 訓練も終わりかと思われたその時、後堂が不意に律に声をかけた。優斗がそちらを振り返ると、律が怒気の籠った眼差しで後堂を睨みつけているではないか。


 どうしたのかと思っていると、律が前に出て挑発的に声を張る。


「いいよ。やろうよ欣二きんじさん。優斗を可愛がってくれたんだもの。お礼しなくちゃね」


 そう言うと手近な模擬刀を手に取り、後堂と相対した。周囲は突然の出来事にザワついている。優斗もどうしていいか分からずオロオロとしていると、背後から肩を叩かれた。びくりとして振り返れば東がいて、そのまま肩にもたれかかってくる。


「ま、見物といこーや」


 軽い口調で無責任な発言をする東に、優斗は開いた口が塞がらなかった。いくら律が序列五位といっても相手は教官だ。そう簡単に勝てる訳が無い。


「そんな、東さん。止めなきゃ……!」


 律がやられる所なんて見たくはなかった。律の笑顔を守るためにした事が、逆に危険に晒す事になるなんて。慌てて止めようとする優斗を東が首に手を回して押しとどめ、もうひとつの手でガシガシと頭を撫でる。


「大丈夫だって。相棒を信じてやんな」


 煙草臭い息が鼻にかかり優斗が顔をしかめると、東はそれを面白がってわざと息を吹きかけた。優斗が押しのけようとするが、力仕事の技師だけあって力が強い。体格でも劣る優斗ではその腕から抜け出す事はできなかった。


 しばらく揉み合っていると、律が非難の声を上げる。顔を上げるとこちらを指さし、地団駄を踏んでいた。


「ちょっと! ︎︎公太こうたさん! ︎︎優斗は俺のだって言ってるでしょ!? ︎︎馴れ馴れしくしないでよ! ︎︎触らないで!」


 ぷんすかと怒る律に対して、へらっとした締りのない顔で東が手を振る。


「ば~か。ここはかっこいい所を見せるいい機会じゃねぇか。ほれ、お前もなんか言ってやれよ」


 そう言って優斗の背を押す。優斗は一瞬視線を彷徨さまよわせたが、頬を染め小さく呟いた。


「その、頑張れよ。応援してるから」


 その声をしっかりと聞き取った律は途端に表情が輝き、ぶんぶんと腕を回して意気込んだ。


「うん! ︎︎見ててね優斗!」


 律のはしゃぎ様に場に柔らかな空気が流れる。しかし、それも瞬時に変わった。


 後堂に対する律はいつもの笑顔をきりりと引き締め、闘気をまとう。それは鬼気迫るものだった。優斗の故郷で塚封じをした時とも違う、真剣な表情。


 その横顔を見て優斗の胸はどくりと高鳴った。また違う一面を見られた喜び。自分を想ってくれている実感。殺気の籠った暗い瞳。その全てが優斗の身体を熱くする。


 律の勇姿を前にしてうっとりと見つめる優斗の顔を覗き込み、東が顎をさすりながらニヤニヤといやらしい笑みを浮かべた。


「お? ︎︎律の片思いかと思ってたが、どうやらそうでもないらしい。今夜は赤飯か?」


 ぐりぐりと頬をつねる東の言葉で、優斗の頬は紅潮する。いとも容易たやすく看破された恋心。誤魔化そうにも東は確信を得ているようだ。


 それならばいっそ、認めてしまえ。


「……悪いですか。そうですよ。惚れてます。笑いたければ笑えばいい。あれだけ拒絶してたくせに絆されて馬鹿みたいだって。男同士だなんて……気持ち悪いって」


 優斗の顔がくしゃりと歪む。否定されるのは怖い。だが東は笑わなかった。優斗の肩をぽんと叩き、同じ目線に屈み律を見る。


「別にいんじゃね? ︎︎異性だろうが同性だろうが、好きって気持ちにゃ違いはねぇよ。好きなんだろ? ︎︎惚れたんだろ? ︎︎だったら命を賭けて守る。それだけだろうがよ。お前はその共切を持ってるじゃねぇか」


 意外な東の言葉に優斗がぱちりと瞬きする。東の事だからてっきり揶揄からかわれるものと思っていたのに。


「東さん、意外とまともなんですね」


 思わず零れた本音にも東は余裕の態度だ。


「この俺を誰だと思っていやがる。なんたって百戦錬磨のプレイボーイ、東公太様だぜ?」


 気取って胸を張る東。だが優斗は覚めた視線を向ける。


「でも、律は振られっぱなしって言ってましたよね」


 鋭いツッコミにグッと唸ると、分かりやすく東は誤魔化した。


「うるせっ! ︎︎あれは女共の見る目がねぇんだよ! ︎︎んな事よりほら! ︎︎始まるぞ……!」


 東の掌が優斗の頭を挟み、無理矢理正面に向けた。視線の先には対峙する二人。周りの隊員達も緊張の面持ちで見守る。


 後堂もゆっくりと模擬刀を構えた。その顔は柔和だが闘気がみなぎっている。優斗をしごく時とは違う、戦場に立つ男の顔だ。


 対する律も不敵に笑う。


「欣二さんとやるの、久しぶりだね。現場に出なくなってどれくらい? ︎︎素人ばかり相手にして、腕鈍ってないといいね」


 そういう声は律にしては語気が強く、挑発しているのが丸分かりだ。後堂も苦笑いして応える。


「心配はいらないよ。君の相棒が勘を取り戻してくれたからね。手加減は無用だ」


 優斗は後堂の言葉に驚いた。教官が手加減される側なのかと。それだけ律は強いのか。それとも後堂の戯言ざれごとか。


 律は序列五位。ここにいる隊員はまずお目にかかれない大物だ。菖蒲達も前線で戦う律には興味があるのか、真剣な表情で成り行きを見守っている。


「勝負は一本先取。それでいいかな」


 問う後堂に律は頷いてみせた。


「おっけ~。んじゃ、初めよっか」


 律は一言呟くと、大きく踏み切り間合いを詰める。


 それは尋常なスピードでは無かった。


 一瞬、消えたのかと錯覚すら覚える瞬歩。


 周囲からどよめきが上がる。


 優斗も息を呑んだが、後堂は臆せず迎え撃った。


 下段からの斬撃を最小限の動きでかわすと鋭い突きを胴に放つ。


 律は空振った勢いで反転し、突きを受け流すと回し蹴りで顎を狙う。


 それも躱されるが、律は更に上段から模擬刀を右肩目掛けて打ち下ろした。


 後堂は模擬刀で受けると、刀身を滑らせ律の体勢を崩し、顔面に膝蹴りを入れる。


 しかし、律は空中で強引に回転し、回避すると着地と同時に身を屈め足元を払う。


 後堂は飛んで空振りさせると、全体重を乗せ首を狙い打つ。


 律は蛙のように四つん這いで後方に跳ね、斬撃が髪を掠めた。


 一旦、距離を取った両者はにっと笑い合う。


「いや、実に愉快だ。こんなに心躍るのは久方ぶりだよ。小堺君といい、君といい、良き人材が集まってくれた。陰陽寮も世代交代の時期かな」


 後堂の言葉に、律は無邪気に返す。


「そんな事言って~。引退する気無いくせに。そろそろいい歳なんだしさ、後続に道を譲ったら? ︎︎満重みちしげさんも、ずっと補佐じゃ可哀想でしょ」


 視線でちらりと見る先には、教官補佐の杷木はき満重みちしげの姿があった。まだ歳若い青年は、急に名前を出されキョドっている。杷木は体格はいいが、背が低くずんぐりとした青年だ。いかにも体育会系な彼は、指導も厳しく、隊員から恐れられている。


「杷木は欲が無いからね。私の元でまだ修練したいそうだよ。いや、力に貪欲なのかな?」


 後堂の褒め言葉とも取れる評価に、杷木は表情を引き締め頷いた。


「え~、つまんないの。下克上するくらいの意気込みで張り切ってよ、満重さん。焦る欣二さんとか見てみたいな~」


 律は心底残念そうに眉を垂れる。だが後堂も杷木も、今の体制に満足しているようだ。


「はっはっは。まぁ、そう言ってくれるな。私もまだまだ戦える。隊員を鍛えるのが生き甲斐なんでね。私にできる事が残っている限り、刀を持ち続けるさ。年寄りの楽しみを奪わないでくれたまえ」


 後堂は活力に満ちているため若く見えるが、今年六十を迎える。実力主義の陰陽寮にあって、未だ現役であり続けるだけのタフさと胆力は恐れ入る。


 そこは律もちゃんと分かっているのだ。それでも、やはり優斗を痛めつけた事には腹が立つ。訓練と理解していても、青あざを増やす姿を目にすると心が痛い。


「む~。だからって優斗をあんなに打たなくてもいいじゃない。見てよ、腕とか腫れちゃってる。可愛い顔にも青あざ作ってさ。優斗は俺の大事な人なの。いくら訓練でも我慢できない」


 優斗は公衆の面前で大事な人発言され、頬が紅潮する。周囲の隊員達の視線が集中して、それが更に恥ずかしい。


 背後の東も揶揄からかう様に頬をつついてきた。


「何を言うのかね。厳しくするのは生きてほしいからに他ならないだろう? ︎︎小堺君は共切の所有者、特級だ。早々に死んでもらっては困る」


 後堂の言う事は最もだ。優斗もそれを望んでいる。律にとってもその方がいいのだが。


「分かってるよ、それくらい。でもヤなの!」


 ぶーたれる律を孫の様に柔らかく見つめ、後堂は口を開く。


「そうだな。愛する人が傷付くのは辛い。だから我々は戦うんだ。違うかい?」


 それは今までとは違う声音だった。後堂に何があったのか、優斗は知らない。しかし、大事なものが奪われたであろう事は推察できる。


 律も思い至ったのだろう。それ以上軽口を叩く事は無かった。


「さて、お喋りはこのくらいでいいだろう。続けようか」


 その声で、再び二人は構える。

 互いの譲れぬものを賭けて。

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