第二十六話 後継の務め

 長谷部に連れられてやってきたのは一階の医療部だ。エントランスの自動ドアをくぐると途端に騒がしくなった。病院独特の匂いが充満し、少しの緊張が走る。そこでは多くの人が行き交っていて、他の部署とは全然違う様子に優斗は唖然とした。そんな優斗を見て長谷部は弾んだ声を上げる。


「ここは陰陽寮で一番の修羅場だからな。妖魔との戦いで怪我人は絶えない。怪我の内容も様々だ。毒を喰らう者、腕を喰い千切られた者、目を抉り取られた者。血を抜き取られミイラ化した者もいたな。貴様もその内世話になるだろう。その時は、生き残れるといいな」


 そう言う長谷部の目は笑っていなかった。そこにあるのは実験体に対する興味だけ。生きるか死ぬか。それはただの過程に過ぎなかった。例え死んだとしても利用価値はいくらでもある。大手を振って解剖できるのだから。それも全ては共切を次代へ繋ぐため。いや、それも詭弁か。ここにあるのは未知に対する飽くなき探究心。残酷なまでの知的好奇心。どんな手を使ってでも暴きたいという自分本位な嗜虐心。それらがぜになった吹き溜まりだ。己を過信した自分にはお似合いの場所だろう。優斗は自嘲すると先を行く長谷部に続いた。


 辿り着いたのはロッカールームだ。縦長の部屋には無機質なロッカーがずらりと並んでいる。長谷部はその片隅に積まれた袋をひとつ取り出すと優斗に投げて寄越す。


「それに着替えろ。下着も全部脱げ。さっさとしろよ」


 それだけ言うと部屋を出ていってしまった。袋を開けて中を見れば一揃えの検査衣。優斗は手近なロッカーを開けて持っていたリュックと共切を放り込むとシャツのボタンに手をかける。着替え自体はすぐに終わった。薄い水色の脇の開いた貫頭衣と半ズボンだ。しかし、下着も脱ぐよう言われたので下半身がスースーして落ち着かない。透けて見えないかも気になってしまって部屋から出るのが躊躇ためらわれる。若干腰が引けながらロッカールームから出ると長谷部が仁王立ちして待っていた。


「遅い! ︎︎これが現場なら貴様の命は無いと思え。時間は財産だ。一分一秒が生死を分ける。覚えておけ」


 厳しい叱責に身を縮める優斗を尻目に長谷部は踵を返し次の部屋へと向かう。優斗はその背中を前屈みで慌てて追った。


 真っ白い廊下を歩く事数分。長谷部が足を止めたのは小さな部屋だ。引き戸を開けると一人の看護師が待っていた。モッサリとした前髪に目が隠れた猫背の青年は顔を上げ近寄ってくると、間延びした口調で話しかける。


「長谷部さぁん、お待ちしておりましたぁ。彼が優斗くんですかぁ? ︎︎小さいですねぇ。かぁわいいぃ」


 そう言いながら優斗を覗き込んできた。その言葉に優斗はムッとして睨み返す。確かに同年代と比べると小さいがまだまだ成長期だ。律がデカいだけで。いつか律だって追い抜いてやる。


 そんな優斗の葛藤には気付きもせず大人達の会話は続く。


「坂下。後は頼む。私は研究室に戻るよ。何かあったらすぐ知らせるように」


 坂下と呼ばれた青年も勝手知ったるといった様子で返事をする。


「はいはぁい。了解ですぅ」


 そして長谷部は優斗を残して去っていった。取り残された優斗の手を坂下が握り上下させる。


「初めましてぇ。僕は坂下さかしたわたるだよぉ。よろしくねぇ。じゃぁ、優斗くん。こっち来てぇ。まずは身体測定からだよぉ」


 手を引かれて部屋に入ると、学校でも見知った用具が並んでいる。身長や体重、体のサイズ測定から握力等の身体能力まで一通り計られた。普通の身体測定に優斗がほっとしていると、坂下が隣の部屋に通じる扉を開く。


「はぁい、じゃあ次はこっちだよぉ。注射は大丈夫だよねぇ? ︎︎血液採取と尿検査、脳波測定に後はCTにMRI、心電図……ちょっと大変だけど頑張ってぇ」


 その後は色々な部屋を巡り、ありとあらゆる検査を受けた。ひとつひとつの検査に時間がかかり昼食も取らずに連れ回され、へとへとになった頃、やっと終わりが来る。しかし、それは優斗の尊厳さえ踏み躙るもので。


「んじゃ、最後ねぇ。試験管これに精液出してきてぇ」


 にこやかに渡されたのは理科の実験でも馴染みの細長い透明な試験管。しかし、聞こえた単語に頭が真っ白になった。


「え……? ︎︎今、なんて?」


 聞き間違いを期待して尋ねるが返ってきたのは無情な言葉。


「ん~? ︎︎精液だよぉ。精通はもう済んでるよねぇ? ︎︎じゃあ、はい。頑張ってぇ」


 そう言って扉を開けると、狭い部屋に見るからに十八禁とおぼしきグッズの数々が並んでいる。漫画に雑誌、DVD。その表紙だけでも優斗は紅潮した。


「な、なんでそんな物が必要なんですか!?」


 必死に抗議する優斗だったが坂下は不思議そうに首を傾げキョトンとしている。


「え~。だって子供が作れるかどうかも大事なデータでしょぉ。特に君は共切の使い手なんだしぃ。そのための検査だよぉ。大丈夫! ︎︎尿検査と変わらないよぉ」


 あくまで検査だと言う坂下。しかし、優斗にとっては辱めの何物でもない。それでも逃げる事はできないのだ。そう思うもこれはハードルが高すぎる。歯を食いしばって耐え、頭を振ると意を決して部屋へ足を踏み入れた。だがそこにあるのはどれも過激な物ばかり。まともに見る事もできずに視線は彷徨う。無駄な抵抗とは分かっていても聞いてしまった。その声は震えて涙目だ。


「あの、僕まだ十五歳なんですけど……」


 そんな優斗に坂下は手で輪を作って卑猥な動きで上下させる。


「じゃぁ、僕が手伝ってあげようかぁ?」


 本気か嘘か分からないその言葉に血の気が引いて慌てて扉を閉めた。


 狭い部屋で様々なジャンルの作品に囲まれ項垂れる。優斗だって思春期の男なのだ。自分で処理した事くらいはある。だが、それを提出した事などある訳が無い。深呼吸して覚悟を決めると、羞恥で染まる頬を持て余しながら手近な雑誌に手を伸ばす。その表紙にはどこか律に似た少女が下着姿で笑っていた。


 それから十数分後、白濁した液体の入った試験管を手に部屋から出た優斗はそれを坂下に渡す。優斗の顔は真っ赤だ。坂下はまだ生々しい温かさを残すそれをまじまじと見つめると一言。


「ん。見た目は異常無し! ︎︎これで検査は終わりだよぉ。後は結果待ちだねぇ。お疲れ様でしたぁ」


 やっと開放された優斗はがくりと肩を落とす。これなら妖魔を相手にしていた方が楽かもしれないと思いながら。




 今日の予定はこれで全て終わり、着替えを済ませて陰陽寮を出たのは十七時過ぎだった。昼食も取れずに検査されていたので腹が盛大に鳴る。もしかしたら律がもう帰っているかもしれない。優斗の足は自然と駆け足になり宿舎へと急いだ。

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