闇より出し者共よ
文月 澪
継承の章
第一話 訪れ
闇より出し者共よ。
影に潜みし
その毒牙で人の世に
その首には
この身は人にあって人に
罪なき人の子を守るためならば修羅にもなろう。
恐れよ。
己らの在るべき場所は地獄のみなり。
東京都郊外に位置する小都市。
その更に端に人口五千人にも満たない小さな町、
駅は無人駅。
電車もバスも一時間に一本だけで、都内ではあるが街中に出かけるには小旅行程の時間がかかる。そんな不便な立地はベッドタウンにもならず、降りる人もまばらだ。
駅前には昔ながらの寂れた商店街があり、町の中心を川が流れ、その周囲に田園風景が広がる。その中に家がまばらに散って、緑の生い茂る山々に囲まれた、ありふれた田舎町だ。
そんな町には学校が小中高と一校ずつしか無い。都会に憧れ、高校から町を離れる者もいたが、殆どがエスカレーター式に進級していく。周りを見渡せば見知った顔ばかりの閉ざされた町だ。
今日も変わらない風景の中、通い慣れた
少年、
まだ着慣れない糊のきいた夏服に身を包み、朝だというのに夏の容赦ない日差しに焼かれながら、汗を拭いつつ一本道をひたすらに歩く。辺りに見える物といえば田んぼと、遠くに陽炎で揺らいだ家が数件。それが優斗の日常だった。
学校に着けばようやく日陰に入る事ができる。
下駄箱に辿り着くと、優斗は溜息を吐いた。授業も始まっていないというのに既にシャツは汗で濡れていて気持ち悪い。今日は体育の授業も無いから束の間の行水に勤しむ事もできなかった。
気休めと分かっていても、手で顔を煽ぎながら教室へ急ぐと、古びた廊下には登校してきた同級生達がガヤガヤと騒いでいる。
昨日のテレビが――。
隣のおばさんが――。
うちの猫が――。
皆、他愛無い話で盛り上がっている。
優斗には何がそんなに楽しいのか理解できなかった。友人はいるが皆静かなタイプだったから。
小さな高校だ。クラスは各学年二組だけ。全校生徒を合わせても二百人に満たない。
それでも皆が廊下で
建物の中で外よりマシとはいえ、蒸し暑い校内ではしゃぎ回る生徒達を横目に一年二組の教室に入り、廊下側の列、後ろから二番目の自分の席に着く。鞄から教科書やノートを取り出して引き出しに収めた。
後は
優斗はこの時間が好きだった。
特段陰気な性格でも無いが、物静かで人と群れない。
小堺優斗とはそんな少年だ。
身長が百六十二センチと小柄で華奢だが、服の下に隠された体はしなやかな筋肉に包まれ引き締まっている。実家は神社で、祖父が剣術を
中には細くおとなしい優斗を標的に乱暴を働こうとした連中もいた。
しかし、優斗は祖父に剣術を学び身を守る術を知っている。なにせ狭い町だ。皆がその事を知っていたが、か細い優斗を勝手に弱いと決めつけ、害意を持って近づいてきた無法者達は皆返り討ちに遭い、逃げ帰るのが常だった。
だから、高校に上がる頃には周りから遠巻きにされ、親しい友人も少なく一人静かに過ごしていた。それを嫌だと思った事は無いし、むしろありがたいと感じている。
だが、そんな慎ましい日常は一人の転校生によって崩れ去ってしまう。
夏休みも目前に迫る七月の初めにその転校生はやってきた。
「皆、席に着け〜。転校生を紹介する」
そう言って担任の元木先生が出席簿を教卓に叩きつけ注目を促した。
ざわついていた教室は一旦は静まったが、しばらくするとコソコソと囁き合う声がそこかしこから上がり、黒板前に立つ少年に視線が集まる。
短く切りそろえた赤茶けた髪とくるくるとよく動く大きな
「あー、
元木先生が顎で合図を送ると隣に立つ少年は元気に挨拶する。
「宮前律です! どうぞ仲良くしてやってください!」
そう言って直角に頭を下げると、すぐに上体を起こしにっこりと笑った。
そんな人好きのする律の笑顔に教室は歓迎の拍手に包まれる。
「席は……、小堺の後ろが空いてるな。あそこを使ってくれ」
元木先生が指示すると、律は「はーい」と手を上げて軽い足取りでトテトテとこちらに向かってくる。
――人懐っこい大型犬のような奴だな。
それが律に対する第一印象だ。
明らかに自分とは属性の違う律に優斗は警戒心を持った。
「よろしく」
律は優斗の前で足を止めると声をかけてきたが、それに無言で返す。
軽く肩を諫めると律はそのまま後ろの席に座った。
それからHRが始まる。
内容は委員会のお知らせや、クラブ活動の事。それから町に猪が出たから注意するようにという内容だ。転校生以外はいつもの何でもない話で終わった。
元木先生が教室を出ると途端に騒がしくなる。
律の元に生徒達が集まってきたのだ。
閉鎖的な町だから外から来た者が珍しいのは分かるが、優斗の席まで押しやられるのはたまったもんじゃなかった。じろりと睨むが皆転校生に夢中で気付きもしない。
どこから来たの?
どうして来たの?
今はどこに住んでる?
親は何してる?
兄弟はいる?
彼女は……。
矢継ぎ早に投げかけられる質問に律はひとつひとつ笑顔で返していた。
自分にはできないなと半ば呆れ顔でその様子を眺める。
――はぁ、うるさい。静かに過ごしたいのに、どこか他所でやってくれ。
そう思うも、物珍しい転校生に熱気は収まる気配がない。
優斗はわざと聞こえるように溜息を吐き、大きな音を立てて椅子を引くとズカズカと教室から出て行った。普段は温厚な優斗の行動に皆が一様に息を呑んだが、それも一瞬の事で、すぐさま質問責めは再開される。
しかし、律は足早に出て行く優斗の背中を興味深く見つめていた。
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