第九話 狂気

 翌日。

 優斗が眠い目をこすりながら学校へ登校すると、まだ律の姿は無かった。


 教室はガヤガヤと騒がしく、寝不足な頭に響く。昨日、家に辿り着いたのは深夜0時を過ぎた頃だったからだ。家族には家を抜け出した事はバレずに済んだようでほっと胸を撫で下ろし、それから布団に入るも、戦闘後という事もあって神経が昂って中々眠れなかった。

 

 ボゥっとする頭を振って眠気を追い出そうと試みるもうまくいかない。そんな中で、HRが始まる五分前に律は教室に飛び込んでくると一気に煩く喚き散らす。


「焦った〜。ギリギリセーフ! おはよう優斗! 今日もあっついね〜。もう俺汗だくだよ〜」


 そう言いながら机に突っ伏す。呆れながら見遣ると優斗は嫌味も込めて口を開いた。


「おはよう。昨日はよく眠れたか?」


 嫌味にも気付かないのか律は満面の笑顔で返してくる。


「うん! ぐっすりだよ〜。寝過ぎちゃって危うく遅刻しそうになるくらいに。それで夢に優斗が出てきて、あーんな事とか……むふふ」


 いやらしい笑みを浮かべる律を冷めた目で見遣る。こいつには情緒というものがないのか、優斗が目頭を押さえて苦言を呈そうとしたその時。


 一際大きな声が教室の片隅から上がる。


けいちゃん! ねぇ大丈夫なの? そのやつれ方は普通じゃないよ! ねぇ聞いてるの!?」


 声のした方を見てみると、一人の少年が何やら一生懸命に訴えかけていた。あまりの剣幕にクラス中の視線を集めている。


 その少年が見つめるのはガタイのいいクラスメイト、のはずだった。


 しかし、少年に隠れる姿は想像とは似ても似つかない姿と化している。必死に話しかける友人の声も聞こえないのか、ぶつぶつと呟きだらしなく緩んだ口元からはよだれが垂れていた。


 高い身長はそのままに、逞しかった腕や顔は痩せ細り骨と皮ばかりと言っていい。驚きに顔を歪める優斗の袖を引き、渦中の少年を横目にしながら律は尋ねる。


「あれ誰?」


 その誰何すいかの声に、どもりながら優斗は説明した。


「あ、ああ。佐竹だよ。佐竹啓介さたけけいすけ。柔道部で筋肉自慢の奴だったのに。この短期間で何が……」

 

 それを聞いて律の瞳が光る。


「あれ、精気吸い取られてるよ」


 思わぬ言葉に優斗は眉をひそめた。


「それって……」


 口籠る優斗に律はニヤリと笑いツンツンと腕をつつく。


「あれ、言わなきゃ分からない? 化け物とセッ「言わなくていい!」


 頬を染めながらあけすけな律の口を慌てて塞ぐと、ムームーと抗議の声を上げた後べろりと舐められた。


「なっ! 気持ち悪いな!」

 

 ズボンで掌を拭う優斗にヘラヘラと軽薄な笑みを浮かべながら重要な事をさらっと口にする。


「扱いが酷いな〜。ま、冗談はさておきアレやばいよ。もう封印は解けてるかもしれない。急いだほうがいいね。今日も抜け出せる?」

 

 机に突っ伏して上目遣いに見上げてくる律を見下ろしながら優斗は深い溜息を吐いた。

 

 その日、佐竹の様子を遠目に見ていたが一日中椅子に座り動く気配がない。体育の授業にも出ず、ずっと薄ら笑いを浮かべ夢想に浸っているようだった。

 これでは学校に来ているのも不思議であったが、習慣で足が向いただけだろうと律は言う。


 この日の授業を終え、佐竹が帰路に着くのを確認してから、二人は二十一時に神社の鳥居前で会う約束をして別れた。




 今夜も食事を済ませると、宿題をするから部屋には来ないでと母親に言いこっそり靴を持ち込んだ。


 時間が迫った頃、刀を持って窓から抜け出す。今日は鳥居前での待ち合わせだ。社殿にはまだ祖父がいるから気をつけねばならない。


 玉砂利の音に内心ビクつきながら鳥居前に着くと律が待っていた。

 軽く手を上げ声をかけてくる。


「ヤッホ。んじゃ行こうか。頭塚は神社の裏手だっけ? どこから行くの?」


 普段と変わらないトーンで喋る律に慌ててシーッと指を立てた。


「静かに! 社殿にまだ爺ちゃんがいるんだ。頭塚は禁忌とされていて僕も入らせてもらえない。見つかったら面倒だろう?」


 それに律は笑って返した。

 

「大丈夫! おじいちゃんも関係者だって言ったでしょ? 俺が来た時点で知らせが入ってるよ。それに俺は頭塚への侵入許可も持ってるから平気。さ、行こ」


 優斗の手を取るとスキップでもしそうな足取りで境内を歩く律に引っ張られて頭塚へ向かった。


 そこは境内の片隅にひっそりとある細い小道だ。言われなければ見落としそうなその小道を二人並んで歩く。


 しばらく進むともう一本の小道に行き当たる。ここを右に行けば頭塚まですぐだ。


 律が懐中電灯を向け、左の暗がりを見遣る。


「あっちは?」


 そちらは手入れもされておらず、草や木の枝が突き出た獣道のような風体だ。


「あっちは県道の横道に出る。曰く付きの森だからな。面白半分に肝試しに来る奴がいるんだ。たぶん佐竹もあっちから入ったんだろう」


 そう聞くともう興味を失ったのか右の細道に歩を進めた。


 そのまままっすぐ進めば赤い鳥居が現れる。張られた注連縄をくぐると暗闇にうごめく何かが目に入った。


 懐中電灯をそちらに向けると、渦中の佐竹が裸で女と抱き合い荒い息を上げている。その過激な様に優斗は思わず目を逸らした。


 しかし、律はいつも通りの口調だ。


「ありゃ、真っ最中だったか。悪い事しちゃったかな〜」


 ちっとも悪びれずに頭を掻きながら笑う律のシャツを引っ張り優斗は早口に言う。


「お、おい! どうするんだよ!? こんな……」


 まともに見る事もできず、視線を彷徨わせる優斗の顔は真っ赤に染まっている。それを見る律の顔はニマニマと緩んでいた。


「あれ? 優斗ってばお子ちゃま〜。あんなのこの仕事してればしょっちゅうお目にかかるよ? 女のなりして男をとって食う化け物は多いからね! 君もちゃんと見て慣れなきゃ」


 そう言いながら鼻歌まじりに刀を取り出す。

 二人がやり取りを続ける間にも佐竹は一心不乱に腰を振っていた。それが痙攣けいれんしたように背を反らした後、崩れ落ち膝をつく。


「あ、終わったかな? じゃ、化け物退治の時間といきましょうか」


 いつもと変わらぬ口調だが、殺気を纏わせ御代月を引き抜き下段に構える。

 

 女は岩の上でケタケタと笑うと佐竹に足を絡めてべにを引いた唇を大きく開いた。その口はバリバリと音を立てて耳元まで裂けていく。

 

 優斗はその異様な様に驚愕を隠せず動けない。


 女が裂けた大口で佐竹の頭を丸呑みにすると首をぶちぶちと食いちぎり、血が勢いよく吹き出て周囲を濡らす。辺りに骨を砕く咀嚼音が響き、ゴクリと飲み下すと女は得も言われぬ恍惚とした表情で微笑んだ。そして、残りの体にも喰らい付いていく。腕をぎ、腸をすすり、足の先まで味わい尽くす。


 優斗はそのグロテスクさに嘔吐した。

 初めて人が喰われる場面に出会でくわしたのだ、当然と言えるだろう。


 それに反して律は冷静だ。

 ニコニコと笑いながらその光景を見ている。


 優斗には律の行動が分からなかった。

 律なら佐竹が喰われる前に仕留められたはずだ。それなのに微動だにしない。


「律……、律! なんで動かない!? 佐竹が……佐竹が!」


 叫ぶ優斗にも柔らかな微笑みで返してきた。


「え〜、だって君に見せとかなきゃと思ってさ。慣れてもらわないと困るもの。それに助けるつもりなら、授業サボってでも昼間に来るでしょ?」


 その笑顔は歪んで狂気を孕んでいる。

 優斗は愕然とした。

 こいつはただ優斗に人が喰われる所を見せるためだけに佐竹の命を見捨てたのだ。


 そんな優斗を他所に律は札を構える。


「そんな事より、ほら、退治しなきゃ。じゃなきゃ佐竹君も浮かばれないよ〜」


 まるで他人事のように言う律を睨みながら、吐瀉物で汚れた口元を拭い共切を構える。


「律、お前には言いたい事が山ほどあるからな。覚えとけよ!」


 そう一言吠えると女に向かって駆け出した。


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