第三十五話 血の驕り

 道場の中央で睨み合う優斗と菖蒲あやめは模擬刀を構え対峙する。周りは隊員達がギャラリーの如く囲み、後堂も諦めたのか審判を買ってでた。


 試合とはいえ実戦だ。圧倒的に経験不足な優斗の不利と思われる。それでも引く訳にはいかない。これから妖魔と戦っていくのだ。こんないけ好かない男に負けてなるか。それに共切が菖蒲の手に渡れば律はどうするのか。優斗にとってはその方が重要だった。


 優斗に対する様に菖蒲に迫るのか。想像すると胸が酷く痛む。律の想いを避けたくせに手放すのは惜しいなど、なんとも虫のいい話だ。我ながら身勝手が過ぎる。それでもすがらずにはいられないのだ。律の笑顔を胸に一歩足を下げ模擬刀を構えた。


 それに倣い菖蒲も構えを取る。


 お互いに正眼の構えだ。


 正眼はどんな攻撃にも対応できる基点となる構え。まずは様子見か。


 後堂が腕を掲げる。


 しんと静まる道場で二人は睨み合う。


 腕が振り下ろされ開始の声が上がった。


 その瞬間。


 菖蒲は大きく踏み込み首を一直線に狙ってきた。


 それを模擬刀で受けた優斗の口元は弧を描く。試合だというのに首を落とす勢いで攻めてきた菖蒲に興奮した。そっちがその気ならこちらとて殺すつもりでやってやる。


 模擬刀を競り合わせたまま、刀身を滑らせるようにして菖蒲の懐に潜り込むと鳩尾みぞおちに肘鉄を叩き込む。不意打ちを食らった菖蒲は咳き込み数歩下がった。


「お前……! 卑怯な!」


 責めるような視線に優斗は肩をすくめてみせる。


「力を見たいと言ったのはあんただ。お上品な試合で満足か? あんただって首を狙ってきたんだ。殺す気だったんだろう? なら存分にやり合おうじゃないか」


 嗤う優斗の瞳は暗い光を纏っていた。それは律や父と同じ闇に足を踏み入れた者の証。菖蒲は息を呑むと立ち上がり構えを取った。


「面白い。そこまで言うならやってるさ。死んでも文句を言うなよ」


 その言葉を受けて優斗も構える。今度は刀身を下げ半身の構えだ。


 そして一足飛びに菖蒲に肉薄すると胴を狙い打った。


 それは模擬刀で受けられたが、弾かれた勢いを乗せて反転し逆を攻める。菖蒲もすかさず合わせ再び防がれた。さすがと言うべきか対応が早い。


 それでも優斗は止まらない。


 半円を描くように上段に振りかぶり脳天を狙う。


 大きな動作に菖蒲は余裕を持って模擬刀で受けると甲高い音が響く。菖蒲はにやりと口角を吊り上げたがそれを無視してガラ空きになった胸を右膝で蹴りあげる。


 だがそれに肘打ちが落とされ優斗は舌打ちをする。


 後方へ飛び退さり一旦距離を取った。


 肘打ちを食らった右足が痺れ上手く力が入らない。それに気付いているのだろう菖蒲が不敵に笑う。


「今度はこちらから行くぞ」

 

 面の横に刀を掲げる霞の構えで踏み込んでくると鋭い突きが優斗を襲う。喉、心臓、鳩尾。急所を的確に突いてくる攻撃を優斗は全て払い落とした。だが足に力が入らないのもあり追いつくのも必死だ。継承候補者と言うだけの事はある。


 優斗も妖魔相手の経験こそ塚封じの時に対峙した三回だけだが喧嘩慣れしている。ガキ大将相手に幾度も取っ組み合いの喧嘩をしてきたのだ。例え刀が無くともそれなりに戦える。それはまだ喧嘩の域を出ないが妖魔との戦いを想定して鍛えてきたであろう菖蒲となんとか渡り合っていた。


 菖蒲の猛攻はなおも続く。斬り、払い、時には殴られあちこちに青痣が増えていく。優斗も負けじと果敢に攻める。上下左右死角を狙いフェイントも絡め隙を突く。菖蒲からも徐々に余裕が消え真剣味を帯びていった。その目にぞくりと快感が走る。優斗は知らず笑っていた。


 ――楽しい! 楽しい! 楽しい!


 辺りは優斗と菖蒲の荒い息と模擬刀の打ち合う音だけが鳴り響いている。そこには二人だけの世界ができあがっていた。祖父との手合わせでは得られなかった高揚感に優斗の下腹部は疼く。


 その時、菖蒲の足がもつれ一瞬気が逸れた。優斗は踏み込み眼球めがけて突きを放つ。間一髪避けたこめかみに一筋の血が舞った。その鮮やかさに優斗は目を奪われる。


 ――ああ、綺麗だ。


 優斗は恍惚に頬を染める。


 だがそれが隙に繋がった。顔面めがけて振り下ろされた模擬刀を受けると鍔迫り合いに持ち込まれてしまう。体格も小さく体力も削られている優斗にとっては圧倒的不利な状況だ。その機を逃さず菖蒲は足払いをかけた。敢え無く転倒し尻もちをついた優斗を菖蒲が睥睨する。


「ふっ。これで……」


 勝ちを確信するも勝負はまだ決まっていない。それは菖蒲の油断だった。


 優斗は菖蒲の脛に足を絡め回転を利用して力技で床に叩きつける。強かに体を打ち付けた菖蒲は呻き声が漏れた。


 優斗は素早く立ち上がり菖蒲の顔面を踏み潰そうと足を叩き下ろす。


 菖蒲は転がりそれを逃れた。


「この……!」


 菖蒲は悔しそうに顔を歪めた。


 しばらくの間、お互い肩で息をして睨み合う。


「まだやるのか?」


 優斗の言葉に菖蒲は鼻で笑う。


「まだこれからだろう」


 そう言い捨てると上段に構え踏み込み、その勢いのまま優斗の肩に打ち込む。


 それを模擬刀でなし滑らせる。


 体勢を崩した菖蒲だったが踏みとどまり下段から顔目掛けて斬り上げた。


 それをすんでかわすと仰け反ってしまう。


 その隙を逃すまいと菖蒲の突きが喉元に迫る。


 しかし優斗の頭は不思議なくらい静かだった。


 模擬刀を回転させ下方から打ち払い菖蒲の模擬刀を押さえ込むと素早く握る拳を打ち据える。


 強かに打たれた痛みに菖蒲は模擬刀を取り落とした。何度も打ち合っていたのだ。握力も限界だったのだろう。


 愕然とする菖蒲に更に追い打ちをかけようと一歩踏み出すも優斗の体力も尽きていた。ふらりとよろけるとその場にへたりむ。だがその目はまだ闘争心でギラついている。その目に菖蒲は怖気付いた。今まで妖魔の存在さえ知らず、安穏と暮らしていたはずの子供がこんな目をするのか。菖蒲は継承候補者と言っても実戦に出た事は無かった。ただ共切を継承するためにその時間の全てを注いできたのだ。隊員と手合わせした事もある。だがここまで勝ちに執着する者は初めてだった。今思えば本家という肩書きに手を抜かれていたのかもしれない。それは菖蒲を侮辱するものだ。そんな事に気付きもせずに慢心していた自身にも腹が立った。


 満身創痍でも戦意を失わない優斗をじっと見つめる。それが羨ましいと思った。自分に課せられた使命を全うするため共切に固執していたが力だけではダメなのか。共切が何故優斗を選んだのか少し分かった気がした。


 菖蒲の体力も尽き膝をつく。二人は睨み合ったまま動けなくなった。


 結果は相打ち。


 それに衝撃を受けたのは連れ立ってやってきたれん茉莉花まりかだ。まさか相打ちなんて中途半端な終わり方をするとは思っていなかったのだろう。最初の態度を見ても余程自信があったようだがそれがぽっと出のチビにやられたのだ。信じられるはずも無い。菖蒲の元に駆け寄ると心配そうに声をかけている。


「菖蒲! 大丈夫か? まさかこんな……てめぇ、調子に乗るなよ」


 そう言って菖蒲の模擬刀を奪い取り蓮が向かってこようとした。優斗も身構えたが後堂が割って入る。


「そこまで。もういいでしょう。小堺君の力は十分に分かったはずです。以前から申していましたが、あなた方は血筋に頼りすぎている。その驕り高ぶった根性を叩き直しなさい。共切にこだわらず妖刀を手に現場を体験するべきです。そうしていれば結果も違っていたでしょう。これはそれをしなかったあな方の失態だ。この事は勿論本家にも報告させていただきます」


 後堂の言い方で菖蒲達に実戦経験が無い事を悟った優斗は溜息を吐く。継承候補者と言うからには実戦を経験しているものだとばかり思っていたのだ。だがそれでもあの体捌き。優斗とは鍛錬に費やした時間も努力も違うのだろう。逆に現場に出ていない事の方が疑問に思った。もしかして大事にされるあまり過保護に育てられたのか。共切とはそれだけの価値があるのだろう。改めてその重責を感じる。


 しかも、そんな世間知らずのお坊ちゃんに勝つ事すらできなかったのだ。優斗は落胆した。こんな事で本当に律を守る事ができるのか。


 だが、周りの隊員達の優斗を見る目は確実に変わっていた。憧憬とも敵意とも取れる多くの視線。この隊員達は菖蒲とは比べ物にならないくらい手強そうだ。序列は低くとも実戦を経ているのだから。


 優斗は気合いを入れ直す。訓練はこれからが本番だ。連に肩を貸されながら道場を後にする菖蒲を横目に皆が整列する。優斗もふらつきながらその列に加わった。


 優斗はすぐに思い知る事になる。一試合終わらせた後でも容赦なくしごかれる武術訓練の過酷さ。生き残る事の難しさを。



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