第20話 シャノンの魔術

「……なあ。あんた……メーベルト、でいいのか? ちょっと待ってくれ」


 用事を終えてギルドを立ち去ろうとする俺を、シャノンが引き止めてきた。


「いかにも、俺がメーベルトだ……メーベルトです。いかがしました?」


 途中で敬語に切り替えたが、シャノンは「普通でいいよ」と言って続ける。


「あんたがさっき使った魔術、ひょっとして古式魔術じゃないか?」


「そうだ」


 俺がうなずくと、シャノンは神妙な面持ちでこちらへ向き直る。


「……頼むメーベルト。あたしに古式魔術を教えてくれ」


「……なにか事情があるようだな」


 すべてを見ていた訳ではないが、さっきのアンチクショウどもとの一幕になにか関連があるのだろう。


「取りあえず場所を変えよう。うちの店へ来い。いまからでも問題ないか?」


「ああ。……ちょうど時間も空いた事だしな……」


 わずかに顔をうつむかせながら言った。


 まあそうだろう。あんな事があった手前、さすがにクエストへ……などという気分にはなるまい。


「では行こうか」


 俺はシャノンを連れて工房へと戻った。






「あ、エミルさん。お帰りなさーい」


「……あんた、エミルって言うのか? エミル・メーベルト……伝説の勇者と同じ名前か……」


「うむ。同姓同名だ」


 こちらの顔を見上げてきたシャノンへそっけなく答える。予想通りだ。積極的に勇者だと喧伝しなければこんな反応で済む。


「あれ、シャノンさんも一緒? クエストはどうしたのですか?」


「ちょっと事情があってな。リサ、掃除は後回しにして茶を頼む」


 三人分の茶――リサが畑で育てたものを使用したハーブティーを用意し、それからギルドロビーであった出来事を話した。


「――なるほど。それは災難でしたね……」


 あらかた話を聞き終え、リサは相づちを打った。


「うちのポーションをわざわざ買い求めたのも、それだけ切羽詰まっていたためですね。『少しでもいいものを用意してパーティーに貢献しないと追い出される』という危機感を持っていた、と」


「ああ。結局、無駄になっちまったけどな……」


 シャノンは自嘲気味につぶやく。思考があまりよくない方向に向かっている様子だった。


「気に病むな。あの野郎どもの様子を見るに、たとえ今回はよくてもまた別の機会に別の難癖をつけられるだけだろうな」


 憎いアンチクショウどもの顔を思い浮かべながら言う。なにしろポーションを粗末に扱いやがった連中だ。人として歩むべき道から外れた邪悪の権化である。奴らに公正さなど到底期待できない。


「あいつらに認められるようとしても、その前にお前が潰れるだろう。道理の通らん奴などいくらでもいる。そう自分を責めるな」


「……ああ、サンキュー。けど、そうも言ってられないんだ」


 シャノンは言った。


「なにしろあたし、いちおうは魔術師だってのに魔術が苦手なんだよ。基本的な下位魔術すらろくに扱えねえんだ」


 シャノンは言った。


「いまのままじゃどこのパーティーに入ってもお荷物にしかならねえ。荷物持ちポーターだって、あたしより向いてる奴はいくらでもいる。まずあたし自身がまともな戦力にならないとどうにもならないんだよ」


「……そもそもの話ですけど。シャノンさんがそこまで魔術師にこだわるのはなぜですか?」


 ティーカップから口を離し、リサが尋ねた。


「そんな大層な理由じゃない。あたしには生まれつき魔術の才能があって、物心ついたころから魔術を扱えたってだけの話だ。バルバート式じゃなくて、古式魔術の方な」


 シャノンが答える。


「才能っつってもガキのころの話だからな。そんな大した魔術じゃねえ。周りの奴らができない事をあたしだけができるって、ただその程度のもんだ」


 子供のころから、誰にも教わっていないのに魔術を扱える――古式魔術使いにはたまにそういう事がある。決して多い事例ではないが、かといって珍しいというほどでもない。


 そして彼女の言う通り、大半はそこまで大げさな魔術現象を発生させられる訳ではない。かすかに感じるそよ風を操ったり、うっすら血がにじむ程度のケガを治したり……せいぜいその程度だ。


「それでも、あたしが魔術に興味を持つには十分だった。だから将来は立派な魔術師になりたいって思ってた。魔術師になって、すっげえ魔術をぶっ放したいって思ってたんだが……なぜか、バルバート式魔術だけはまるで扱えないんだ。何度練習したって、まともに発動すらできねえ」


「古式魔術の方は使わないのですか?」


「そっちも訓練はしてるんだが……なにをどうすれば上達するのかサッパリ分からねえんだ。いまのあたしはちょっとばかり変わった地味魔術を使えるだけの、半人前にもなってねえ魔術師なんだよ」


 吐き捨てるようにシャノンは言った。


「……そんな時、エミル・・・が例の古式魔術を使ってるのを見た。あんた、ずいぶん扱い慣れてるみたいじゃねーか」


「そうだな」


 俺を『エミル』と呼び始めたシャノンにうなずきを返した。


「だからエミル。あんたに頼みがある。あたしに古式魔術の扱い方を教えてほしいんだ」


 まあそう来るだろう、と事前に思っていた通りの内容だった。


「……言っておくが、古式魔術は個人の感覚に強く依存する。バルバート式ほど論理的に教える事はできない代物だぞ」


「それでもだ。なにかヒントが得られるかも知れねえ」


 シャノンの青い瞳は真剣そのものだ。心底、上達のきっかけを求めているのだと分かる。


「あたしはいまのままで終わりたくねえんだ。頼むよ」


「……気持ちは分かった。が、なにしろ俺には工房があるからな……」


 確かにシャノンの助けになってやりたい気持ちはある。魔術の道へ真摯に向き合う姿勢に、確かに心を揺り動かされる。


 だがいまの俺はあくまでポーション屋だ。魔術の講師ではない。


 うちの店員であるリサを鍛えるのは巡りめぐってポーションのためになるが……残念ながら他人を鍛えるために割ける時間はあまりない。


 かけられる善意には限りがある。後先考えない情けはみんなを不幸に巻き込みかねない。勇者時代に思い知らされた事実である。


「タダでとは言わねえ。あたしをここの店員として雇ってはくれねえか?」


 悩む俺に対し、シャノンはそう提案してきた。


「冒険者ギルドのほうはいいんですか?」


「ああ。いまのあたしじゃパーティーを組んでもらう自信はねえし、仮に組めたって似たような結果になるだけだ。それに現実的な話、食い扶持も稼がなきゃならねえしな」


 そりゃそうだ……と思わず納得してしまった。いや、客観的にはこちらへの要求を重ねているも同然なのだが、奇妙なほどに腑に落ちた。


「ムシのいい事言ってんのは十分理解してる。だけど頼む。あたしにできる事ならなんでもするつもりだから」


「……店員、か」


 確かに人数が増えるのはありがたいな。


 頭の中で彼女を雇う利点と情、彼女を鍛える手間などを天秤にかけて考える。どちらかと言えば"雇う"側に傾いているが……最後の決め手に欠ける。


 なにか、なにか決定的な要因はないのか――


「ところで、シャノンさんの古式魔術ってどんなものなんですか?」


「ああ、植物を操る・・・・・魔術だ」


 …………。


「つっても、自由自在にとはいかねーけどな。いまのあたしにできるのは、せいぜい植物の成長を早める・・・・・・・・・だけだ」



「――お願いいたしますっ!!」



 気がつけば俺は土下座をしていた。東の島国『シノノメ』に伝わる身体表現ボディランゲージである。謝罪だけではなく懇願の意思表示も兼ねる、実に奥深い表現方法である。


「……は?」


「あなた様こそ女神リーブラが遣わした逸材ですっ!! ぜひとも我が工房に力をお貸しくださいっ!!」


 ひたいを床にこすりつけながら誠心誠意、魂の底から頼み込む。頼みながらも、俺の胸中では歓喜が大嵐となって渦巻いていた。


 ……植物の成長を早める!!


 つまり甘露草を始めとした各種薬草類を効率よく調達できるって事じゃんか!!


 え!? なにこのポーション作りのためにあると言っても過言ではない能力!! 控えめに言って最高じゃん!! 最高を一億回言っても足りねえくらい最高じゃん!! サイコー!! 運命ありがとう!! 大好き!!


「い、いやそのっ、なんでそんな……えっ!? どうなってんだっ!?」


「……エミルさーん。シャノンさんが戸惑ってるでしょー。そこらへんでいっぺん落ち着きましょうよー」


 リサになだめられ、ひとまずは頭を上げる。だがその程度では喜ばしさは収まらない。気を抜くと再度ひたいを床にこすりつけそうになる。土下座への衝動をぐっとこらえる。


「……ごめんなさいねー、シャノンさん。この人、ポーションが絡むと正気を失っちゃう性質がありましてね……」


「…………そうか。そういやギルドでも正気失ってたな……」


「……と、とにかくですね。エミルさんから許可は出たのです。もちろん私も異論なし。晴れてシャノンさんがうちの工房の一員になるって事でいいですね?」


「うんっ!!」


「はい待てステイ。ステイですよーエミルさん」


 いまにも踊り出しそうな俺をリサがなだめる。サイコー!!


「…………なんつーか、よく分からねーけど……」


 シャノンは改めて居住まいを正す。


「ふたりとも、サンキューな。この恩は絶対返してみせるからな」


 そう言って、彼女は深々と頭を下げた。サイコー!!



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