第4話 ロプレア暦725年

「……バカな……」


 いまが『ロプレア暦725年』だと?


 二百年も経過しているではないか。


「……おいお前。なにか証拠が欲しい。いまが何年か分かるものはあるか?」


「あ、はい。ええと……」


 桃髪女はそばの地面に置いていた背 嚢リュックサックをあさる。


「……これでいいですか? 今月が期限の、お金の借用書です」


「注文しておいてなんだが、まさかそんなもんを出されるとは思わなかった

ぞ……」


 借金持ちかこの女。というか、なぜわざわざ持ち歩く。


 ……まあいい。


 彼女が指さした箇所――返済期限の欄を確認する。そこには確かに『ロプレア暦

725年○月○日まで』と書かれていた。


 これがまさか二百年先まで待ってくれる借金……などという事はあるまい。長く見ても、あと数年で返済期限を迎えるはずだ。


 そして、手の込んだイタズラ……である訳もない。あまりにも準備がよすぎる。


 もはや結論を下していいだろう。


「……つまり俺はミラクルポーションの効能によって、二百年後の世界に飛ばされた、という事か……」


「……まさか、そんな……」


 確かに危機は回避できたが……まさか場所だけでなく、時間まで飛ばされていたとは。


 そして俺に時間をさかのぼるための手段などない。


 つまり、


「……俺は、もう二度と元の時代には帰れない……という訳だな……」


「……エミル……さん……」


 俺はこの時代で生きていかなければならない。


 知人も誰もいない、この見知らぬ世界でたったひとり――


「まあそれはいい」


「いいんですかーいっ!?」


「ずいぶんと古めかしい反応だな……」


 俺のいた時代でもすでに古典的とされていた代物だぞ。


「そんなアッサリと!! いや、私もにわかには信じられない話ですけど、要するにあなたは二百年前の世界からやってきた勇者エミルで、しかも戻れなくなっちゃったって事ですよね!?」


「うむ。理解が早くて助かる」


「どーも! ……だってのに、なんでそんな落ち着いていられるんですか!?」


「と言われてもな。飛んだもんは仕方なかろう。騒いで戻れるものでなし、そもそも俺は元の時代に未練がない。魔王を倒し勇者の使命は果たせたのだからお役もごめんだ。戻れなくとも問題ない」


「ええ〜……」


「だいたい国元へ戻ったところでどうなると思う。しばらくはもてはやされ、その後は王侯貴族どもから政争の駒として利用され振り回されるのがオチだ」


「断定ですか……」


「そう言えるだけのものは見てきたつもりだ」


 むしろ、そうした面倒事から完璧にのがれられるという意味ではいっそせいせいする。心置きなく『自家製ポーション店を営む』という目標に邁進できる。


「それよりお前――そう言えば名前を聞いてなかったな」


「リサです」


「リサ。この時代、"勇者と魔王の戦い"はどう伝わっている? 勇者エミルはいったいどうなった?」


 桃髪女――リサへ、気になっていた事を確認した。


「はい。私の知る限りですと、『魔王城へ乗り込んだ勇者エミルは、激闘のすえ魔王アパルラーダと相打ちになった』……と聞いています」


「その後、魔王は復活などしていないのだな?」


「はい」


「世界に平和は戻ったのだな?」


「はい。討伐後、しばらくはいろいろ混乱していたみたいですが、少なくとも現在は平和そのものですよ」


「そうか」


 口元が緩む。


 どうやら俺は、勇者としての使命を完全に果たす事ができたらしい。


 この世界を守る事ができたらしい。


 まあ……自分に『よくやった』と労ってやっていいんじゃないだろうか。


「……本当にこの方、勇者エミルなんですね……。世界を救った伝説の英雄……」


 リサがつぶやく。


「……なるほど。つまり上手く取り入って宣伝に使えば、うちの店・・・・を繁盛させる大チャンス……」


「うむ。そういうのを見てきた、と言っているのだぞ」


 なにやら皮算用を始めたリサにそう言っておいた。


 ……まあ、これよりもっと陰湿なやり口を見てきた身としては、むしろほほえましさすら感じる俗物ぶりではあるが。


「い、いやあ〜、なんの事やらサッパリですね〜。……そ、それよりもですねエミルさん。ケガは大丈夫ですか?」


「ん?」


 ああ。そう言えば、彼女は血塗れの俺を見て大ケガをしていると勘違いしていたな……と考えているうちに、リサは自分のリュックをあさり始めた。


「いや、俺のケガは見た目ほど大したものでは――」


「……ああ、ありました。ヒールポーション――」


「ありがとうございますっ!!」


 リサのリュックから取り出された魅惑の水色が揺れるビンを、俺は瞬間的にひったくってフタを開けていた。


 すばらしい!!


 やはりこの時代にもポーションは残ってくれていたか!!


 二百年もの間、変わらず人々を支え続けていたのか!!


 これで興奮するなと言う方が無理である!!


 いやあ世界救ってよかった!!


 はやる気持ちをかろうじて抑え、俺は小ビンの中身に口をつける。


 たちまち、まろやかな口当たりの液体が流れ込み――



「……ブッフォオッ!?」



 思わず口の中に入ったポーションを吹き出していた。


「うっわ!? バッチいじゃないですか!!」


 リサがなにか言っているが、それどころではない。


 ……なんなのだこれはっ!?


 とんでもなく苦いっ!! 苦いぞこのポーションッ!!


 後味も最悪っ!! 苦さが後に引きまくるぞこのポーションッ!!


 ……というか俺っ!! なにポーション吹き出ちまってんだっ!! ポーションを粗末に扱うなどポーション主義者ポーショニストとしてあるまじき行いじゃないかっ!!


「……エミルさん? どうしたんですかエミルさーん?」


「……バカッ!! 俺のバカッ!! 俺のバカッ!! エミルの大バカ野郎やろぉぉぉぉぉぉぉぉ――――――――――っ!!」


「いや本当にどうしちゃったですかエミルさんっ!? なんで号泣しながら木に向かって頭突きし始めちゃってるんですかっ!?」


 まだだっ!!


 まだこんな痛みじゃぜんぜん足りないっ!!


 俺はポーションを無駄にするという大罪を犯してしまったのだっ!!


 このエミル・メーベルト、一生の不覚っ!!


 ああ、木よっ!! そこら辺の木よっ!!


 もっと、もっと俺に苦罰を与えたまえ……っ!!


「落ち着いてくださいっ!! ほ……ほら、額から血が出てますから、ヒールポーションで治しちゃいましょうよ!!」


 リサに羽交い締めされて俺はゼイゼイと荒い呼吸を繰り返す。いくぶんか落ち着き、改めて手元のヒールポーションを眺める。


 それから再び、今度は恐るおそる口をつける。


 ……やはり苦い。


 なんとか飲み干したが……とても満足のいくポーション体験ではなかった。


 ヒールポーションは舌を優しく包み込むような、まろやかな口当たりをしているはずだ。少なくとも、こんな飲み手に我慢を強いる冷酷なものではない。


 しかも回復効果が低い。


 ヒールポーションの有効成分には『天然の治癒魔術的効果』を発揮するものが含まれている。俺は鍛錬によってその"魔力の働き"を敏感に感じ取れる。


 俺の見立てだと、回復効果はおおむね四割ほど低下しているはずだ。


「……おいリサ。これはなんだ?」


「え? ヒールポーションですけど」


「……苦いぞ」


「そりゃあそうでしょう。ヒールポーションって、そういうもの・・・・・・ですから」


 ……そういうもの? これが? これで?


 とても信じられない話であった。二百年前に飛ばされた、という話よりよほど信じられなかった。


 だが、リサの態度はごく自然なものだ。当たり前の常識を語っているだけ、疑う余地などなにもない――そういう態度であった。


 ……嫌な予感が急速に膨れ上がる。


 聞きたくない。だが、確認しなければならない。


「……なあリサ。正直に話してくれ。これが安物の粗悪品、という事は……」


「? いえ、ちゃんと標準的な品質のものですよ?」


 ……バカな……。


 これが……こんなものが標準的、だと……?


 覚悟はしていたが、それでも俺は膝から崩れ落ちる。


 ……なんということだ……。


 二百年のうちに、ポーションの品質が落ちている――


「……え? なんでエミルさん世界の崩壊を目の当たりにした、みたいな顔してるんですか……?」


 リサがなにかを言っているが、絶望的な事実に打ちのめされる俺にはほとんど聞こえなかった。


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