第37話 アルとの交渉
「……ワシにファルマシアへ移住しろ、とな」
「エミルさん、なんでまた急にそんな話を?」
「いや、実は急ってほどじゃない。ここへ来ると決めた時から薄々と考えていた事だ」
俺はアルの紫色の目を見据えたまま言う。
「なにしろ付与術は強化系ポーション作りに必須だからな。付与ファールの安定供給は重要課題だ。そう考えていた時に、里へ移動するための
「
「ああ。必然、里までの道のりも長くなる。付与ファール調達のために毎回この里へ向かうのはさすがに手間だ。……だったらお前が俺たちの町に住んでもらうのが手っ取り早い。住居は俺たちの工房に空き部屋があるから、そこを使えばいい。……ふたりとも、いいか?」
俺は振り返ってリサとシャノンに確認する。ふたりとも、先ほどよりはテーブルに近づいていた。
「私は構いませんが……そういうのは最初に話しといてくださいよ……」
「悪かった。工房を出た段階では確定していなかったんだ。で、シャノンはどうだ?」
「あたしはそもそも住まわせてもらってる立場だし、文句ねえよ」
「……という訳だ。できればファール用の付与術を町の付与術士たちにも広めてほしいが……そこまでは無理強いしない。普段は符術士として好きに仕事をしてもらっていて構わない。どうだ?」
「なるほど、話は分かった。じゃが……」
懸念を含んだ声色がアルの口から漏れる。
「そのためにはふたつほど問題があるのう。それをどうしてくれる?」
「まずは聞こう」
俺が言うと、アルは紅茶に口をつける。いったん話す内容をまとめる時間を取った様子である。
「……まずひとつ。ワシが移住してまでおぬしらに協力する理由じゃ」
「……まあそうですよね」
リサが同意する。
「こちらだけの都合でいきなり引っ越せなんて言われても、アルさんだって困りますよね。里での生活だってあるんですから」
「いや、正確にはファルマシアに引っ越す事そのものは問題ないんじゃぞ」
「そうなのか?」
今度はシャノンが口を開いた。
「うむ。別に永住しろという話でもないのじゃろう? ワシとしても絶対にこの里から離れたくない訳ではないからの。ほんの数十年ほど人間たちの町で暮らすのも悪い経験ではなかろう」
ここまでは前向きであるが、同時に前置きでもある。無言で続きを待つ。
「……とはいえそれはそれ、仕事の依頼となれば別じゃ。義理のみで動く訳にはいかんぞ。ワシの技能を頼るというのならば相応の対価が必要じゃ」
「道理だな」
俺とてタダで協力してもらえるとは思っていない。
「さっきも言ったが、住居は俺たちの工房の一室を提供する。そして、給金とは別に三度の食事も出す。付与術用の物品補充にも可能な限り経費を出す。これでは不満か?」
「あとひと声、といったところじゃな」
「あいにく、こちらのふところ具合は潤沢とは言えんぞ。俺が勇者時代に手に入れた各種物品は売り払って土地と工房の購入費に当てたからな」
「いいや、金の問題ではない。そんなものよりもっと重要なものじゃ」
アルは至極真剣な顔で言った。
職人の顔、とでも言おうか。磨き上げた己の技能を預けるに値するか否かを見定めている……そうした視線が俺に向けられている。
俺は人知れずテーブル下で手のひらの汗を指ズボンで拭った。彼女の要求への返答は、そのままこちらの誠意とポーション作りへの覚悟を示す事となるだろう。生半可な気分で受け止める訳にはいかない。
俺は椅子から腰を浮かせて姿勢を正し、静かな緊張感とともにアルの言葉を待った。
「――そのふたりのおっぱいが揉みたい」
結果、二重の意味でバカを見た。
俺が頭を抱えるのをよそに、リサとシャノンはふたたび部屋の隅へと待避していた。
「……おい痴エルフ。俺は真面目な話をしたいんだが」
「ワシは大真面目じゃっ!! 金より乳、硬い金貨の感触なぞより柔らかい胸部脂肪の感触の方が永い人生においてはるかに重要じゃろうがっ!!」
握りこぶしで力説されても困る。
「という訳で、そこのお嬢ちゃん方。さっそくワシに揉まれる気はないか?」
「ありませんっ!!」
「ねーよっ!!」
ふたりは両手で胸を押さえながら叫ぶが、アルは一切意に介さず椅子から立ち上がり、にじり寄る。
「よいではないか、減るもんでなし。ほんの三十分ほど揉まれるだけでポーションの復権に近づけるのじゃぞ。どう考えてもお得な条件じゃろう」
「嫌ですっ!!」
「来んなっ!! 怪しい手つきで寄って来んなっ!!」
「まあまあ、これもファール作りのためじゃと思って――」
「そこまでだ」
これ以上はさすがに見過ごせない。俺はアルの進路に割って入る。
「……エミルよ。これも依頼を受けるための正当な対価じゃ。邪魔をするでない」
「……お前の話も道理ではある。職人に依頼をする以上、義理だけでなく正当な対価を支払うべきだ。――だが」
あくまで不服そうなアルに、俺は固い口調で告げる。
「従業員の身の安全を守るのも店主である俺の責任だ。ふたりが嫌がる事を無理強いさせる訳にはいかん」
「エミルさん……」
「ましてや、誰かを犠牲にしてポーションを復権させたところでポーションの名を汚すだけだ。二人に手出しはさせない。いくらお前の頼みでも聞き入れられない」
「エミル……」
「ほう」
アルは感心したように目を細める。
「ならばどうするつもりじゃ? ワシを迎え入れるのはあきらめるか?」
「いや。今後のためにもぜひアルの協力がほしい。そしてこちらから依頼を持ちかけた以上、お前に対しても筋を通さねばならん。対価は用意しなければならない。だから――」
俺ははっきりと言い切った。
「――代わりに俺の胸を揉め」
「「「…………」」」
アルから心底失望したような視線を向けられた。背後を見ると、リサとシャノンも同じ視線を送っていた。
解せない。
「……いったいなにが悲しゅうて男の乳を揉まねばならんのじゃ……」
「俺だって好きで揉ませる訳ではない。だがしかたなかろう。妥協案として飲んではくれないか」
「飲めるかっ!! まるで分かっとらんなおぬしはっ!!」
「そう言われてもな」
「ワシはなっ!! 若い人間のおなごの乳とか尻とかがいいと言っておるのじゃっ!! 数百年の時を生きるエルフにとって人間の一生はあっという間に咲いて散る可憐な花の如きっ!! 若さとは一夜に実る果実の如しっ!! その甘美な味わい――それこそが至高なのじゃっ!!」
十歩譲って力説するのは構わんが、わざわざ引っ張ってきた椅子に片足を乗っけるな。行儀が悪いぞ。
「……人間の若い女なんてファルマシアにいくらでもいるだろーに……」
ここで、
「…………」
たちまちアルの目が『くわっ!』と見開かれる。それから、話を吟味するようにしばらく沈黙。
「……うむ、よかろう! おぬしのポーション復権の夢にワシの力を貸してやろうではないか!」
「そうか。助かる」
俺はそっけなく言った。首尾よく協力を取りつけたにしては、さしたる感動はなかった。むしろダルダルに緩みきったアルの表情に徒労感を覚えてさえいた。
……おっと。そういえば問題はふたつだったな。まだ終わりではない。
「それで、もうひとつ問題とはなんだ?」
「ああ、うむ」
アルは表情を引き締めた。
「最近できた里の掟でな。『里で生まれた者は里の中で暮らさなければならない』とあるのじゃ」
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