第38話

「ふい~~」

 観生みうはぐだ~、という擬音が聞こえそうなほど、背もたれに体を預け、椅子から滑り落ちそうなほどに腰を前に突き出していた。

 つい先ほど、マンションから東に一.五キロの位置で、刀弥とうやから変異体の最後の一体を仕留めたと連絡が入った。

 四月半ばから続いた因縁の変異体との決着を、半月でつけることができた。これまでは発見の報を受けて現地出動、その場で対処して始末していたので、あまりにも長い付き合いだったなと思う。

 PNDR史上(という言葉が適切かはわからないが)最も犠牲者を出した事案だったことだろう。天音の母をはじめとした民間人も、PNDRの人間も、多くの死傷者を出した。孝明館高校の校舎やキャンプ場の施設、蓮山はすやま家の自宅など、物的損失も多い。きっとこれから観生も情報操作に駆り出されることだろう。デジタル機器の記録データの改ざんに、SNSの印象操作、話題を逸らすための陰謀論のでっち上げ、デジタル公文書の操作などなど、今日明日は徹夜かもしれない。

 時刻は二三時五〇分。そろそろ日付が変わり、明日を迎える。


「終わったんだ……」


 隣に座る眼鏡の同級生――蓮山天音あまねは、観生ほどではないが、安堵していることが傍目にもわかる。先ほどまでの緊張感は霧散し、呆然と、状況終了によって落ち着いたPCのディスプレイから視線を外している。今はまだ、状況を実感できていないだけだ。

「ま、自分の身の危険とか、お母さんの仇とか、そういうのには決着ついたんじゃない?」

 観生は口角を上げて、状況の終了を実感できない眼鏡の委員長に告げる。『直接の』なんてわざわざ付け足すところが一言多いかもしれない。直接天音の母を殺害したのはあの変異体だが、原因を突き詰めれば『ジョーカー』という危険なウィルスを生み出して野に放ってしまった瑕疵かしはMMMCにある。

 そこまで思考が回っていないのか、割り切っているのか、それとも単純に、身近な刀弥と観生に文句を言う気になれないのか。ドクターカルーアには文句を言いそうな気はするが、少なくとも今、そこを騒ぎ立てる気はないらしい。

「ありがとう、相城そうじょうさん」

 まずは、隣に座るパソコン少女クラッカーへ。

「ありがとう、朝桐あさぎり君」

 続いて、声が届いているかいまいちよくわからない、ボロボロになって戦い続けた不愛想な同級生男子ハンターに。

 礼を口にすると、じわじわと、終わったという実感と共に、感情が動く。

「わたしひとりじゃ、何もできなかった」

 天音はこの半月を回想する。

 母の死を目の当たりにして、周りのことなど気にせずに、高校まで逃げ込んで。

 みっともなく喚き散らしながら、赤髪の女に「協力しろ」と言われて、撒餌や囮のつもりで自分の事などなげうって母の仇を討とうと意気込んだ。

 でも実際に自分には何の力もなく、ただの同級生だと思っていた二人に頼りきりで。

「わたしひとりじゃ、潰れてた」

 誰かが傍にいなければ、きっと精神が死んでいた。

 刀弥の家に厄介になった初日も、悪夢を見た。そんな中で、刀弥の不愛想で配慮に欠けるような発言や、観生の緊張感のないふわふわ発言が、天音の気を紛らわせたのは事実だ。

 母が死んだ現場に、自宅になどいられないと思ったし、父も仕事で帰れないと連絡があって。事情が説明できないので好都合だったかもしれないが、仮に父と二人でいてもこの気持ちを乗り越えられたかと言われれば、自信はない。

 また、もし厄介になった先が別の同級生だったらどうだっただろうか。気を遣われて、「元気出して」「大丈夫だよ」「辛いよね」「気持ち、わかるよ」なんて言われたら、感情が決壊していたかもしれない。

 散々暴言を吐き続けたかもしれない。「何がわかる」「誰も何も失っていないくせに」「わかったように同情するな」なんて、言っていたかもしれない。

 本当に結果論だが、やたらと同情的な言葉や態度で慰められなかったことが、天音の心を救っていたことに今更になって気付く。

 刀弥も観生も、自分の仕事を、役割を果たそうとしていた。いや、事実果たしていた。そこに近づこうと、役立とうと藻掻くことが、目先の目標になったのかもしれない。

『気にするな』

 しっかりと天音の言葉を聞き取っていた刀弥。

『自分の仕事をしただけだ』

 相変わらず、素っ気ない。

「ううん…」

 それでも、天音は気づいていたから、口にする。

「それでも、ありがとう」

 組織的には天音のことなどただの『餌』くらいにしか思っていないはずなのに、それでも守ってくれた、同級生の男の子。

 自然と、口の端が上がる。

「あーちゃん」

 その空気に浸りながら、観生もにこやかに告げる。


「惚れてるよ、天音ちん」


「なっ、相城さんっ!」

『…………』


 天音はあたふたと赤面しながら声を荒げ、刀弥は今まで通り興味なさげに無言だ。実はちゃっかりモニタリングしていた刀弥の心拍数が、気持ち程度上がっているのに気付いていたが、観生はいつもの笑顔にニヤニヤ度を割り増しするに留めた。

 戦闘後であったことを加味すれば心拍数が平常に戻っていないとも取れるが、そこは照れてドキドキしていると考えた方が面白そうなので、そういうことにしておく。

「これは、お熱い夜になりますな~。あっしはお仕事があるから退散しやすので後は若いお二人でよろしくやってくだせ~」

「そ、相城さん!」

 下っ端口調でニヤニヤが止まらない観生と、意味を理解して騒ぎ出す天音。

『お前は家にいろ。情報操作の課題が山積で時間が惜しいはずだ。俺はPNDRで検査だ。変異体の血と体液を直接浴びているからな』

 そんな和気藹々な空気を無視して、インカムを介して無味簡素な事を言ってくる。少し青春っぽい雰囲気になったが、なんだかんだで刀弥は刀弥だった。

『……蓮山』

 そう思った矢先、少し緊張感を孕んだ同級生からの呼びかけがあった。

「…なに?」

 応じる声も、少し強張る。

『明日、時間が欲しい』

「……え?」

 予想外のセリフに、思わず声が裏返る。

『午後…、恐らく一四時には検査も終わっているはずだ。一五時に上総かずさ公園でどうだ』

「あ、……うん。大丈夫」

 特に予定などない。断る理由はなかった。

「でも、なんで…?」

『大事なことだ。中途半端なままではなく、はっきりさせておきたいことがある』

「はっきりって?」

『考えがまとまらない。明日話す』

「うん、……わかったけど、え…?」

 あまり事態を呑み込めないまま、刀弥との通話が途切れた。

 それ以降、刀弥と繋がらなくなった。バッテリー切れなのか通信状態が悪くなっただけなのかわからないが、残ったのは『因縁の変異体と決着がついた』ことと、『翌日刀弥と待ち合わせをする』という事実だけだ。

 事態を呑み込めずにいる天音に対して、隣で笑顔に下卑たニヤニヤを上乗せした観生が告げる。


「明日、かわいい下着穿いてかないと!あ、出かける前にシャワーも忘れな――」

「なんの話よ!」


 今日一番の赤面と共に、天音がガン!と椅子を倒して立ち上がった。






 日付が変わったばかりの街の中、刀弥はバイクを走らせる。

(蓮山……)

 ここ数週間の出来事を、同級生女子のことを、思い起こす。

 心の中のひっかかりを、その理由を探るため、ひとつずつ、克明に。

 その気がかりの正体を掴めないまま、深夜の街を、疾走する。

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