第11話

 変異体。

 とあるウィルスに感染・発症することにより、遺伝子の変質と細胞分裂速度の異常を起こした生物を指す。

 共通して凶暴性を増すことが多く、その攻撃性に追従するように瞬発力や膂力りょりょくも同じく増している。体躯に加えて爪や牙の大型化、多頭化、多足化などの身体的変異がほとんどで、見た目にも異常な生物であると認識できることが多い。

 ペットや野良の動物の感染が主だが、これまで鳥類の感染例は確認されておらず、一番多いのは犬、次いで猫である。極端に小型の哺乳類—――鼠の感染例もまた確認されていない。もっとも、鼠に関しては確認がされていないだけではないかという意見が多い。

 更なる共通点として、発症した生物の寿命が短くなる点がある。

 活発になりすぎた細胞分裂と変質した遺伝子の影響でガン化しやすいというのが変異体サンプルの回収・研究により有力となっている仮説だ。

 発症から五日と生きられない。

 それが、変異体の末路なのである。



『あーちゃん、天音あまねちん、無事に家に着いたよ』

「ああ、確認した」

 蓮山家の一ブロック先で、刀弥とうやは生垣に半身を隠しながら天音の帰宅を確認し、インカム越しの観生みうの声に応じた。

 河川敷での変異体による襲撃から一週間。

 刀弥は天音を尾行し続けたが、変異体は現れていない。それどころか、変異体の発見報告すら来なかった。

 いないに越したことはないのだが、身構えていただけに肩透かしを食らったようだ。安堵のせいか、読みが外れた自分への失望なのか、刀弥は大きく息を吐いた。

 変異体の寿命を考えれば、もうアレは生きてはいない。

 天音への危険は去った。

 だから、もう彼女を張る必要はない。

『寂しいかにゃ~、あーちゃん』

 ニヤニヤしているとわかる観生の声。

「手間をかけさせたな」

 対して、刀弥は労いの言葉を返してこの場を去った。



「おかしいね……」

 メディカルMマシーンMメディスンMコーポレーションC地下区画であるPNDRで、不自然なまでの赤い髪を掻き上げながらカルーアはパソコンのディスプレイを睨みつける。

 ここ一週間、変異体が現れていない。

 週に一度から二度が、変異体出現の頻度だ。だというのに、先日上総川かずさがわの河川敷に現れた個体を最後に、ぱったりと途絶えてしまった。

 変異体の捜索は、広域のウィルスを検出するセンサーがあるわけでも、変異体が発する特殊な何かを感知しているわけでもない。MMMC保有の人工衛星による地上監視と街中にある防犯カメラのクラッキングにより映像取得という手法を取っている。AIによる画像検出を行うことで、二四時間の監視が可能であり、累積したデータから変異体の予測感染深度まで可能としている。

 見落としている、と言われればそこまでの話だ。監視できていない、死角の方が多いのは当然だ。

 これまでの変異体発見は、全て犠牲者が出てから現場に到着し、事後対処になっている。目的は「世間に事実が広がる前に対処する」ことで、「犠牲者を出さない/増やさないこと」は第一目標達成の手段のひとつに過ぎない。

 現状の仮説を立てる。

 変異体を発見できていないだけで、まだその辺りを闊歩している?

 それはよくない。事態を全く制御できていない。自分たちの存在意義すら揺らぐことになる。

 変異体は完全にいなくなった?

 希望的観測だ。今考えることではない。

 そして、もう一つの可能性に思い至った瞬間、

「それは、最悪のシナリオの一つだな」

 カルーアはその可能性に、思わず笑ってしまった。


 変異体が、発見されないように身を潜めている。


 知恵をつけている個体がいる?それともウィルスの変異が脳の活動に影響を与えるようになり、以降の感染個体全てに影響が出た?

 前者になるか後者になるかで意味がだいぶ違うが、そうなると更なる懸念が生まれる。

 生物としての『食事』とウィルスが本来持ちうる『感染拡大』、それらを行う上で五日という限られた寿命を全て潜伏に費やすのは実に不可解だ。短い寿命だからこそ、自身の寿命の限り繁殖しようとするのが生命体のさがだ。変異体で言えば、感染を拡大するためには動き回らなければならないのだから。

 そう考えた時に、さらに最悪の可能性が上乗せされる。


 変異体は、五日という寿命を克服している?

 だから、今は表に出ず、様子を窺っているのか?


 もしそれが本当ならば、一体どれだけ延命できるようになった?

 もし感染前の生物の寿命を踏襲するとしたら、もう秘密裏に処理などできない。

 これも一体だけならば、まだいいだろう。だが、もし寿命の延長がウィルスの変質により得られた特性だったら?あの個体をキャリアとして感染が拡大した場合に、次の変異体もまた寿命の延長を果たしたら?

 寿命の短さがあったからこそ、これまでなんとか処理できたというのに。

 寿命が十日に延びたとしたら、個体数は単純計算で倍—――いや、それどころではない。これが寿命一ヶ月なら?三ヶ月なら?半年なら?

 あっという間に日本中に広がるバイオハザード。

 思考の飛躍であることは、カルーア自身も自覚している。これらは思いつきの、何の根拠もない、ただの仮説だ。妄想と呼ばれてもいいくらいの。

「ああ、これは—――」

 カルーアは大きな溜息をき、

「研究し甲斐があるなぁ」

 嬉しそうに、笑う。

「あいつらになんとしても回収してもらわなければ」

 二人の少年少女を思い起こしながら、楽しそうに、興奮した様子を見せた。

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