第10話

 刀弥は昨日の変異体の行動から、ある予測を立てていた。

 あの犬アイツは蓮山天音を未だに狙っている。

 昨日の交戦中、刀弥が現れてからもあの奇犬は何度か天音に襲い掛かる仕草を見せていた。明らかに刀弥の方が危険度が高いと身をもってわかってからも、隙あらば天音に向かおうとしていた。

 熊は一度獲物と定めたもの、自分の所有物と認識したものに対して執拗に追ってくるが、印象としてはそれに近い。ただ、これまでの変異体にそのような傾向は見られなかった(というより、これまでは犠牲者が出てから封鎖された現場に到着してその場で仕留めていたので経験値がそもそもない)。PNDRにもそのような情報はなかった。だから、ドクターカルーアを含めて観生以外にはこのことを話していない。一応報告書には昨日の出来事をあるがままに記載しているものの、刀弥の予測自体に確証はなく、ただの現場一個人の推測でしかないものに組織的なリソースを裂くことを刀弥自身が良しとはしなかった。

 それでも観生に話したのは、最低限の協力が欲しかったのか、気づかぬうちの信頼であったのかは刀弥自身にも判然とすることではなかったが。



 角を曲がった先、刀弥の視界に入ったのは、二人の人間と一匹の犬だった。

 天音が犬に吠えられたことで、びくりと体を震わせている。

 そして、天音に向かって柴犬が唸り吠え、中年女性がその首輪に繋がったリードを必死に引っ張っている。柴犬は、頭が複数あるわけでも異常なまでに大きいわけでもなく、茶色い毛並み、体高三○センチ程度の普通の犬だった。

「こらデンスケ、やーめーなーさーい!」

 中年女性が強くリードを引いていさめると、柴犬は女性の言うことを聞いて散歩に戻った。

 そして、この場に残されたのは、拳銃を抜こうとしてブレザーの内側に手を入れて固まった無表情の男子高校生と、犬に吠えられたと思ったら急に自分を非日常へ叩き込んだ張本人にストーキングされていたと知った女子高校生の二人のみ。

「…………」

「…………」

 互いに言葉はない。

 刀弥はただ言葉を発する気がないだけだが、天音は刀弥の行動の意味を考えていて声に出せていない。

 特段何も話す気がなかった刀弥は歩き出す。天音の横を通り過ぎ、適当なところで回り道をして再度天音の監視に回るつもりだ。

 一方、天音の方はというと、このまま刀弥を行かせていいものかと悩む。

(わたしの監視?でも、朝の様子だとそれもおかしいし、昼休みだって教室からいなくなったわたしを追って来なかった。じゃあ、なんで……?) 

 考えても結論が出ないと悟り、天音は素直に尋ねる。

「わたし、危険なの?」

「…………」

 刀弥は足を止めた。止めてから、その行動に後悔した。

 ここは、無視して歩き去るべきだったと思った。

 だが、考える。

 彼女の言う「危険」とは何を指す?

 まかさ自分が変異体に目をつけられているかもしれないと気付いている?いや、さすがにそれはないだろう。ならば、口封じでもされると思っているのか。バカバカしい。それこそ無意味だ。彼女の証言は、聞く者からすれば妄言だ。あの場に被害を訴える被害者はいない。敢えて言うなら被害者は天音自身だが、実際に傷を負ったのは刀弥のみで、刀弥がそれを否定すればそれでお終いだ。傷だって、あと数日もすれば。高校生が銃を持っていると主張した場合が唯一の面倒事だろうが、その解決は刀弥ではなく上の人間が考えることだ。天音を大人しく家に帰した以上、問題ない・対処できるものと判断されたはずだ。

 一通り考えて、刀弥は告げる。

「危険はない」

 今度こそ、刀弥はこの場から立ち去る。

 心なしか、少し足早に。


 すぐに視界から消えた同級生を立ち止まったまま見送り、天音はまだ考えを巡らせ始める。

 朝桐刀弥と相城観生。

 彼らは味方なのか。それとも敵なのか。

 思えば、二人とは高校入学からの知り合いだが、同時に付き合いがあったなどとは冗談でも言えない。言うなれば、互いが互いの背景同士であり、積極的に関わったこともない。交わす言葉はたまの挨拶と、頻繁な早退に対する苦言くらいのものだ。

 どこに住んでいて、どんな暮らしをしているのか。今日の昼、刀弥は手作りの弁当を広げていたが、あれは母親が作ったのか、もしくは自作なのか。少なくとも観生が作ったわけではないだろうと、コンビニおにぎりを咥えた姿から想像できた。

 自分の親は教育に厳しいが、彼らの親はどんな人なのだろう。

 刀弥も観生も、詳細な成績まではわからないが、テストの点数は悪くはない。孝明館高校は定期テストの点数が各コース別に、合計点数と教科ごとに名前付きで掲示される。進学コース三五〇名のうち、二人とも二桁台の順位だったと記憶している。

 そこまで考えて、あまりにも二人のことを知らないと思い知った。テストの順位を大雑把でも知っているあたり、実は無意識のうちに気にかけていたのだろうが、どんな人かと聞かれても、「感情表現に乏しい大人しい男性生徒」と「いつもニコニコ笑っている小柄な女子生徒」としか説明できない。

 今更になって、天音は刀弥と観生のことをもっと知っておけばよかったと後悔した。



 そして、そんなやりとりを人工衛星の光学映像と刀弥のインカム越しの音声で傍観していた観生はというと、

「なーんかラブコメ臭してきたね~」

 緊張感のない声で、笑顔のまま呟いた。

『何か言ったか?』

「うんにゃ~」

 インカム越しに刀弥が問うが、観生は流す。いつもは観生がべらべらと関係ないことを話しているが、今はニコニコ顔のまま呆れているようにも見える。

『そのまま監視を継続』

「はいよ~」

 天音の現在位置から彼女の自宅までは二〇〇メートルほど。五分もせずに帰宅できることだろう。


 結局、観生は天音が自宅に帰るところまで監視して、この日は何も起きずに終わったのだった。

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