第9話
翌日、天音は重い気持ちで登校した。
天音は比較的早い時間に登校するため、教室に入ってもほとんど人はいない。
だから、覚悟ができていなかった。
「—――え?」
いつもならばあと一五分は顔を合わせないはずの同級生の姿が、そこにあった。
手には文庫本が広げられており、視線を落としている。
昨日は腕に太いギプスを巻いていたが、今はない。紺のブレザーの袖に隠れているので包帯を巻いているかまではわからないが、遠目にはいつもの様子と変わりない。
思ったよりも大きな声が出ていたのか、その同級生—――
―――『それが、君たちのためだ』
昨日会った、赤髪の女医(天音はそう思っている)の言葉を思い出す。
彼は自分のことを監視しているのか?余計なことを喋らないか、おかしな行動を取らないかと。
そして、昨日彼が手にしていた拳銃を、自分に向けてくるのではないか。
そんな想像をしてしまう。
しかし、意外にも、刀弥は一瞥をくれるとすぐに視線を手元の文庫本に戻した。どうやら読書中に聞こえた声に反応して視線を向けただけで、天音だと思って見たわけではないらしい。
「どうしたの、蓮山さん?」
ドアを開けた状態で固まっていた天音に、後ろから女子生徒が声をかけた。ドアを塞いでいたことに気づき、天音は慌てて「ううん、何でもない」と慌てて体を引いた。女子生徒は首を傾げながらも特に気にすることなく教室に入る。
気づくと、廊下には少しずつ生徒の流れができつつあった。
天音はもう一度刀弥を見る。
今度は視線を移すことなく、文庫本のページを捲っていた。
昼休みになった。
天音が授業に集中できなかったのは、人生で初めてかもしれない。
それもこれも、昨日の出来事が原因だ。
(—――よし!)
いつまでも怯えているわけにはいかない。
天音は席を立ち、刀弥の席へと向かった。
当の本人は自席で手作りと思しき弁当を食べている。
その隣には、ビニール袋からコンビニのおにぎりを取り出して咥えている小柄な女生徒—――
「ちょっと、話があるんだけど」
勇気を振り絞った天音に対し、刀弥は黙って視線を上向け、観生はおにぎりを咥えたまま「はりゃ?」とよくわからない声を上げて声の主を仰ぎ見た。
「俺に話はない」
「わたしにはあるの!」
刀弥の反応に、思わず天音は声を荒げた。何事かと、周囲の視線が集まる。
「あんなことがあって、全部きれいに忘れます、なんて言えるわけないじゃない。ちゃんと説明して。じゃないと納得できない」
さっきまで怯えていた自分がバカバカしくなる。
何かされるんじゃないかと怯えていたのに、まさか相手が関心すら持っていなかったことに腹立たしさを感じていた。
周囲がひそひそと話し出す。
「またいつものか?」「でもいつもと様子違くね?」
「痴情のもつれ?」「いやないでしょ。朝桐君と相城さんと蓮山さんとか」
そこで、初めて自分が注目を集めていることに気づいた天音は、急に恥ずかしくなって赤面した。
「とにかく、わたしは納得してないから」
そう言って、足早に教室を出ていった。
刀弥は相変わらずマイペースに弁当を食べ進め、観生はぼうっと天音が去っていった後を首をのばして眺めていた。
「いいの、あーちゃん?」
「向こうの事情は知ったことではない」
放課後になり、天音は家路へとつく。
普段、天音は寄り道などせずにまっすぐ家に帰る。一五分ほど歩くと着く道程には、午後四時台という時間もあり、孝明館高校以外の下校中の学生や、遊びに出ている小学生、買い物に出かける主婦が散見された。
その中に紛れるように、刀弥が歩いていた。
『あーちゃんがストーカーになるなんて、悲しいな~』
刀弥の耳のインカムを経由して、全然悲しそうではないお気楽そうな観生の声が届く。
『っていうかさ、ドクターに報告しなくていいの?』
「確証がない」
『お仕事以外で人工衛星にクラッキングしてるんだよ~』
「普段だって、ヘマしても尻拭いはしてくれないだろう」
『確かに、もしわたしが見つかっても〝天才ハッカー逮捕〟みたいになるだけだろうけどさ~』
「
『わたし痛いのやだな~』
「だからいつも通りに仕事をしろ。お前の眼が頼りだ」
『お、嬉しいねぇ~。あーちゃんにそこまで言われちゃ腕が鳴るってモンよ~』
気の抜けた調子で言う観生だったが、言葉とは裏腹に指先は軽快にキーボードを叩く。クラッキング時、基本はショートカットを割り付けたファンクションキーを使うが、観生はリアルタイムで二つの人工衛星に潜り込み、地上の光学映像を覗き込みつつ適宜フィルターをかけて画像に補正をかける作業を並行して行っている。本人曰く、「テレビ見ながら電話して宿題やるようなもの」らしいが、おおよそ常人がマネできるものではない。
『そういやさ、あーちゃん、天音ちんのことどうよ?」
「どうとはなんだ?」
刀弥は「またいつもの無駄話か」と思ったが、相棒の癖のようなものなので諦めて応じる。
『昨日はアゴクイまでしちゃったわけじゃん?』
「アゴクイ?」
『こう、あごを指で押さえてクイって上向かせるの』
昨日の河川敷でのことだと思い至り、刀弥は簡潔に告げる。
「ただ血を払っただけだ」
『ロマンがないな~。天音ちん、あれで惚れたね』
「右に曲がったぞ。その先は問題ないか」
会話の流れを断ち切り、刀弥は天音の進行方向に注意を向ける。
『大丈夫、問題ないよー』
観生は人工衛星からの映像を確認しながら答えた。
天音が角を折れて右方向、ブロック塀の死角に消える。その後ろ三〇メートルを刀弥が追い、同じ角を曲がろうとして、
「グルル—――、バウバウ!」
犬の唸りと吠え声—――
「—――っ!」
刀弥は瞬時に駆け出し、急ぎ角を曲がってその先にいるはずの天音に向かう。
駆けながら、懐のホルスターに忍ばせている拳銃に手をかけた。
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