第8話

 ものの数分で、民間の救急車が到着した。

 刀弥はその場で腕の傷に止血処置がされ、天音は「怪我なんかしてない」と告げるが、問答無用で救急車まで乗せられた。刀弥から「拒否権はない」と言われたが、その通りだった。

 天音は他にも納得いかない点があった。

 いや、違和感、というのが正確かもしれない。

 救急車から降りてきて刀弥に手当てをしている人も、天音の隣にいる人も、皆防護服を着ていること。

 救急車と一緒に、ワンボックス車まで到着したのだが、その中からも同じような防護服を着た人たちが、現場をブルーシートで囲い、周囲を封鎖。中で何やら作業を始めた。

 あんな防護服を着た人間が作業をしているとは、まるでここが『汚染』されているようではないか。

 そして、そんな人間に従う自分は、まるで『感染者』みたいではないか。

(バカみたい。まさかね……)

 乗せられた救急車の中で、天音は自分の考えに自身で嘲笑を送るが、否定しきれないことに不安を覚えた。



 三〇分後—――

「え……?」

 救急車を降りたところで、天音は思わず声を上げた。

 てっきり病院に行くものだと思っていたのだが、予想に反してそこはビルの地下駐車場だった。

 建物の入り口と思しき自動ドアがあるが、その奥は真っ白の床と壁、天井の空間が続いていて、清潔感よりも不気味さの方が勝る。

「行くぞ」

 刀弥は救急車から降りて自動ドアへ向かう。その腕は救急車の中で応急処置され、ギプスのようなもので覆われており、それで無理やり止血させているようだ。

 防護服の人間は誰もついてこない。

「急げ」

 振り返って促す刀弥に不満を覚えながらも、天音は慌ててクラスメイトに駆け寄って、自動ドアをくぐった。



 しばらく通路を進むと、病院の待合室のような空間に出た。

 そして、刀弥はどこかへ消えてしまい、代わりに防護服の女性がやってきて、ついてくるよう告げられる。そのまま一室に招き入れられ、採血と問診を受けた。

 一五分ほどで、問診は終わった。

 年齢や性別、血液型の自己申告、アレルギーの有無やついでに身長と体重も測定された。家族構成や習い事の有無、住居形態まで確認された意味は分からなかったが、検査結果が出るまでの時間潰しと天音は解釈していた。

 ピコン、と傍のデスク上のPCから通知音。どうやら検査結果が出たらしい。

 防護服を着た女性は、内容を確認すると、おもむろに防護服を脱ぎ出した。

 長い髪を後頭部で乱暴に纏めた、ノンフレームの眼鏡と右の泣き黒子が特徴的な女性だった。眼鏡をかけていることは防護服越しでもわかったが、真っ赤な髪色に天音は面食らった。

「さて、検査結果は問題ないね」

 女性はPCのディスプレイを見ながら告げた。

「おめでとう、君は『陰性』だ」

「陰性……」

 何のことだか、天音にはわからない。


―――『変異体を取り逃がした』


 河川敷で刀弥が口にした言葉を、不意に思い出す。

「あの、変異体って—――」

「家まで送ろう」

 女性は天音の言葉を無視して部屋から連れ出す。

 天音からすれば当然「わかりました」と納得できるものではない。

 明らかに普通ではない生き物に襲われ、助けに来たのは同級生で、その本人は重傷を負ったにも関わらず落ち着きすぎた態度を見せている。おまけによく学校を抜け出しては戻って来る不良児のような一面もある。

 ふと、変な妄想をしてしまう。

 

 朝桐刀弥は謎の組織に所属していて、日夜怪物と戦っている。


 自分で考えておいて、失笑してしまう。

 そんな馬鹿なことがあるわけない。ふざけすぎだ。

 しかし、荒唐無稽と思いながらも、絶対にありえないと断言できずにいるのは、あの怪異とも呼べる犬の存在故だった。

 あんな怪物相手に、刀弥は拳銃を手に立ち向かって—――

「あっ」

 天音はそこでようやく気付いた。

「そうだ!朝桐君!朝桐君は!?」

 そこにいるはずがないのに、天音は首を左右に振りながら刀弥の所在を訪ね出した。

「なんだ、あいつに会いたいのか?」

 真っ赤な髪色の女性が言う。

「言っておくが、惚れたならばやめておけ。あんなの吊り橋効果—――」

「違う!なんで朝桐君、銃なんて持ってるのよ!」

 異形の犬のことよりも拳銃の方がリアクションでかいなと、女性は頭を掻いた。


「ドクター、お迎えの用意できたよー」


 そこへ、ドアを開けて入ってきた小柄な少女。

 その顔を見て、天音は再び驚いた。

相城そうじょうさん!?」

 ここにきて同級生であり、刀弥とよく一緒にいなくなる小柄な少女の登場に、天音はヒートアップする。

「あなたまで!ここは一体何!?高校生が銃を持ってたり、あんなバケモノみたな生き物がいて、なんなのよもう!」

「まぁまぁ、落ち着きなって~」

「ふざけないでよ!」

 観生みうがいつものにやけ顔でお気楽そうに言うものだから、余計に天音は落ち着かない。馬鹿にされた気分だった。


「黙って帰って、今日見たことは全て忘れろ」


 そんな天音に対して、あからさまに呆れの色を混ぜながら、赤髪の女性は告げた。

「疑問はもっともだ。だが、君のために改めて言うぞ。忘れろ」

「忘れろって、バケモノみたいな生き物が街中まちなかにいて、同級生が銃を使ってるなんて、銃刀法違反で—――」

「忘れろと、言ったはずだ」

 発言を遮られて天音はむっとするが、赤髪の女性は続ける。

「君はどうするつもりだ?親に今日あったことをそのまま告げるか?警察に同級生が拳銃を持っていると伝えるか?怪しい組織が凶暴なバケモノを隠しているとネット上に暴露してみるか?すべて無駄だ。君の様子から見るに、恐らく両親は躾に厳しいだろう?そんなバカみたいなことを話したところで帰宅が遅れた言い訳にしか取られない。警察も同じだ。ありのままを話してもいたずらと思われるのがオチだし、君が事実をごまかして証言したところで、証拠はどうせ出てこない。ネットに流しても騒ぐのはオカルト好きか陰謀論者の餌になるだけだ。誰も、君の言葉を信じはしない」

 女性は天音が取れる行動をまくし立てた。

 そして、打って変わって優し気に微笑んだ。

「不幸な事故だった。それだけだ。もうあんな目に合うことはないし、君だってこんなことは一日でも早く忘れて日常生活に戻りたいだろう?」

「でも……」


「それが、のためだ」


 君たち。

 それは誰を指すのか。

 天音と刀弥、観生のこと?

 いや、違う。

(わたしと、お母さんとお父さん……!?)

 ぞっとする。

 目の前の女性は、自分に事実を公開されることを恐れて口止めしようとしているのだと思っていた。

 だが、違う。そうじゃない。

 これは、警告だ。

 刀弥や観生がいるということは、自分の身元は既に割れている。組織立った統率された空気があった、河川敷での救急車やワンボックスの人たち。そして今いる施設の規模。改めて、自分はもしかして今危険なのではないかと、今更ながらに思った。

「いくよ~」

 能天気な笑顔と声音で手を引いてくる観生に、天音はされるがままに部屋を出て、いくらか通路を進んで黒いワンボックスカーに乗せられた。


 帰宅後、天音は帰りが遅くなったことを母親に咎められたが、あったことをそのまま告げることはできなかった。同級生の家にプリントを届けに行ったと伝え、階段を上って自室に籠る。

(なんなのよ、一体……)

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