第34話
「詰んだね」
「
同じく横からディスプレイを覗き込んでいた
だからこそ、天音は観生に期待していた。
刀弥のピンチを救えるのは、観生しかいない、と。
その観生からの放棄とも取れる発言は、刀弥を助ける力があるかもしれないのにそれを見捨てるという、裏切りにも思えるものだった。
ニコニコ顔を崩さない観生は、そんな同級生の非難の声を聞いても自分のペースを崩すことはない。
「もうわたしがアドバイスできる情報も、あの場にあーちゃんを助けてくれる人もいないよ。あそこで戦えるのは、あーちゃんだけ。ほら」
観生はディスプレイの左下を指差す。
いくつもの赤い横線が並んでいた。
『Takayama.I』『Nakao.K』『Mukai.R』……と、よく見ると名前が書かれている。
「これ、現地に入った処理班のバイタルね」
処理班――変異体出現の現場を封鎖し、刀弥が無力化した変異体やその犠牲者を収容する人たち。
そのバイタルは、全て横線一本のみ。
「おっきいのからぽこぽこ生まれたのにやられちゃったみたいだね」
天音は思わず息を呑む。
画面には五つのバイタルサインが表示されており、横には小さなスクロールバーがある。少なく見積もっても二〇以上は、名前の刻まれたバイタルサインがあるはずだ。
バイタルサインといえば、心臓の鼓動だろうか。それが横線のみということは――
「全員、亡くなったの…?」
「そ、全滅だね」
「キャンプ場にいた人たちは?」
「さぁ?わかんない。そっちに向けたらあーちゃんフレームアウトしちゃうし」
まるで感心がない、そんな回答だった。
常と変わらない笑顔のまま、まるで人が死ぬことなんて何とも思っていないどころか、逆に楽しんでいるようにさえ見える。
「なんで、笑っていられるの?」
「なんでって?」
「こんな時に笑えるなんて、普通じゃないよっ…!」
「悲しい顔したって、状況は変わらないよ」
「そうじゃない…、そうじゃないよ、相城さん……」
いつぞやの、刀弥と観生に無知故の恐怖を抱いていた頃。そのときの感覚が蘇る。
「変異体から、わたしのこと守ろうとしてくれてるのは――」
ただ、得体の知れない、何をしでかすかわからなかった存在として認知していたころの印象と、重なってしまう。
「わたしのこと、少しでも――」
――友達と思ってくれているからじゃないの?
最後の言葉は、出てこなかった。
今の観生は、キャンプ場にいる人たちなどどうなっていようが構わない、そんなもの興味ないと言っているようで、その笑顔が恐い。
そんな天音の、恐怖と失望の感情を、観生も感じ取っていた。
気持ち悪い、気味悪い、ムカつく、頭おかしい、調子乗ってる――
過去に散々聞かされてきた侮蔑の数々が蘇る。
こびりついた言葉の数々が、脳内でハウリングする。
養護施設の職員から向けられるゴミを見るような視線をもって、心の中に刷り込まれていく。
そこから更に、別の記憶までもが呼び起こされる。
親戚のおじさんの野太い声と、拳と足の記憶。
『腹が減ったぁ?知るかんなこと』
道草を食うという言葉を文字通り実践した。
『血が出ただぁ?いちいちんなことで呼ぶんじゃねぇ』
『へ、そうか、お前もオンナの体になったか。よぉし、確かめてやる』
『びーびー喚くんじゃねぇよ、萎えるだろうが!おら、笑えよ!』
『へへ、どうしたよ、うまそうにしゃぶりやがってよぉ』
泣くと怒鳴られる。口答えすると殴られる。
おじさんいたいやめていたいのここいたいよやめてほんとにいたいのすごくいたいのくるしいいだいいだいいだいいだいいだいいだいいだいいだい――。
痛いのに殴られて、涙を流すのは当然なのに泣くなと殴られて。
泣いたら空気を震わせるほどの怒声が降ってくる。
嫌だと言ったら顔が腫れ上がるまで殴られる。
楽しそうにしていたら、ただムカつくと蹴られる。
数ヶ月一年と過ごすうちに、経験則が出来上がる。
暴言と暴力が止まることはないが、それでも笑っていれば、少しだけマシになった。
泣いているよりも、笑っている方が、罵声の勢いも、暴力の数も、少しだけ減ったと気付く。
悲しくても、苦しくても、笑っていれば、少しだけ状況はよくなった。
もう、感情なんて関係ない。
笑顔でいることが、生きる術だった。
『おいっ、●●っ!どこだおい!助けろ!あづっ、だぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』
そんな生活は、燃え盛る平屋と共に終焉を迎えた。
寝たばこによる火災。深酒で意識が朦朧としているところに、少しだけひと手間を加えてあげて。
散々うるさい黙れと怒鳴り散らしていた男が、火に巻かれながら、逃げることもできずにただ裏返った声でみっともない叫びを上げる。
恐いと思った。でも、同じくらい嬉しかった。
もしかしたら、楽しかったと思ったかもしれない。
段々大きくなっていく悲鳴が、ある一点を越えてから急に静かになる。
状況を察し、しかし笑顔は変わらない。
それから施設に預けられても、MMMCの被検体として実験の日々を迎えてからも、習慣化された笑顔は変わらない。
笑顔は、自律神経のバランスを整える。幸せホルモンと呼ばれるセロトニン分泌を促す。
元々は自己防衛だったはずの笑顔。それが、いつの間にか普通になっていた。自身の心情に関わらず、常に笑顔でいることが当たり前になり、むしろ怒るとは、悲しむとはどういうことかと考えてしまうほど、他の感情がわからなくなる。
憤慨しようとしても笑ってしまって怒りの感情が沈み、悲哀を感じようとしても浮かべる笑顔が悲しみを無理に追いやる。
壊れていると理解している。自覚できている。
それでも、数日を共に過ごした同級生に、あんな表情をされたことは、多少なり
最初は
「ねぇ、相城さん……」
深い思考に嵌まった後、観生はかけられた声で我に返る。
思考時間はたった一〇秒、いや、それ未満のはずだ。
画面には、相変わらず危機的状況の、生き埋めの相棒と黒い巨獣が映っている。
(……え?)
珍しく、観生は驚愕に意識が固まる。
なぜ状況が変化していないのか。これだけの時間があれば、相棒の少年は噛み千切られた首から血を噴水のように真上に吐き出しているはずだ。
なのに、なぜこの変異体は――
観生は見つけた。
変異体を挟んで刀弥とは反対側、そこに立つ小さな影を。
刀弥は未だ、自分の頭に齧りつこうとしない変異体を見据えていた。
瓦礫の中で引っかかっていた左腕は、袖の引っ掛かりから解放済みで、右腕は既に地上で自由になっている。
ゴッ、カラ、ドン――――
それは、小さなコンクリート片か石ころが、何かに当たり、跳ね返り、土の地面に落ちた音。
ゴッ、ドンッ――――
今度は何かに当たり、直接地面に落ちた音。
変異体が、巨体を
その時、刀弥の視界にもその正体が映った。
全身擦り傷だらけの、小学校入学前であろう幼い少年が、小さな拳で握った石を、巨大変異体に投げつけていた。刀弥が
勇気ある行動、とはとても言えない。蛮勇とはこのことだ。
当然、あんな小さな石ころをぶつけたところで、変異体は痛くも痒くもない。
あんな小さな体、巨獣の爪が掠っただけで引き千切れてしまうだろう。
少年だって、恐いはずだ。
緊張に強張る表情。ぎゅっと一文字に引き結ばれた唇。
ガクガクと笑っている膝。その脚から伝って足元に水溜りができているのは、恐怖からの失禁のせいだ。
振り返ったと同時、変異体の背中がまた膨らみ、ボトッ、ボトッ、と小型の変異体を生み出した。
少年の体に、巨大な影が重なる。自分の三倍近い巨体を前に、無意識に一歩足を引いて、尻餅をついてしまう。そんな非力な存在を、産まれたばかりの黒い二体が左右から挟み込むようににじり寄る。
少年は、何を思ってそんな行動を取ったのか。
普通に考えれば、少年にあんな怪物をどうにかする力はない。
できることといえば、囮として、たった数秒、十数秒を稼ぐことだけだ。
そして、その後に待つのは捕食されるという、生物にとっての根源的恐怖を伴う計り知れない絶望の未来。
この場から逃げるという選択肢は、真っ先に取るべきものだったはずだ。
このままでは助けてくれた見知らぬお兄ちゃんが危ないと、義憤に駆られた行動であったのかもしれないし、今はそんな行動自体を後悔しているかもしれない。
逃げるべきだったと、何をしているのだろうと、自分の選択に首を傾げているかもしれない。
それでも、その結果は――、
「よくやった」
ダン――!!
ダン――!!
ガラガラと瓦礫が動く音がした直後、連続する発砲音。
直後に頭部を吹っ飛ばされて
恐怖に固まる少年の目に、月光の中を跳躍する人影――
「後は任せろ」
少年の取った行動は、蛮勇ではなく
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