第35話

 刀弥とうやは瓦礫の中から左腕を引き抜き、マンホールから這い出るようにひじを伸ばし、ひざを縮めては伸ばしを繰り返して調理場だったものの残骸から下半身を抜く。

 胸のホルスターから拳銃を引き抜き、瞬時に照準。

 一発ずつ、正確に、且つ素早い射撃で、左右二体の小型変異体の後頭部を撃ち抜く。

 すぐさま跳躍。

 先ほどまで埋まっていた瓦礫は高さ二メートル。

 刀弥の跳躍力をもってすれば、全高三メートルの巨獣、その背中の真上まで跳ぶことができる。

 以前この巨獣と高校で対峙した時は、銃弾が効かなかった。

 先程もフルメタルジャケット弾を何発も撃ち込んだが、全て強靱な体に弾かれてしまった。


 だが、勝算はある。


 きっかけは、少年の勇気だ。

 少年が投げた石ころに反応して、振り返った巨大な変異体。その後ろ姿を、二メートルの瓦礫に半身を埋めた状態――約二.六メートルの視点から見たとき、刀弥は気付いた。

 キャンプ場で対峙してから、背中から何体もポコポコ生まれていた小型種。

 膨らんで弾けていた背中は、今はどうなっているのか。

 遠目には、大きなクレーターのようにうっすらと凹んで見えるが、近くで見ると、より詳細に気づくことができた。

 薄い体毛に覆われたクレーターの中に走る亀裂、その奥にある血肉の桜色に。


 巨大変異体が銃弾を弾いていたのは、硬化した皮膚の角質が幾層も重なり、堅牢な装甲と化しているせいだというのが最終的な結論だ。

 内部から肉塊が膨れ上がって増殖を繰り返すという現象は、すなわちその『装甲』を内部から突き破っているということだ。

 ならば、そこを突くしかない。

 

 二発の銃声と瓦礫の音に、さすがに巨大変異体が気づく。

 これまでの暴風のようだった俊敏な動きからは想像もつかない、どっしりとした振り返り。そんな感情があるのかは不明だが、無力な小物がとおごっているとでもいうのか。


 ダンダンダン――‼


 着地の寸前、眼下の大きな黒い背中、その左肩付近の窪みに走る亀裂に向けて発砲する。

 これまで何度も弾かれた銃弾だったが、一発が弾かれ、一発が亀裂にめり込み、一発が亀裂を押し広げて体内に飛び込んだ。


「グゥゥォゥ―――‼」


 これまでにない、攻撃による苦悶の声音。


 いける!


 背中に着地し、拳銃を構える。

 だが、スライドが後退したままホールドオープン――弾切れだ。

「ちっ」

 だが、ここまで来て退くことはできない。

 今が、この変異体を仕留める最大で最後のチャンスだ。

 刀弥は右手の拳銃を左手に投げ渡してから自分の右足首に手をやる。すそまくると、仕込んでいた刃渡り一〇センチ程のナイフダガーを引き抜いた。

 柄を強く握り込み、右肩部側の肉の亀裂に突き立てる。

 変異体の体が大きく横に振られる。

 振り落とされないように、刃が全て吞み込まれたダガーの柄を離さないように耐える。まるでロデオだ。ただし、振り落とされたら最後、二メートル以上の高さから地面に叩きつけられた挙句、大きな足で粉砕される。

(攻撃力が足りない…)

 刀弥の頭がフル回転する。

 サバイバルナイフは恐らく瓦礫の下。ダガーはもう一本あるが、この巨体には致命傷となる臓器まで刃が届かない。拳銃は弾切れ。予備弾倉もさっきので全て使い切って――

(いや――)

 そこで思い出す。予め銃に装填していた弾倉マガジン、その交換をした時のことを。

 先ほど銃弾を撃ち込んだ左肩付近の背中の窪みがうっすらと膨らみ始めた。

(また出てくる…!)

 再度の変異体増殖の傾向を察し、刀弥は素早く行動する。


 ロックを解除して弾倉を排出リリース

 懐から、最初に交換した弾倉を取り出して自分の眼前に放り投げる。

 放り投げた弾倉から顔を覗かせている銅色。タクティカルリロードで交換し、残弾を残したまま仕舞われていた弾倉。本当に最後の銃弾。

 激しく振り回される変異体の背中の上で、拳銃を横向きにして腕を振り、宙を舞う弾倉がガツン!、とグリップの底から叩き込まれる。

 スライドを咥え、無理やり初弾を装填。


 ダンダンダン!!


 膨らみ始めた左肩側の背中に、至近五センチの距離から残弾を撃ち込む。


「グゥゥォォォォゥゥゥゥゥ―――――‼‼‼」


 先ほどよりも大きな咆哮――苦痛に喘ぐ悲鳴。

 今度こそ残弾ゼロ。

 スライドが下がり切った拳銃が左手から滑り落ちる。

 表皮が裂け、内部を露出している背中が見える。

 その中には血肉に塗れた小さな生物――分裂途中に息絶えた変異体が収まっているが、左手を肘まで突っ込んで無理やり引き摺り出す。

 ブチブチブチブチ――――、と強引に引き千切る。完全に個体として分裂しているわけではなく、まだ母体となる巨獣と部分的に繋がっているそれを、力任せに引っ張り出すと、外に放り投げる。

 べちゃりと地面に血肉の塊が落ちる。

 巨大変異体の背部の窪みが大きな空洞と化す。うっすらと肋骨が見える。

 左足からダガーを抜いて、左手に。

 振りかぶってから、肋骨の隙間に突き立てる。


「グァォォォォゥゥゥゥゥォォ―――――‼‼‼」


 絶叫で耳がおかしくなりそうだ。

 血肉の鉄と生臭さが入り混じる臭いが鼻につく。

 体が激しく揺さぶられる。


 恐らく、ダガーが刺さっているのはまだ肺だ。致命傷だが、まだ足りない。

 右手のダガーを起点に、体操競技の鞍馬あんばのように全身を回してから背中に立つと、


「いい加減にくたばれ、畜生」


 全てを踏み砕かんとする勢いで、変異体の肋骨の間に埋まるダガーの柄に足を振り下ろした。


「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッッッ‼‼‼‼‼‼‼」


 ダガーの柄が完全に肋骨の間に埋まるほどに、深く突き刺さる。

 肺を裂き、心臓にまで達した刃が、いくつもの血管を裂き、左心房を突き破る。

 

 右に傾く変異体。刀弥は逆方向に跳び出し、着地する。膝で衝撃を和らげるが、がくりと体を傾げ、右膝を地面につく。


 ズドォン――――!!!!


 遅れて、巨体が地面に倒れる。

 キリンのように長い首がしなり、頭部で再度、地面をドン!と叩く。

 長い首にいくつも並んでいる乱杭歯の口も、沈黙している。

 もう、動かない。

 それどころか、どろどろと、黒い液体となって形が崩れていく。

 これまでになかった現象だが、変異が進み過ぎた結果なのか、この変異体独特の現象なのかはわからない。刀弥が考える必要のない、研究者が調べればいいだけのことだ。

「大型種の無力化に成功。体は液状化している」

 インカムに呼びかける。

『おぉ、あーちゃんナイス~!』

『朝桐君、無事っ⁉』

 普段通りの気の抜けた相棒の声と、対照的に焦りを隠そうともしない同級生の声が返る。

「取り逃がした変異体は?」

 だが、刀弥は安堵の吐息さえ漏らすことなく、淡々と状況を確認する。

『キャンプ場に詰めてた処理班を全滅させた後、そこから四キロ先の市内を駆けまわってるよ。全部で三匹。あーちゃん追うの?』

「当然だ。それと、処理班の再派遣を。液状化したとはいえ、回収は必要だろう」

『あーうん。それはいいんだけどさ、あーちゃんどうやって戻る?」

「どうとは?」

『輸送班まで巻き添え食っちゃったから、足がないよ?』

「どうにかしろ。それが仕事だろう」

『わたしその言葉きらいだよ~』


「かけるっ⁉」


 刀弥と観生みうが話していると、慌てたような女の声が上がった。

 ショートカットの、歳は三〇前後といった女性が、刀弥の傍らに座り込んでいる幼い少年を見て駆け寄った。

 ここの利用客だろう。感じからして、恐らくこの少年の母親だ。

 熊が出たということでキャンプ場の客を遠ざけていたはずなので、息子がいないことで周囲を探し回ったのかもしれない。処理班が全滅したということなので、利用客も無事ではないだろうという見立てをしていたが、少なくともキャンプ場の人間が全滅したというわけではないようだった。

「もう、どこ行ってたのよ…、って、全身傷だらけじゃない!」

 母親は心配そうに少年を抱き寄せると、遅れて全身の擦り傷に気づいたようだった。

 刀弥の中で、目の前の親子が別の映像と重なって、像がブレる。

 今では顔もあやふやな、一人の女性の姿と重なった。

 母親はすぐ傍に立っている、衣服は擦り切れ、赤黒く濡れた左腕と錆臭い刀弥の姿に怪訝な表情を浮かべた。見たところ警察でも猟友会でもない。学生と思われる青年の姿は奇妙に映ったことだろう。

「あなた、この子に何をしたんですか?」

 その不信感から、全身擦り傷だらけの息子を案じた母親は、刀弥に怪訝な表情で詰問する。

 熊騒ぎの後なのだから、刀弥が少年に何かをしたなどとは冷静に考えればないとわかりそうなものだ。むしろ、襲い来る熊から少年を守った、という方がしっくりくるはずだ。だが、混乱した頭では、崩壊した調理場跡に佇む血塗れの青年という現実味のない構図は、不審者というテンプレートに刀弥を当てはめていた。

「おかあさん、かいじゅうをやっつけたんだよ」

 少年が母親の袖を引くが、

「何言ってるの、あなたは黙ってなさい」

 母親は少年の訴えを払いのけ、ポケットから携帯電話を取り出す。

「対処――」

『やってるよ』

 瞬時に意図を汲み取った観生の声を聞いて、刀弥は歩き出す。

「ここを離れろ。何も触るな」

 それだけ告げて、何度コールしても繋がらない緊急通報にイライラしている母親の隣を通り過ぎる。

「ちょっ、今警察に――」

 携帯電話を耳に当てながら、母親は刀弥を掴もうとする。

 その手をひらりとかわし、冷たく一言。

「触るな」

 無感情な声に、一瞬母親が怯む。

「な、なによ。警察を呼んでるんだから、逃げないで」

 怯みながらも気丈に振舞うのは、子供を守る親の強さなのだろうか。

 再び、刀弥の脳裏に一人の女性の姿が浮かび、目の前の母親と重なる。

「逃げる?」

 頭から虚像を追い出し、

「これから、追うんだ」

 刀弥は駐車場に向けて歩き出す。

「あなた――」

 母親は納得できずに詰め寄ろうとするが、再び袖を息子に掴まれた。

「かける、離し――」

「おにいちゃん!」

 注意しようとする母親を無視して、少年は刀弥の背中に向けて、子供特有の甲高い声で叫ぶ。

「ありがとっ!」

 刀弥はぴたりと足を止める。

 本来ならば振り返って笑いかけたり手を振ったりするのだろうが、対応方法が思い浮かばない刀弥はどうするべきか数秒考え、結局ただ一言。

「ああ」

 聞こえたかどうかもわからない、素っ気ない返事が、春の夜に溶けていった。


 

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