第36話
キャンプ場の駐車場は、大きくゆったりとした構造で、キャンプ施設の定員は三〇組だが、駐車スペースは五〇台が確保されている。一台一台のスペースも広めに取られているため、キャンピングカーやワンボックスカーも悠々と駐車できるようになっている。
今日は定員三〇組が全て埋まっているが、まだ一〇台以上停めることができる。
その空きスペースに、乱雑に三台の黒いワンボックスカーが止まっていた。他の車両が比較的整然と並んでいるため、その三台だけが異質だった。
その一台に、刀弥は近づく。
その途中、アスファルトの上に、銃弾で蜂の巣になった黒い犬――巨大な変異体から分裂した個体が二体横たわっていた。
ワンボックスカーの手前一メートルで足を止める。
車両にもたれ掛かるように倒れている黒服の男が一人、首の上下が一八〇度逆さに――喉を食い千切ぎられて、文字通り首の皮一枚で胴と繋がっている状態で息絶えている。その隣には、またも分裂した黒い犬の変異体が、銃弾で頭部をズタズタにされて倒れていた。
車両を回り込む。
他に地面に倒れる男が三人。こちらは胴を食い破られている。殺すことが目的ではなく、栄養価の高い内臓を食すことを優先して、一撃で致命的なダメージを与え、まだ息がある状態で喰われたことが、三人の恐怖と苦痛に歪んだ表情から想像できる。
再び車両に目を向ける。
開け放たれたスライドドアは返り血に染まっていた。ウィンドウから中が見えないくらい、血で塗り潰されている。中には一人、丸い眼鏡をかけたポニーテールの女が血塗れで倒れていた。お世辞にも安らかとは言えない、慟哭を上げたまま死んだであろう大きく開いた口と、キャビンから漂う糞尿の臭いが、凄惨な死を如実に語っている。
他のワンボックスカーの周りも同じようなものだった。刀弥をここまで運んだ輸送班の人間も、武装した処理班も、同じ処理班で白い防護服を着た人間も、全員物言わぬ骸と化していた。
対して、周囲の一般車両の中からは人の気配が残っている。シンと静まり返った夜の帳の下、自分の安全地帯と信じた車の中で、緊張しながらそっと息を潜めているのだろう。銃声と悲鳴が織り成す重奏をBGMに聞かされていても、正常性バイアスでも働いているのか、焦って車を発進させて事故を起こすということもなかったようだ。
胴を食い破られた処理班の男の手には自動拳銃が握られている。刀弥は無遠慮にその銃を手に取る。
マガジンを一度取り出す。ダブルカラムで収まっている銃弾を確認し、グリップの中に再装填。薬室に弾が装填されているのでスライドはそのままだ。
車のキーは刺さったままだが、生憎と運転の心得はないし、免許もない。連休の夜間である。飲酒検問に遇わないとも限らない。検問での問題は、無免許ではなく死の痕跡がぷんぷんしている車両そのものだ。
市街までの足を確保することが課題だが、どうすべきか再び周囲を確認する。
誰かの車に便乗するのもひとつの選択肢だが、こんな血塗れの人間を乗せてくれる酔狂な人間はいないだろうし、感染リスクを最小にしたい身としては同乗は避けたい。車を奪えば解決するのだろうが、どうも何かが心にブレーキをかけている。
実に非効率な考えだと理屈では理解しているのだが、感情がその行為を忌避している。
(バカげている…)
雑念に囚われながら、ワンボックスカーのバックドアを開ける。
「これは……」
中にはバイクが三台積まれていた。
そんなに大きなものではない。一二五CCくらいだろう。強めのサスペンションのついたモデルだ。恐らくキャンプ場だけでなくその周囲までの移動が必要になった場合を想定して積載したのかもしれない。
刀弥は普通免許どころか原付免許すら持っていないが、知識だけは持っている。このタイプはクラッチレバーが必要なく、スロットルを開ければ加速してシフトアップし、減速すればシフトダウンしてくれる電子制御シフトを搭載している。だから乗れるのかと言われれば普通はできないものだが、刀弥は迷わずバイクを引き出す。フルフェイスのヘルメットも提げられている。装備に不足はない。
取り急ぎ、車の中から救急医療キッドを取り出す。血を拭い、消毒し、直接血がついている箇所は包帯でぐるぐる巻きにした。衛生的にはまだまだ隙だらけだが、変異体の血肉が付いたままうろつくよりだいぶマシになっただろう。
刀弥はバイクに跨り、ヘルメットを被る。
キックスタートでエンジンをかけ、駐車場から飛び出した。
蛇行する下り坂を、刀弥の乗るバイクが駆ける。
ヘッドライトの光が進行方向を照らし、夜闇を進む。
刀弥にバイクの運転経験などないし、それどころか自転車すらまともに乗ったことがない。それでも問題なく乗りこなせているのは、優れたバランス感覚と反射神経の成せる業だろうか。
等間隔の街灯を何度も何度も追い越しながら、交通規則という概念を無視した無免許高校生が、一般道を法定速度など考慮せず、二輪を走らせる。
「足は確保した。変異体の現在位置は?」
『おー、現地調達?ぬすっとあーちゃん』
インカムに呼びかける。フルフェイスのヘルメットをしているが、風を切る音と共にいつも通りの相棒の気の抜けた高音ボイスが返る。
「PNDRの所有物だ。それより変異体の位置情報を出せ」
『ほいほーい。今はあーちゃんから五キロ東だね。三匹とも』
「移動速度が遅くなっているな」
『なんか十字路とかで止まってクンクンしてるみたいなんだよね。それで急げてないみたい。あーちゃんの地道なカメラ設置が役立ったよ。グッジョブb』
刀弥が連日電柱に昇って取り付けた五〇ほどの監視カメラが、詳細な状況確認に役立っているようだった。監視衛星を使用できない時分、場所が限られるとはいえ広大な市内の視覚をカバーする目の存在は貴重だ。
「ルート指示を」
声しか聞こえていないのだが、なぜか
自覚せず、自然と、ほんの微かに刀弥の口角が上がった。
これまでにはない感覚だったが、どこか微笑ましいというか、誉れというには過ぎるが、小さな満足感を覚えている。
普段どうでもいいと思っている、いや、思うことすらなかったはず。そんな、誰もが感じている『普通』を、今、微かではあるが刀弥は感じていた。
『そのまま山岳道を下って、白海通りを直進して。このペースなら、案外六分前後で合流できるかも』
「そちらの状況は?」
ナビゲーションを受けながらも、刀弥は自宅マンションにいる観生と
巨大変異体は天音を狙っていたはずだ。ならば、そこから分裂した個体も同じく天音を狙っている可能性が高い。当然、防御を固めるべきだ。
『なんか追加でキャンプ場に増援送るから、お迎え回して貰えなくなっちった。周辺待機の詰め所は
本当に余裕がないのかもしれないが、この対応はむしろ『切られた』のではないかと思う。
「ならば掃討しながら向かう。間に合わない可能性を考慮してバリケードでも作って耐えていろ。部屋は一八階だが、非常階段や外壁を上って来る可能性もある。警戒していろ」
『おー、あーちゃんやさし~。気遣いできるなんて成長したね~。でもさ――』
と、ここで少し、声のトーンが下がった。
『だったらもうちょい家具揃えてほしかったね。あーちゃんの部屋、バリケードにできそうなのパイプベッドとテーブルくらいだよ。椅子は……気休め程度?』
物が極端に少ない刀弥の部屋は、籠城するにはあまりに無味簡素過ぎたようだった。
だからと言って家財を買い込むなど刀弥の選択肢にはないが。
「急ぐ」
短く告げて、刀弥は更にスロットルを開けた。
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