第23話

 翌日になっても、作業は変わらなかった。

 朝食後、刀弥とうやはすぐに監視カメラの入った大きなバッグを抱えて設置に赴き、観生みうはノートPCで変異体の情報収集と刀弥への指示出しを行う。

 前日と違うのは、今日が大型連休初日だということだ。なにせ一〇連休だ。世間では行楽シーズンの浮かれた空気が広がっており、テレビで高速道路の下り渋滞映像が流れ、右の追越車線より左の走行車線の方が早く目的地に着くと専門家が口にする。

 そんな世間と乖離しているのが、この空間だった。

『設置完了。次は川岸支10R15S4だったか』

「そだねー、よろ~」

 刀弥と観生のこのやりとりも、天音あまねは慣れた。昨日から何十回も繰り返されているやりとりだ。

 ただ、それを聞いていることしかできない、自分にできるのは観生のお茶汲みだけという前時代のOLのような存在だと溜息をく。

「元気ないね、天音ちん」

 手の動きを一切止めることなく、視線を合わせることなく、文字通り声だけを投げかけた観生に、返事すべきか邪魔しないように黙っているべきか悩みながら、

「無力だな、って思って」

 観生から話しかけたのだからと、思ったままを口にした。

「あのバケモノに復讐するとか、被害が増えないようにとか、自分にも何かできるとか思って、自分はただ落ち込んで、泣いていることしかできない無力じゃないんだって、そう思ってドクター・カルーアあの人の提案に乗ったっていうのに、結局はただ一緒にいるだけで、わたしには何もできないんだって、思い知ったから」

 この世に不要な人間なんていない。そう思っていたし、今でも思っている。

 だが、今の天音の存在はどうだろうか。昨日観生にせがまれて刀弥が買ってきたオレンジジュースを観生のカップに注ぐことくらいしか、今はできていない。食事だって、全て刀弥が作っている。自分の存在意義を疑いたくなった。

「今んとこはあたし専用の給仕係兼癒し係かな~」

 そんな塞ぎ込んだ思考の天音に対してかけられたのは、ちびっこハッカーの気の抜けたセリフだった。

「教室ではキリっとしてる委員長が、借りてきた猫みたいに所在なくしてる様はまさに―――萌える」

 どこまで本気でどこまでふざけているのかわからない、そんな観生の言葉に、天音はもう文句も何も言える気力がなかった。

「ねぇ、喋ってて大丈夫なの?なんか難しいことたくさんしてるんでしょ?」

「ああ、だいじょぶだいじょぶ。話してると気が紛れるしねー。ふっふっふ~、そんな旧世代なファイヤーウォ-ルで身を守れると思うてかー、よいではないかーよいでわないかー」

 天音と話をしながらも、観生は手元の操作を続け、楽しそうにニヤニヤ笑いながら独り言を口にしている。昨日は情報収集と言っていたが、具体的に何をしているのかまではわからないものの、なんとなくバレたら犯罪として捕まるんだろうなと察することができた。

「コミュ力って大事じゃん?あーちゃん見てればわかるけど」

「う、うん、まぁ朝桐君は確かに」

 学校では常に一人。たまに観生が話しかける以外は、本当に誰も寄り付かない。始業式から一週間で、それは完成された。クラス替えで初めて刀弥に話しかける同級生たちは、その素っ気ない様子に段々と距離を置き、二週間もすれば決定的となった。

「逆にさ。あたしは話してないと死んじゃう人間なんだよ。ほら、ウサギ的な?」

 寂しがり屋と混ざっていると思ったが、天音は曖昧に笑うにとどめた。

「それにさ、いろいろ聞きたいんじゃないかな?あたしらのこと」

「—―っ」

 それは、天音にとっては都合のいい話題の振られ方だった。

 大企業MMMCと、その中にある特殊な部署。そこに所属して、ウィルスで変異したバケモノと戦う刀弥や観生の存在。

 本当にざっくりとしか、あの異質な研究者カルーアから聞かされていないため、聞きたいことは確かにある。

 だが、本当に聞いてもいいのか。聞いたら答えてくれるのか。どうせはぐらかされるだろうと諦めていたことだけに、幾分かの躊躇があった。

 しばらく考え込んで黙ってしまった天音に、観生は先に話題を振ることにした。

「例えば、あたしとかあーちゃんが、何かとかさ」

「何って――」

 それではまるで、刀弥と観生が何か特別なもののような言い方ではないか。いや、特別という言葉の使い方は、まだオブラートに包んだ表現だ。

 天音の本心では、異質な、と言う方がしっくりくる。

「あ、でもまずは順番に説明しないと混乱しちゃうか」

 観生は自分で振った話題を蹴っ飛ばし、説明を始めた。

「まずは、あの変異体が出来上がる理由についてね。これはまぁ、ウィルスに感染して細胞異常を起こした動物だって思ってくれればいいんだけどさ」

「とてもそんな、細胞異常ってレベルの話には思えないけど」

「そういうもんだからなー。昔ね、再生治療の研究でウィルスを使った細胞分裂の活性化っていうのがあって、開発コード『ジュリエット』っていう人工ウィルスが作られたんだって。研究が進んで、動物実験段階で、『J-014』っていうのが作られて、その発展型の『J-014E』が作られて、臨床試験まであと少し、まで進んだらしいんだけどそこで事故が発生してね。実験動物が凶暴化して逃げ出して、すぐに殺処分されたんだけど、その実験動物からは、更に変異したウィルスが検出されたんだよ。危険物だかを表すのに『R』をつけて、『J-014ER』って名前が付けられて、殴り書きしたメモを見たら『Joker』っぽく見えたから、一部では『ジョーカー』ウィルスなんて呼ばれてたみたいだね」

 タイピングと同様、流れるように言葉を紡ぎ出す観生の話になかなかついていけそうにない。それを察したのか、「動物が凶暴になるウィルスだってだけでいいよ」と、長い説明を一息に短くされた。

「でね、問題はこれからなのさ。まさかのウィルスは殺処分された個体から別の個体に感染した後だったわけ。それに気づいたのが、まさかの三年後っていうね」

「三年って……」

「だってさ、ちょっと凶暴になって、傷の治りが通常の二倍早いだけのものだよ?それに、逃げ出してから殺処分まで数時間、敷地外に出てからは確か数十分程度。当時の罹患率は一パーセント以下。まさか感染が広まってたなんて想像できないよ」

 きっかけは些細なものだった。恐らく、念には念を入れて感染拡大を疑えば、避けられたかもしれない母親の死現実

 天音は知らず、奥歯に力が入った。

「で、そこで考えるわけよ、人には感染するのか、どんな影響があるのかってね」

 どこか芝居がかった調子で、観生は勢いづく。

 元々は再生治療が目的だったのだから、当然人に作用してもらわなければならない。しかし、細胞異常やら凶暴化などの症状が出ては、逆に人へ影響が出ては困るものになる。

「だから、人で試すことにしたの」

「……え?」

 一瞬、天音は目の前の同級生が何を言っているのか理解できなかった。

 人で、試す?

 難しい言葉ではないのに、理解が追い付かない。

「で、被験者を集めるわけよ。非合法に」

 混乱する天音を余所に、観生は続ける。

「あ、もちろんその辺の人を誘拐なんてしないよ。もっとやりやすい方法があるの」

「……ホームレス、とか?」

 天音は思いついたことを口にする。

 ウィルスの人体実験を行うという現代日本の話とは思えない内容に戸惑いながらも、観生の話に引き込まれていた。

 同時に、自分の発言に自己嫌悪した。

 さっきまで不要な人間はいないなどと思っていたはずなのに、人体実験の被験者と聞いて、都合のいい、いなくなっても支障のない存在としてホームレスと口にした。心の中の昏い部分を、本音を曝け出した気がして、自分の浅ましさというものを強く意識してしまった。

 だが、続く観生の台詞に、天音は言葉を失うことになる。

「だけじゃないよ」

 そう、ホームレスではない。

「世間ではね、親に捨てられた子供や、戸籍のない人が、たくさんいるんだよ」

 いつもと変わらぬ笑顔のままで、幼い見た目の少女が告げる。


「親から生を望まれない子供や、公的に存在を証明されていない人が、たくさんいるんだよ」


 生きた人間を使った人体実験。

 観生ははっきり告げたわけではないが、もう口にせずともわかる。

 捨てられた子供が、ウィルスの影響を調べるための実験に使われていたのだという事実に。


「わたしや、あーちゃんみたいにね」


 そして、自分自身がそうなのだと、悲壮感など微塵も感じさせずに、ニコニコと笑顔のまま、観生は真実を口にした。

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