第22話
太陽が南中に位置する頃、
刀弥は天音を一人残すことのリスクを主張じたが、マンション内にいることと、(勝手に)屋上に設置したカメラで周囲の監視を続けることで、『一応』の安全を確保したと、観生から「よろ~(#^.^#)ノシ」と送り出されることになったのだった。
台座をケーブルの支持線に固定し、カメラ本体を台座にセットする。台座とカメラ本体がヨーとピッチ旋回により広域をカバーできる仕組みで、小さなソーラーパネルを光クロージャの裏面に張り付けてUSBケーブルでカメラ本体と接続する。
作業を終えると電柱に回していた本ロープを解除して流れるように足場を伝い降りていく。本当は補助ロープを支持線にかけていないといけないし、そもそも現在の労働安全衛生法では高所作業はフルハーネスで作業しなければならないのだが、どうせほとんどの人間はその事実を知らないし、知っていても見て見ぬふりをする人も多い。あくまで一般人に怪しまれない、余計な面倒を起こさないための行動だ。人目さえ気にする必要がなければ、刀弥の身体能力ならば悠長に足場ボルトなど使わずに跳び下りている。
地面に降りて、インカムに呼びかける。
「10R5、設置完了」
『ほいほーい、お疲れちゃーん。次は東にまっすぐ三○○メートル進んでパン屋さんの角を右ねー。柱は大成支が出てくるから、8R3L2Dでよろ~』
「了解」
本来なら文句の一つや二つ出てきそうなものだが、刀弥は駆け足で指示された場所まで向かう。恐らく数分で目的地に到着し、黙々と作業を続けることだろう。
そうとわかっているので、観生は進出先の電柱とケーブル情報(通信会社の設備管理システムから拝借)を一瞥した後にPCのウィンドウを最小化してメインの作業に戻る。
変異体の情報収集――といえばそうなのだが、やっていることは多くの若者と変わらない、SNSによる情報収集だ。地名や黒い犬に関するキーワードでひたすら検索を続けていく。昨日の騒ぎについてはすでにSNS上での改ざんは済んでいる。結果、昨日の騒ぎを見ての「俺も見た」「私も聞いた」という類はほとんどないので、不審な生物の報告例などを中心に探っていく。並行して警察無線も傍受しつつ、緊急発報も注視する。とはいえ一日に一一〇番される件数は都内だけでも一三五万件。管轄の所轄に絞ってもまだ膨大だ。だから、ハッキングして取得した音声データをAIに食わせて選別させ、該当しそうなものだけをフォルダに振り分けている。条件をそれなりに甘くしているが、それでも関連しそうなものはこの三時間で一〇件に満たない。しかも「猫が逃げた」「インコが死にそう」だとかそういうものばかり。今のところ成果はなし。
まだまだ、情報収集は継続中だ。見込みとしては明後日中、運が良ければ明日何か掴めるかもしれない。
「ねぇ、相城さん」
「んん~?」
サブディスプレイと合わせて五分割しているPCに意識を割きながら、観生は同級生に声だけで応じた。視線は向けない。観生の視線は分割した各表示を忙しなく行き来している――わけではなく、ほとんど動かない。視野全体で全てを捉えていた。
「何か、やることない?」
刀弥は外で地道な作業を続け、観生も情報収集を進めている。
そんな中で、天音一人だけ、ただその様子を眺めていることしかできない。
「朝桐君の手伝いに行くとか――」
「外出たら危ないじゃーん」
「荷物持ちくらい――」
「その細腕で申し訳程度の荷物を?」
「じゃぁ、わたしもSNSのチェックを――」
「情報の真贋を見極められる?ほんとに起こったことと、盛って注目集めたいやつの虚言、ガセだって無視された真実や、薬中の妄言、ごちゃごちゃの情報の中から、取捨選択できる?」
暗に「邪魔だから何もするな」と言われていると気付き、天音は口を閉じた。
ここ最近感じていた「自分は無力だ」という事実を改めて突き付けられ、惨めさと焦りが胸中に満ちていく。
「あ、一個お願いあった」
「――っ、何すればいい!?」
縋るように身を乗り出した天音の期待感に対し、観生は表情を崩さず変わらぬ笑顔で言う。
「カフェオレ作って。ド甘くてドミルクな、成分表示でコーヒーどこよっていうくらいの」
どこから取り出したのか、白地にピンクのウサギが描かれたマグカップがテーブルに置かれた。
観生のオーダーに、天音はがっくりと肩を落とした。だが事実することがないので、キッチンに向かって電気ケトルを見つけ、勝手に開けていいだろうかと葛藤しながらも冷蔵庫や戸棚を物色する。なぜかミルが見つかり、コーヒー豆も見つけた。別の戸棚にはハチミツと、頭上の棚には塩と砂糖が詰まった縦長のタッパー。冷蔵庫には未開封の一リットルの牛乳パック。
やたらと生活感あるなと思いながら、コーヒーミルって豆を入れてひたすらハンドルを回せばいいのかな、とよくわからないままコーヒーを淹れてみる。
一〇分くらいして、やっとカフェオレ?が出来上がった。分量が分からなかったので、コーヒーと牛乳半分ずつ、そこにスプーン二杯の砂糖をカップに入れてかき混ぜる。
そのカフェオレ?を観生の前に置く。
「お~サンキュ~」
観生はマグカップを手にすぐに口をつける。
「温度はバッチリ、さっすが分かってぶふぅぅーーーーーー!」
「ひゃぁっ」
観生が盛大にカフェオレ?を吹いた。
漫画みたいに盛大に。
見事なのは、正面のPCに吹きかけないよう、瞬時に真横に噴き出したことだろう。
「あ、天音ちん、ナニコレ?」
作業が始まって、初めて観生が天音と目を合わせた。
目の端に涙が見える。
「え?カフェオレってコーヒーと牛乳と砂糖を混ぜればいいんでしょ?まだ苦かった?」
やはりもう少し砂糖を多くした方がいいのだろうかと思ったが、問題はそこではなかった。
「なんか薄めた甘いミルクっぽい何かと一緒にジャリジャリした何かがぁ~~」
観生は悶えていた。
当然だろう。天音は挽いたコーヒー豆をマグカップに入れてお湯を注いでスプーンで掻き混ぜ、そこに牛乳と砂糖を入れて掻き混ぜ、それを差し出したのだから。
ごほごほと咳き込む観生は、涙を浮かべて天音を見上げた。
「天音ちん、もしかしてわたしを殺しに来た?アサシン?」
「し、失礼ね!初めてだったんだからしょうがないじゃない。コーヒーなんてインスタントしか知らないし、家庭科の授業じゃ淹れ方なんか習わないじゃない!」
観生の視線に、どこか憐みの色が混じった。
「まさか、お勉強だけできて、家事は全くとか、天音ちん……」
「な、なによ」
「—―――萌える!」
「何よ萌えるって!」
顔を真っ赤にして、三つ編み眼鏡の委員長は叫んだ。
『出ているか?』
そんな時だ、PCから刀弥の声が聞こえてきたのは。
「あ、あーちゃん。終わったー?」
『8R3L2Dはよくない。引き落とし用のクロージャ二つと
電柱の下から見上げながらであろう現地の様子に、観生は最小化していた設備管理システムを展開した。
カメラの設置場所の選考基準はIPネットワークに繋がった防犯カメラ等の死角をカバーできる場所というだけではなく、通信会社がその電柱に昇りそうにない、という条件も加味されている。その最たるものが、複数の接続点クロージャが設置されていないことだ。クロージャが多いということは、故障修理や開通工事、移転工事で昇柱する可能性が高くなる。
長期間のカメラ設置は当然気づかれるだろうが、元々数日が稼げればいい。どうせカメラの消費電力だって、小さなソーラーパネルでは賄いきれないのだから。とはいえその数日の間に見つかってしまうと、不審物の設置がされているとして通信会社の巡回が始まって撤去されてしまうかもしれない。役目を果たすまでは気づかれないよう無難な場所に設置しなければならないわけだ。
「え~?そこは引き通しが一つ付いてるだけのはずだよ。あーちゃんが言ってるのはそのお隣じゃない?」
『いや、番札も確認したが間違いない』
「ったく~、
文句を言いながら、別の地図アプリを見やり、監視カメラの設置予定場所を更新する。
「おっけー、D2の方ね。設置よろ~。更新しとくー」
文句を言いながらも、観生は手を動かして指示を出す。
「あ、そうそう、あーちゃん」
『なんだ』
思い出したように、常の笑顔に意地悪さを一枚上乗せして、観生は告げる。
「天音ちん、めっちゃ萌える」
「~~っ、やめてっ!」
『……、』
天音の羞恥の叫びを気にすることなく、刀弥は何も言わずに通話を切った。
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